三上祐一が2012.11.07~11.09に考えたこと | 三上祐一のブログ

三上祐一のブログ

 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 発案:テレビ居酒屋(カラオケ・ボックス)テレビを見ながら皆で団欒する居酒屋、その場合はテレビ局に店の儲けの何%ぐらいかがペイバックされるしくみにする、もしくはテレビ局がそのようなものが流行れば宣伝効果が上がるから、金は受け取らない、というのであれば、それに越したことは無いが。

 中国は“海洋強国づくりにとりくむ”、として新しい国家づくりに対して、新しい説を作り出したことを自らが主張している。

 松沢成文氏:東京テーマパーク構想などどうでも良い、テーマパークは各地方都市に作られるべきである。お台場にカジノを作る、など、不健康だ、国が博打打ちの権利を独占することなど、ろくなことが考えられない。

 私は愛を少しだけ持つ、と言ったが少しだけ持つだけだったら、それは愛ではない、愛、とは、パートナーの完全絶対視だから。私は人々を適度な分量ずつ尊重する派なのだ、でも少しだけ愛する、ということが受け入れられるんであれば、是非それを受け入れてもらいたい。

 中国は格差是正に取り組む、ということであったが、簡単な格差是正の方法は、政治主導で労働者の賃金を上げる、ということであろう。どっちにしても今後は、中国は経済が、ブクブク太るということは無く、デフレ傾向が顕著になるであろう、ここで大鉈を降れなければ、中国共産党は共産党らしさが既に無いと言っていいだろう。

 現実の中国人はこのようである、日本に来て、戦後日本を知り、戦後の時代時代の日本に習った、と。そこでその中国人達は、中国共産党のおかげで、本音を言えない状況を強いられている、というところであろう。

 中国は北京のような特別経済区域をもっと、広い区域を準備して、できる限り多くの中国人が幸せになれるようにしてほしかった、中国の北京・上海の街の風景は、日本には無い、そこで今後は、中国社会特有の社会現象、というものが起きるであろう、中国共産党は、少なくとも中国国家に責任を持つならば、その今後起きるであろう、中国社会特有の社会現象、に対処できる能力を持たなければならない、それはもう、どこかの国の真似をする、ということでは済まされない、中国は、自国のことは、自国で考え出さなければならない。

 私は出来る限り超漸進的進歩を考えて、いろいろ行って来たが、世界中の多くの人々が、超漸進的進歩が我慢できないというのであれば、そろそろ、次の段階に入らなければならない、と思っている、次の段階とは、発明の実務である、なお、私の発明を実現させたいと、思う人がいるならば、私にその実務を仕事にしたいと、是非名乗りをあげてもらいたい、そのような人々が一人も出てこないのであれば、私は、世界中の人々は、私の進める超漸進的進歩で充分である、と考えている、と思うことにする。

 私がいくら実質的価値が高い、と思われるものを作り出しても、便宜に頼っている以上、それを用いて考え出したものは一切利用しない、というところが、日本社会の現状である、と踏んでいる、であるから、私は便宜を使用しないでものを作り出すことに付き合わなければならなくなった、ということだ、質は多少落ちるであろうが。

 最適ではない社会状態に、嫌々つきあわされて、何かをやっている人間は、それに付き合うか、付き合わないかは自分次第である、ということを伝えておく。前時代の保守と新しい時代の代表である革新は、共に協力して、できるかぎりいい政策を案出すべきである。

 中国がいい例だが、独裁体制を取っていても、国の舵取りは、思うままに取ることができない、ということが明らかになっただろう。今後は、独裁体制を取っている地域は、苦しい状況を余儀無くされることが予想される。

