三上祐一が2012.09.12~09.14に考えたこと | 三上祐一のブログ

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 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 中国人民には、中国国家が、‘尖閣が自国の領土’と言い始めたのは1971年からだ、という事実をよく理解してもらいたい。

 イスラム教では‘ムスリム同胞団’という組織が新たに脚光を浴び始めているが、近年‘タリバーン’や‘アルカイーダから’、一部役割を引き継いだものと考えられる、そしてタリバーンやアルカイーダは欧米から見れば、近年思想を刷新した可能性があると考えられる、そしてイスラム社会ではタリバーンやアルカイーダはイスラム社会での地位も上がって、尚も主流派であることが考えられる。タリバーンやアルカイーダは近年欧米思想を、日本社会というフィルターを通して、深く理解し始めていることが考えられる。そしてタリバーンやアルカイーダは日本社会と付き合いを深めることで、全アジア主義~共産主義外全世界主義の思想を持ち始めているのかもしれない。

 インドの‘グル’は日本のような小国家からすれば、怪しい奴等のように見えるが、大きな国家を束ねるためには、日本のような小国家からすれば、怪しい人間達は必要不可欠なのかもしれない。

 第一次世界大戦、第二次世界大戦があった、そして高度経済成長があった、そして人間はコンピューターを作ってどの人間も中途半端にしか成長できないようにしてしまった、そこで多くを経験できる年代というのは1960~1970年代生まれまでとなってしまった、そして多くを経験できる年代に生まれ、一番高度な成長を直に経験できた者は日本人、ということになった。

 【新しい起業の仕方】 まずは製品カタログを作成し、可能な限り安い値段で、製品を売るための製品の値段算出法を提示し、宣伝する。それで顧客から資金を募る。その資金で製品を作り、会社を運営し、売る。

 豊作貧乏の問題は解決しなければならない問題である。農業者が豊作貧乏にならないためには、作物の値段がある価格から下がることがないようしすべきである、しかしそうすると、消費者の利益とならない、消費者は豊作貧乏のおかげで、農作物を安い値段で購入できたならば、そこで受けた利益は農産者にできるかぎり還元すべきである、という考え方もあるであろう、そう考えると、作物の値段がある価格から下がることがないようしすることはその妥当な策となることが考えられる。

 中国人民は、反日か反中国政府かをそろそろ白黒はっきりさせてくれや。ここで予想、反日を放って置くと、それは反中国政府に繋がる。

 無邪気な結婚は控えるべきである、それはそこら辺の奴らと簡単にくっつく、ということである。

 橋下新党は、近い将来では、私の思想・発明との合体を目指すべきである。

 タウンワークがバイト日本代表であるならば、時給がフロムAと同じで安いならば、保守の日本代表と言える。

 米・英・仏が反原発に懸念、ということである、そこで現政府は二枚舌とならざるを得なくなり、米・英・仏と国民の意見のどちらを選ぶのかを迫られる。日本の再処理継続が欧米に関係するならば、米・英・仏は核燃料棒再処理は自分の国の分は自分の国でやってもらいたい。そこで手堅い選択として政府が示すのは、核燃料棒再処理施設は継続し、原発はゼロにする、ということである。

 イスラム諸国は、イスラム侮辱映画、として米を批判しているようであるが、イスラム諸国と米は思想ではどっこいどっこいだ。イスラムもアメリカも究極を選択する、という部分は同じだ。しかし、究極を選択する、ということでは、国家主義も共産主義もどっこいどっこいだ。

 私は‘不器用ですから’、と言う高倉健は結構好きだ、今の子供達は高倉健を忘れかけている、ということで、それは明らかに年上世代に対して失礼だ。

 貧酸素水塊に対しては、バクテリアを繁殖させる、ということが、その対策だ。

 私がお笑いで一番好きなのは、‘とんねるず’だ。

 台湾は決して中国の一部では無い、あそこには原住民が住んでいた、であるからして中華の影響をあまり受けていない土地であった。そして倭寇の根拠地であった。

 極東ロシアに中国人が移住し始めているらしい。

 氷川きよしの「最後と決めた女だから」というのは非効率的だ、そこで結婚相手は世界で二番目に大切である、とすることが妥当だ。

 いじめは、残酷な幼児性の具現化である。

 アメリカの紙面は異常だ。

 中国は‘尖閣は我が領土’、とニューヨーク・タイムス誌にしたらしいが、その程度で、米世論が変わるならば、米世論も軽薄である。

 基本的に、発案者は決断を必要としない、そして決断は、結局はいつも見切り発車であり、無責任である。決断は、自分に賛成する者と反対する者を明確に分ける、そして究極を選択する、ということである。

