三上祐一が2013.01.16~01.18に考えたこと② | 三上祐一のブログ

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 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 中国は日本の真似をする、結果として資本主義の悪い部分も実現する。日本は中国の一国二制度のお株を奪う、そしてそれを実現する。

 中国共産党国家は、実態が無いのに、実態があるかの如くに強く宣言する、しかし強く宣言したからといって、実体が無いということは変わらない、というそのこと自体に気付けない。それは都市の公害の問題についてであったりする。

 中国共産党国家は、都市の利益を地方の利益よりも優先する、そこでは、共産党を名乗る資格が無い、公明正大さと平等から党の性質はかけ離れたものとなる。中華人民共和国とは名ばかりである。そして私的利権の敵対から、身内に揉め事が生じることが自然の流れであるが、中国共産党国家は、私的利権の敵対が起きないようにすることに、多くのことを注ぎ込む、そこでは多くの人民の幸せは蔑ろにされる。

 中国共産党国家は領土拡張の野望を抱く、そして領土でない場所を領土である、と主張し始める、尖閣はそこには日本のかつおぶし工場があった、ということで、過去においては日本の領土であったことは明確である、嘘を付いたからといって、過去の歴史的事実・真実が思い通りには変えられない、ということに、中国共産党国家はやっと、気付くこととなる。

 中国国家は反日において、日本の侵略を悪としてきたが、自分達はもっと残酷な侵略をチベット・新彊ウイグル・チワン・内モンゴル・寧夏に行った、そこで、中国国家は日本の侵略を悪と語る資格を失った。中国がチベット・新彊ウイグル・チワン・内モンゴル・寧夏に行った残酷な侵略に比べたら、日本の行ったことはそれよりも罪の小さな侵略である。そして中国の行った残虐行為が侵略であるならば、それに比べれば日本の行ったことは進出であった、とさえ言える、しかしそれを言う事は止めておこうか。しかしコキントウは中国であるにも拘らず、親日のために良くやってくれた方である、と思う、そこでコキントウの名誉のためには、彼の行った、チベット・新彊ウイグル・チワン・内モンゴル・寧夏への侵略については出来ればあまり触れたくは無かった、しかし中国が嘘を捏造し、それがいつもの調子で叶うのような態度で、尖閣が自分達の領土である、と言い始めたから、チベット・新彊ウイグル・チワン・内モンゴル・寧夏への侵略を語らなければならないこととなった、その原因は中国国家そのものである。そして中国には真の敵が存在する、胡錦濤よりも罪の重い人間がいる。日本が中国に行ったことは基本的には悪いことであった、と私は見る、そこで戦前の日本の中国に対する一定の罪を私は否定しない、しかし江沢民は、日本を現実的罪の重さよりも必要以上に残酷さを誇張して、中国人にそれを教えた。それは誇大表現という種類の捏造である。そこで多くの本来であれば、67年の平和を守ってきた実績からして、日中友好となるべき日本と中国の関係を劣悪な状態に仕向けた。それで中国人民を国家の政治指導者であるにも拘わらず、心が不健康な状態に導いた。しかし江沢民は中国人民の最大の敵では無い、中国人民の最大の敵は、中国人民の民主化を阻んだ、鄧小平である。彼には功罪が存在した、まずは一国二制度の名の元に、中国に経済成長を導入したことは功である、しかしそれについては、私としては、できれば、共産党的に、格差是正し、出来る限り平等の方向性でそれを実現してもらいたかった。そして罪は天安門事件で、人民を惨殺し否定し、権利を認めなかったことであった。

 TOYOTAという会社は日本に経済の上では大きく貢献した、しかしその実態は、労働者を酷使し、徹底的に搾取し、ホワイト・カラーの幸せのために貢献した。日本経済発展に大きく貢献したということは認める。しかし労働者を酷使し、徹底的に搾取した、という面は認められない。現実的には労働者にもっと多くの賃金を与え、ホワイト・カラーには少ない賃金を与えるべきであった。理想的には、ブルー・カラーとホワイト・カラーの賃金は同額とすべきであった。しかしそれをやった国が世の中に存在しないわけでは無い、オランダがそれをやった。ヨーロッパと日本において、政治において決定的な違いがある、日本は保守政党が政権与党であったが、ヨーロッパでは、民主社会党が多く支持されている。

 愛は英語に訳すとLOVEである、恋も英語に訳すとLOVEである。本来は恋はLIKEの最上級格であるのが相応しい。

 私は人生の経験として、大企業に就職したかった、しかしそれは果たせなかった、そこにおいて、私は徹底的に大企業が嫌いである、今一番大企業の中で嫌いなのは三菱地所である。私としては、ホワイト・カラーの仕事に意義があるのか無いかを見定めたかった、しかし大企業は私を採用しなかった。そこで私は、ホワイト・カラーの仕事を想像するしか無い。想像するにおいて、ホワイト・カラーが何の仕事をしているのかが未だ持って知ることが出来ない。基本企業は、製品を作って、売ればいいのでは無いか?売るには、店に製品を並べればいいだけなのではないのか?価値がある製品であれば売れるのでは無いのか?

 アルジェリア政府には、邦人の2人を死者を出した、それはアルジェリアの軍事作戦の展開と誤爆が原因である、その落とし前はつけてもらうぞ。

 アルカイダいらねーことしてやがってよ!

 日本は、東南アジアにも高所得を実現すべきである、そうすれば、彼らは日本製品を買う。

 安倍首相は、自由や民主主義という普遍的な価値の実現である、と言ったが民主主義は普遍的な価値ではない、民主主義よりももっと高い主義が、人々が、高い価値を知り、それを持つことだ、民主主義は、良いものである、しかし民主主義の欠点が、人々が、価値が低い政党を選んだりすることである。そこで民主主義よりも高い主義は、完全民主主義である、そこにおいては、全てのそれぞれの人々自体が、意見を言い、議論を展開する。そして意見の順位が決められ、順位の高いものから、順に政策が行われる。