 フォースコリーはいただけない、日本人はそのようなことをすると、今後、食いたくても食えない地域の人々から怨まれても知らない、と言って置く。

 ソニーとシャープと東芝と日立は一度合体して、各社の独自性を協議し、方向性を打ち出して、また元の会社に戻る、ということは、必要であれば、そのようにすることもいいのではないか、と私は思う、その場合には、国家が、日本の物価が下がる方向性に持って行くのも、製品市場の国際競争に打ち勝つためにしなければならないならば、それをするのもいいかもしれない、と思う、そして、物価が上がった国は、その値段の分だけ面白いものを作らなければならない、ということを日本国民は知った、と思う。給料が下がっても、物価が下がれば、経済の実質的価値はほとんど変わらない、と言えるだろう。

 好きな人が出来たから別れてくれ、それは夫の身勝手だろう、妻とすんなりと離婚したければ、それだけの見返りを妻に与える実力が無ければ、その身勝手は受け入れられない、ということだろう、妻は何の見返りもなく別れるのは損であるから、そのような場合は見返りを夫に求めるべきである。

 疑惑:松本清張。松本清張の小説はくだらねえ、しかしそのくだらねえ内容の小説が人気があるんだからしょうがねえ。

 中国人は、中国国家にいい政策があれば、それを提示してみるのもいいのではないか?また中国国家は、この際だから率直に、中国人民から政策を募集する、ということもいいのではないか?

 中国は反日ということは、一定の価値しかないのに、バランスの良い歴史を人民に教えることを放棄して、それしか与えない、ということは、実が無い、歴史という課目の重要性をなめてかかっている、と言える。 中国国家が1971年に、近海に石油が埋蔵されている、ということが実は尖閣占有表明の直接の理由であるならば、道義的に許されない。なお、それを公表するのは、基本的には国家の裏切り者である、ひいては中国共産党への裏切り者である、中国国家はそのような者が出ないように、常に共産党首脳部を監視する必要性がある、そこで、中国国家は、不自由を余儀無くされる。それは技量が無いからそうならざるを得ない。

 好きだったなあ、リック・スプリングフィールド。

 新しい服を着用する欲求は卒業できる欲求である、卒業できる欲求は卒業すべきである。

 解散に3つのシナリオ。

 胡錦濤は人民が裕福になれ、と裕福になることを、幸せの重要なことである、と表明したが、両陣営の片側だけが裕福になるならば、それは、もはや、共産党ではない、日本人である私が言うのもなんなんだが。

 国民の利益を考えて、政治をおこなうべし、という胡錦濤の意見はいい意見であろう、人民が国民に変わったことでは共産党精神の一部放棄が考えられるが、私としてはもう一歩踏み込んで語ってもらいたいところであるが、今日はこの辺までにしておく。

 消防士になる、という夢は立派な夢だ。

 私が今書いている小説は、あくまでもフィクションである。私は警察は最低限は必要であると考えている。

 日村、「大根が農場から逃げた」結構大変なんだなあ、テレビ業界も。

 私は革命は求めない、あくまでも改革を求める、そこにおいては、保守と革新が提携できる余裕がある。 どの時代でも、どの地域でも、恵まれた人間は、恵まれた人間なりのことをすべきだ。そして私が言いたいことは、私は恵まれていたのでは無くて、むしろ欠陥が具わった人間であった、そして自分ができる限りのことを行った。とりあえずは、生まれたからには、最高のことをやってやろうと、野望を心に秘めて、一つ言えることは、私も一度も諦めたことが無い、ということだ、身分の違いなどから、幸せな者が、不幸な者の気持ちを理解するには限界があるが、しかしどの立場の人間も利用できるものは、利用すべきだ、恵まれない人間は、恵まれた人間を利用すればいいだけのことだ、そして不幸な者が保身の気持ちから、不幸な者達がより自分達の首を絞める道を選んでもらいたくは無い。

 これは、実現性の薄いことだが、日本は農産物の値段が激安になれば、その価格に合わせる大企業のグループが現われ、価格の安い産業グループと価格帯の高い産業グループがいる状況がまあ考えられはする。保守層は、今までの産業構造を守るために、価格帯の高い産業グループから製品を買い続け、激安を求める国民は、価格の安い産業グループから製品を買うことが考えられる。これが真の一国二制度である。そうなれば、TPP導入の必要性は無い。価格の安い産業グループでほとんどの商品を購入できるならば、物価が安くなり、賃金も安くなるが、実質的経済価値はほとんど変わらない、という状況を作り出すことは可能である。まあ、この見込みはほぼ無いが。