 私は純粋に意見だけで世界を超漸進的に改革する、という試みをしている、そこでは優柔不断ということが許される、今の世の中では、決断は、自分のために行うべきことであり、巡り巡って最大多者を幸せに導く方法では無い、であるからして多くの場合は世を戦争に導く。

 しかし私の思想は、「ある程度Aであり、ある程度Bであり、ある程度Cであり、・・・、であり、それと共存して絶対の可能性はある」という方針、ということの絶対主義である。

 私の著述は著作権法によって保護されている。その著述の内容を社会に応用するためにはそこに発明が記されているならば、それを利用するためには、その著作の著作権者に許可を得なければならない、ということは自明である。特許法は、個人が死ぬまで権利を持つことが相応しい、とすることが妥当な発明の権利を20年に縮めている、これは国家とブルジョアジーの陰謀に他ならない。私はある発明については、特許出願をせず、その権利が著作権法によって守られることを選択した、この発明の利用権が著作権法で守られないのであれば、それは著作権法の本来の姿では無い。

 発明が極めて有益な発明であり、それは特許申請をしているが、申請の期限が切れていて、特許の取得に至らなかったからといって、それをまるで他の人間が利用してもかまわない、ということであるならば、その状況は、健康的な状況とは言い難い、特許申請に至らなかったものは最低限著作権法によってその利用権は保護されなければならない。

 キリスト教とイスラム教で同じであることは、愛を主張することである、しかしそれは、アジア・アフリカの考え方と反目する。

 肉類の宣伝は無くあるべきである、生き物の犠牲が少なくなるために、そこで私はマクドナルドの宣伝もケンタッキーの宣伝も無くなればいいのに、と思っている。西友の宣伝も無くなってもらいたい。

 私の思想の対極に設置されるべきものが、ヒトラーの思想である。私はヒトラーの思想が、危険で絶対考えてはならない思想である、とするならば、ヒトラーの思想の改良を行い、利用可能なものにしてみようかとも思う。

 私は世の多くの人々に信仰されている宗教・尊ばれている哲学の欠点を簡単に見つける、私が見るところ、どの宗教も完全では無い、ということが考えられる。

 私の思想はろくでもなく、後世から見れば、欠点が多く見つかる可能性がある、そこで私はできる限り良くあるために、できる限り、反省することにしている。

 中国の13億人の人間の中で、反日デモを行った人間達はごくわずかである、マスコミはそれを報道しなければならない。

 中国の外交担当者は、中国の正義が~、と言っていたが、とどのつまりは、近隣海域に石油が埋まっている可能性がある、ということで、1971年に言い始めたことであるのであるが、それのどこが正義なのかを語ってもらいたい、そして、戦前は尖閣諸島にかつおぶし工場が存在し、日本の領土であった、というれっきとした、事実がある、それは、どのような偽の正義を振りかざしても、覆ることは無い。そして中国の振りかざす正義は国家主義を第一に考えた正義であるに過ぎない。国家を超えて互いの国民人民が長所は長所として認め、短所は短所として指摘し、互いが発展して行けるように、協力すべきであるという考えもあるだろう。

 尖閣諸島は中国に奪われるだろう。その場合は、日本人は、中国を責める点を得る。中国国家に強引に尖閣諸島を奪われたならば、それは日本に軍隊を作らなければならない、という正当な理由となるであろう、しかし日本は世界の平和のために、そのように振舞うべきでは無い、あくまでも日本は自衛隊のみを持ち軍隊を持たない一番最先端の国家として、世界の平和に貢献しなければならない。そして中国政府は近隣海域を調査し、石油が無かったならば、尖閣諸島を日本に返せよな。そして国家の約束を裏切って分捕った北方領土の占有は今後ロシア国家の恥として語られることとなる。

 日本は自衛戦争を行った、とマッカーサーは認めた。資源を持たざる日本は米に経済制裁を受け、国民は極度の貧乏に陥れられた。米は同じことをイランに行っている。

 ペケポンを見て、芸能界の年老いた女優など、まるで興味が無い、そのような奴らが温存されるならば、新しい世代の人間が大勢芸能人になってもらいたい。

 芸能人とは、大勢の地方人のためにあてがわれた選ばれた奴らである、その富の偏りは是正されるべきである。その富が是正されるためには、多くの人々をよく見て、その価値は実質的に評価されなければならない。