 私は戦う気は無いのだが、日本の既存の産業、世界の既存の産業が、私に戦いを挑んで来る。うざいが我慢しなければならない。私に戦いを挑んで来てもらちが明かない、というのに。

 私は常識を否定はしていない。常識と新しい文章表現はそれぞれが、適切なときに適切なだけ用いられるべきである。単純構造の文章表現の欠点はできれば克服すべきである。現実世界で起きている現象は「ある程度Aであり、ある程度非Aである」という状況が現実世界で起きていることだ。

 子供どもの食への欲望など、どうでも良い。昔の日本は貧乏であったが、子供を甘やかす、ということが無かった。裕福になったから、といって、まだ、価値のかの字さえ無い、子供どもをもてはやして、一体日本はどこに進もうとしているのか?しかし谷花音ちゃんのように可愛い子もいる。ちゃんとした子供達がいることも確かだ。

 食欲さえ満足させれば満足である、といった風潮は、社会に単調をもたらす。

 選択で人生は変えられる、のようなCMをやっているが、選択では、既存のあるもの以上の価値が出現することが無い。

 作り出す人間を、羨ましいから、ということで、受け入れない者は、その程度の価値しか無い。

 警察とヤクザの対立は、適度であるのが良いであろう。

 日本には既存の経済発展は価値があるが、経済発展を全て肯定して、作り出される価値があるものの全否定、既存の経済発展と作り出されるものを対立させて、一方が、一方を制覇する、ということは意味が無い。既存の経済発展は価値はあるが、社会は少しずつ、価値があるものを受け入れなければならない。

 覗きを行っている者どもは覗きの対象よりも価値が無い、自らの非道を恥じろ。

 中国は基本的に大雑把に、人々を扱う、というところが、欠点だ、しかし日本も欠点が無いわけでは無い。

 日本軍が中国の一般人を殺した、というのは捏造だ。南京大虐殺も全てデタラメだ、あそこで使われている写真は、中国人同士の殺戮の写真だ。中国国家は、国家ぐるみで歴史を捏造している、それは後の歴史学からは断罪される。

 中国人の女性の死体の非部に花が刺されていた写真があった、そのような習慣は日本人には無い。それは中国人同士の殺戮である。

 踏み込んで言わせてもらえば、動物の中で、犬、猫だけを可愛がる日本人の習性もどうか、と思う。

 江沢民は間違っている。

 給料が下がっても、物価が下がっていれば、経済の実態は、同じである。

 美肌:島根、嘘くさい、大体私が予想したことは当たっている。日本のメディアの体質も根本的に変えねばならない。

 決まったパイの中でやってりゃいいんだ、みたいなことを言っていたオヤジがいたが、それは許せない。

 東京では、私は原宿・青山・練馬区下石神井・杉並区井草・新宿区上落合・渋谷区・目黒区・世田谷区・墨田区を知っている、東京でも、いろいろな地域があるから、私が、東京の全てを語る能力は無い。

 悪の経典は無価値だ。

 今どきのある程度の子供は、既存の権力と結託しているが、悲しいだろうが価値が少ししか無い、俺としてはヘドが出る。

 中国では、中国人同士の殺戮の歴史がある、中国国家は歴史に本気で取り組む気があるならば、反日以前に、その中国人同士の殺戮の歴史を中国人に指し示す必要がある。

 被告の権利・女性保護を天秤にかけていたが、両方とも、できる限り、実現すべきである。

 クマが人間を襲うことはほとんど無い、というコメントは価値が高かった。

 人々が大衆と化した場合、その大衆には価値が無い、しかし価値を取り戻す可能性はある、その場合は、大衆を人々にさせる役割を持つ人間が必要である。しかしこのような単純構造の文章も生産性があまり無い。人々は、ある程度大衆と化し、ある程度人々であるのが現状だ。