 私はいじめを行っている、餓鬼どもは私の敵である、と思っている。

 芸能界の幸薄い表情を浮かべた女どもが無意味に高く評価される日本社会の状況は間違っている。

 今の日本では、価値の無い人間達に高い給与が支払われ、価値の無い人間達が幸せになっている、そのような状況は是正されるべきである。

 青山小学校と石神井南中学校の価値ある選抜チームによって、杉並区立井草中学校のくだらねえ奴らには、てめえらは根本的に考え方が間違っている、ということを教えてやらなければならない。杉並区立井草中学校のつっぱりどもはまじうざかった。

 そしてそこいらのくだらぬ家族が、価値が高い家族と同じだけ幸せがあてがわれてはならない。そしていじめをやっている、残酷な餓鬼どものなれの果てである価値が低い奴らには罰が与えられなければならない。そのためには、いじめられている奴のいじめのリーダーに対する暴力行使が相応しい、それかいじめられている奴らのいじめをやっている奴らに対する賠償請求が相応しい。そして多くの場合は、いじめぐらいしかできない奴らはその程度であり、その時点で慰められるべき存在である、しかし多くの場合は、いじめをやられている奴にも問題があることも事実である。

 私達の家族は全ての人間がダイヤモンドなどは、とっくの昔に卒業している、つまりダイヤモンドを見て興奮することは無い。そして大きなダイヤモンドを要求する女はその時点でくだらねえ。私達家族はそこいらのくだらぬ家族と比較されることは許されない。

 警察は次のことは認めなければならない、慶応大学の多くの学生が大麻をやっている、ということを。

 テレビCMが無くなるならば、テレビ局に1000円ぐらいは払ってもいい。

 なぜ慶応が高く評価され、早稲田が2流と評価されるかがわからない。世の中間違ってる。慶応大学は学生の数が3000人程度である。学生数が少ないから高偏差値を保っている、というところが現状だ、早稲田は学生の数が10000人ぐらいいる、10000人も入学させ、慶応より偏差値ではほんのわずかだけ劣る、ということは、慶応よりも早稲田の方が人気がある、ということである。

 慶応大学は大器晩成の者の入学を認めない、慶応大学出身者で大器晩成の人間は一人もいない、論文があるから。しかし早稲田には大器晩成の者が必ず一人はいる。

 慶応大学は、高い偏差値の人間の入学だけを認める、しかし偏差値が高いことが人間力が高い、ということでは無い。慶応大学出身者に、高校生活で、経験豊富な人間は一人もいない。早稲田は、高い偏差値から、低い偏差値の人間の入学を認めている、ということで寛容である。高校時代に遊んでばかりいた人間には、2流学部への入学のみが許される。高校時代に多くを経験したことから、勉強が疎かになり、2流学部にしか入学できなかったとしても、それは人間力が劣る、ということではない。そこで、単に勉強を始めるのが遅かった、というだけで、偏差値が低い学校にも現実的には使える人間が多くいる。

 私は結婚したならば、絶対に浮気はしない、そしてエロビデオも絶対見ない。

 女子ゲー、とかいうCMをやっていて、ウインクして、女にもてようとするアニメの男がいるが、そいつは価値が低い、その程度の男に惚れる女は所詮その程度の女である、その程度の女が私に関わることは許されない。その程度の女が私の生活を覗き、私を羨み、私にアカンベーをすることは限りなく価値が低い、しかし現代の日本社会では、価値が高い者が、価値が低い女にアカンベーされるということを余儀なくされる。

 2012年において日本のアニメに価値は無い。フランス人も一昔前の日本のアニメは認めているが、2012年における、日本のアニメは低く評価している。私が高校生の頃、教室の前の方で先生の授業をまじめに聞いている奴らはくだらねえ奴らで、紙袋にいつも「アニメージュ」を忍ばせていた。そいつらの全ての人間が、結局は半端な大学にしか行けなかった。

 アニメーターを甘やかす、どうしようもない日本社会は、中国に尖閣諸島を奪われてもしょうがない。

 私が在籍していた広尾高校は、学級崩壊の状態だった。面白い奴らで、先生の授業をまともに受けている人間は、一人もいなかった。

 しかし当時の日本では多くの道徳が日本人には残っていた。そして国民総生産第では世界第2位を達成していた。

 高校時代、私は、新島への旅行を計画した、「親にはナイショで・・・」の現場でエロキャラ全開の私に照明のスタッフの若い男に「新島行け」と言われたからだ、私は、「親にはナイショで・・・」の現場では二重人格者であった。尾美としのりと飲みに行くときはエロ全開であったが、現場の人気者であった、柳沢慎吾さんの前では、柳沢慎吾さんの高い喋り能力の前に、私は柳沢慎吾さんには愛想笑いしかできなかった。だが、新島には行けずに三宅島となった。私は新島に行けなかったことは、私達にとってはかえって幸運だったと当時を振り返る。三宅島旅行グループは私が選抜した。