 中国のモラルの低下を日本人は言っていたが、日本人自体も中国人と同じぐらいモラルが低下している。

 リクルートがアルバイトの給料を低額にした張本人である。

 人々は、ある程度大衆と化し、ある程度人々であるのが現状であるが、それに合わせて適当にやりくりすることには価値が無い、それは妥協だ。

 藤本たかひろ、人間とクマは試練のときを向かえている、と言ったが、人間が、クマは人間にほとんど襲ってこない、ということを踏まえればいいのである。

 毛沢東はまずは勇気があった、と言えるであろう、そして中国人民との約束を守り、人々に平等に土地を与えた、それは特筆すべき価値が高いことである、その反面文化大革命を行った、それは悪いことであった。私は毛沢東は歴史的に見て、プラスであったか、マイナスであったか、を見ればプラスであったと見ている。そこで中国共産党は、資本家と労働者の格差を是正すればいいのである。資本主義の国々のように、資本家にかなり多く与えて、労働者には安い賃金を支払うことが正しいとは、言えない、だから、中国は、中国なりの格差是正という価値が高いことを行えば良いのである。市場原理を導入して、資本主義をある程度導入し、共産主義では、革命を目指し労働者が資本主義を倒すのでは無く、資本主義をある程度導入しできる限りの格差是正を行えば良いのである、それが私が指し示す修正共産主義である。修正共産主義では資本家と労働者の利益を肯定する、その場合は資本家には一人勝ちして巨額の富を持つことは諦めてもらう。そして保守と革新が話し合って、互いにとって良い政策を実現すべきである。

 工場労働を強いられている地方の中国人は毛沢東を支持するのが自然な流れである、中国の都市部の人間は、近年の中国の経済成長を支持するのが自然な流れである、しかし中国の都市部の人間達は工場労働を強いられている人間の立場を踏まえていない、資本家と労働者の格差を是正することが、中国が取るべき道である、オランダはアルバイトと正社員の給料が同じ、というところで先進性がある。競争原理が良い、と言っていた中国の都会の人間がいたが、競争すれば、どこかが敗北し不幸を余儀無くされ、勝者だけに利益を還元する、という競争原理の負の面を踏まえていない、それは、アメリカ流の受け売りであるだけである。競争はある程度しか価値を高めない、競争が無くても価値を生み出せば良いのである。そして各社が自社の独自色を打ち出して、全ての会社が生き残れるならば、その方が良い。

 国々にはそれぞれに特徴がある、国々を観察すれば、良いところも見つけることができれば悪い部分も見つけることができるであろう、国々は、他の国の良い部分は、積極的に取り入れれば良いのである。

 ポピュリズムを生み出すことが民主主義の欠点である、と言えば欠点である、しかし民主主義には一定の価値がある、民主主義の国にはポピュリズムの状況を改善させる役割を持つ人材が必要である。

 私が高校生大学生の頃には、巨人は広島や阪神や中日や横浜などの地方球団からいじめられていた状況であった、ドラフト制が導入されているにも関わらず、巨人はなぜ強くなったのかは興味があるところである、私が関わるべきことでは無いかもしれないが。

 日本は安い物価を実現して、国際的競争力を付けて、韓国には勝利しなければならない、人の国の真似をして勝利した奴らには目にもの見せなければならない、しかし日本も欧米の真似をしたということはあるが。

 東京の満員電車の状況は限界を超えている、地方には東京にあるものは全て揃っている状況を作り出し、地方に人々が移り住めるようになるべきである。私は東京にあって地方に無いものは2つだけしか無い、と思っている、それさえ地方にできれば、私は地方に移り住んでも良いが、できる限り東京に住んでいたいのが本音だ。読売新聞と朝日新聞どちらを支持するか、読売は常識を知る上では有用である、朝日は、手直しする必要がある、というところで有用である、しかし朝日は戦前は軍国主義を煽り、戦後は中国に翻った、という部分がいただけない。

 浜田省吾は貧乏臭い、というところが基本的に好きだ、兄が弟を育てた、というところで、私とも共通する部分がある。

 治安維持部隊を創出したブラジルは嫌いだ、基本的にブラジルは私の敵の国であるらしい。

 片思いの時に聞きたい曲については、そういう気持ちの女子には言いたい、世の中いくらでもいい男はいるぞ、と。

 明日が来るなら、には、言いたい、天国があると信じるのもいいぞと、しかしこれはあまり価値が無い発言である。

 いつもの君を知るなら、緊急事態の君の価値も知るべきだ。 君と出会うために生まれた、ということは無い、広く多くの男達を見ることによって。

 「答えがあるなら、それが愛なら」ふざけんなバーカ。愛を歌う奴らが、俺への対抗心からそれを言っているならば消えろ。

 「大好き」、って多くの物事を見たのか?俺は「大好き」なんて28歳以降にしか口にしたことが無い、基本的に今の若者は語るに若すぎる。

 安易に楽しいを強要する人間達もどうでもいい、悲しみを経験すれば、それは確実に大きな幸せを実現する力に変えることができる。

 愛を歌うAKBは私の敵だ。

 誉れ高き日本男児がAKBを応援するミーハーらと成り果てたのか。

 基本的に血縁で幸せをGETしている奴らは嫌いだ。別に日本でテニスする利点は無いだろ。その歌の内容の強引技じゃあ、いい女は落とせねえな。そしていたずらぐらいができるぐらいで、でかい顔しているお前らは価値が低い。しかしそれが勘違いだったら詫びる。

 フォロワー数が多かったとしても、そいつら自体が馬鹿なら価値ねえな。安易な常識に捉われている奴らは、俺の前に出てくる必要は無い。

 合法であるからといって、それが正しい、と信じるのは安易である。世の中は、良くしようとすれば、今のところいくらだって良くできる余地がある。

 愛を少しだけ持つ、ということは恋という状況である。英語のLOVEは日本では、愛と恋の状況がある。愛も恋も英語に訳せばLOVEである。

 君が愛すればいいじゃないかとAKBは安易に言うが、パートナーの絶対視が成し遂げられたならば、ある程度のことしかできない有限の力しか持たない人間は、適切な人間に、限られた力量を適度に分配することができなくなる、というのがあるから、俺は基本的には愛さない、と言ってんだバーカ、その言葉の価値をなめるなよ!そして運が良けりゃあ愛されるかもよ、と俺にカマかけてくんじゃねーゾ!UZAいんだったら覗くなよ。パートナーの絶対視ということである愛は限りある有限の能力しか持たない人間を無限の力が備わっている、と思い込むことであり、それは幻想である。有限な量を愛するのであれば、それは有効だが。
そして愛を持つと、無邪気さや率直さ、素直さを失うことであり、それらが正義の気持ちの大切な要素であり、それを失うと正義の気持ちを持てない、ということからも、愛は持たない、とも言ってるんだ。そして人間は有限の力量しか持たない、と自分を認めることは、それこそ、東アジア発の名高き「謙虚」の気持ちを持つということである!

 所ジョージを見て思い出したが、漫才ブームの頃、小学校5年ぐらいだったが、俺は漫才が大好きだった、当時夢中になった。世の中が劇的に変わった。一番好きだったのは、ツービートだった。

 GDPは上がらないだろう。所得が上がらなくても、所得が下がっても、物価が下がれば、実質的経済力は一緒である。

 自民党では、「という印象があった」と、気持ちを表現するに謙虚な姿勢が感じられる石茂さんの意見が一番良かった。安倍氏は大きな括りの政治論ばかり並べ立てて実が無い、そこで安倍氏にマスコミが聞くべきことは、「ではそれは具体的にどういうことか」を一歩踏み込んで聞くことだ。

 中国では、毛沢東派の地方の人々と、実質的には人民へのパワハラを行っている、中国共産党は徹底的に戦うべきである、そうすると、中国が危機を迎えるから、お互いが、お互いの意見で立てるべきところは立てなければ、ということになるかもしれないが、一党独裁の状況を変え、他の者が立ち入る状況を作り出したく無い中国共産党はそれを認めないであろう、そこで国内では結果としては内乱が発生することとなる。そこで中国共産党が行うべきことは、格差是正、ということになるであろう、簡単に行えることは、労働者の賃金引上げだ。

 中国人の愛国は、中国共産党によって強いられる、中国共産党へのこびへつらいであって、そこには自発性が無いために本当の愛国では無い、そして中国政府に強く抗議するが、日本軍が中国の一般人を殺したということは断じて無い、そのような記録は一切無い。それは中国国家ぐるみの捏造以外の何ものでも無い、それは中国共産党が、歴史という重要な課目を、人民の洗脳という浅薄なことに利用したことに他ならない、それは中国が歴史という重要な課目をなめてかかった、ということに他ならない、捏造の教育を行っていたことが中国人民に知れ渡ったならば、そのしっぺ返しはとてつもなく甚大なものとなるであろう。それは、中国国家が人民に嘘を教えていたことであり、もはや取り返しのつかない犯罪行為である。今すぐに、日本軍が中国の一般人を殺した、という歴史上に無かったことを伝えている反日ドラマを止めろ。そしてパワハラの元凶が江沢民である。

 私が大学生の頃は、非常に大きい怒りを持っていたために、筋トレがまるで苦にならなかった。

 やりたいことが無いんであれば、仕事しないで生きて行く方法を編み出せ。しかしやりたいことが無い、ということは重大なことだな。俺はまず、絶対に成し遂げなければならないことが、父親が行っていた、早稲田大学に入学することだった、それは基本的には、父親の一風変わった自慢話を尊敬していてその側面もあったが、高卒でそのことで相当に悔しい思いをさせられていた、母の意趣晴らしの側面があった。俺が入れたんだから、母さんだって早稲田に入れたと同じことだ、ということを証明したかった。東大でも慶応でも無く、ゾッコンで早稲田だけしか無かった。

 TPPは自由貿易と言っていたが、内容は、米国が自国の税額を軽減した農産物を日本に受け入れを強要し、その条件の元で、米国が日本製品を減税して受け入れる、ということで、内容的には全然自由貿易では無い。
 橋元徹はTPPを受け入れないから、日本が駄目になって行くんだ、のようなことを言っていたが、日本が駄目になった、ということは無い。TPPという事実上の関税自主権の撤廃を無理を強要する、アメリカが悪い。日本はTPPなどには参加しない方がましだ。

 はっきり言って、私をなめて、民主党を支持している、私を小ばかにして、郵政民営化に圧勝を与えた、日本のくそどもなど、知るか、といったところだ、しかし日本人に価値がある人間が多くいることも確かだ。

  私は中国共産党を多目に見ていたが、捏造の反日ドラマを作り出して、それを中国人民に与えている中国政府は許せない。そして毛沢東を崇拝している中国の地方の人々と、中国共産党のどちらを応援するかと言えば、もちろん毛沢東を崇拝している中国の地方の人々だ。それが私の道義心が私にもたらす答えだ、しかし中国の地方と都市部が虚無な対立を行うことを私は望んではいない。中国の地方と中国共産党は、お互いにとって良い打開点を見出すべきである。中国共産党は、毛沢東を崇拝している地方を受け入れるべきである。

 大体、都市ばかりを裕福にさせ、地方への配慮を欠いた中国政府そのものが悪い、そして中国共産党は共産党を語っているが、内実は、資本主義そのものだ、安易にそれを取り入れた中国自体に問題がある。 

 基本的にAKB48のことなど、私の眼中に無い。眼中にあるのは、捏造の反日ドラマを作った、中国共産党をどうやって懲らしめてやろうか、ということと、韓国との経済戦争で勝つことだ。