 一度柳沢慎吾ちゃんを「あ~柳沢慎吾ちゃんだ~」のように言ってみた、そうしたら柳沢慎吾さんはおどけて振舞ってくれた。私は柳沢慎吾さんに対してはそれが精一杯だった。

 安田成美さんのマネージャーがコンドームを財布に忍ばせている秘密を知った。安田成美さんのマネージャーは「誰にも言うなよ」、と私に言った。私は出演者全員の前で、その秘密をばらした。

 私は高校一年の頃から、六本木の飲み屋に通っていた。小尾としのりと安田成美さんのマネージャーだった。

 私はファースト・キスは誰だったか覚えていない、でも、演技で、安田成美さんとがファースト・キスとなりかけた。私は「嫌だ」と拒絶した。そこで、カメラ位地を斜めにしてうそキスを演じた。しかし私のファースト・キスは安田成美さんとのキスシーンを拒絶した程に価値が高いわけでは無いことは明らかだ。

 徹夜明けで六本木から広尾高校に行った。その日は授業中ずっと寝ていた、阿蘇に「オールド臭え!」と指摘された。

 小尾としのりは私に「女100人とやった」、と言っていた。

 小尾としのりは安田成美のマネージャーに、「安田成美とやっていいか」、と聞いていたのを聞き逃さなかった。そうか、小尾としのりめ、そういう魂胆だったか!

 安田成美さんは私に電話番号を教えてくれた、しかし私は安田成美さんに私の電話番号は教えなかった、同業者と交わることは、私の道徳観念が私に許さなかった。

 私は皆の中で、一人乗りがいい奴として振舞った。私は高校時代は、「ヒュー!」とかしか言えない寂しい男だった。藤波はそんな私の価値を認めていなかった。

 私達は三宅島に行った。同じ旅館に同い年ぐらいの女性グループもいた。一人とびきりのかわいい子がいた。藤沢達はその女性達と楽しそうに喋っていたが、私は恥ずかしさのあまりに、喋れなかった。私はその夜をもんもんとした気分で過ごした。一番かわいい女性は、私のことが気に入っていた、ということを聞いた、だけど、私の状況がそんなところだったので、どうでもいい、と思ったらしい。正直もったいないことをしたなあ、と思った。

 女と楽しく過ごせない奴、ということで、大吾に軽蔑された。

 日本では、やはり身長が高い者が優遇される。三宅島に行った8人選抜メンバーで藤沢は一番背が高く178cmだった。

 「おまわりさんが守ってくれたらいいのに」と、今さら、警察擁護を試みる、富司純子は価値が低い。私はほとんどは勘で人を判断するが、その判断がほとんど100%当たっている。

 私は性質から言って、学と仲良くするのが、似合っている。

 私はまだ重要なことをやっていない、それは、私の高校時代が本当はどういうものか、ということを、書くことである。

 日英同盟を結んでいた英国は価値が高かった。それをアメリカが無効なものとした。中国は反日と言っているが、当時の日本を否定することは、英国を敵にまわすことでもある、中国はそれが解っているか?

 しかし私は、戦前の日本を肯定する気は毛頭無い。日英同盟を結んでいた頃の日本は健全であったが、どこかからが狂ったのだろう。

 中国人は「小日本」と日本をこ馬鹿にするが、満州は元々中国の領土では無い。

 私は規格外の極東アジア人である、規格外の極東アジア人には、規格外の極東アジア人の振舞い方がある。

 反日で済むと思っている中国人は時代遅れもいいところだ。誰か一人だけが悪い、ということは一種の幻想であって、それが本質だ。日・英・米・露・中・仏・独・伊・蘭、それぞれの国家が少しずつ悪く、ある程度良かった、というところが本質である、中国人は、まだ本質を理解する能力を持っていない人民でしかない。人民と言っていることが、第三インターナショナルの表われであるが、共産主義の面影は現実的には存在しない、国家は「経済発展が全てである」、とこれまた国家としては非常識に究極論を語り、経済発展を目指した、その時点で中国共産党は、実質的に共産党では無い。中国は3つの矛盾を抱えた国家である、国家主義と共産主義と資本主義である、そこに国家拡大政策が入っている。中国はチベットとウイグルを侵略した時点で、反日を語る資格が無い。多くの中国人はナショナリストである。そこで中国の実力は、日本の見よう見真似で、とりあえずは、経済的にある程度の成功を成し遂げただけの国家であるに過ぎない。将来の中国は三つの矛盾が混在しているために混迷を極める、結局人民は不幸な結果となる、しかし中国にも希望が残された道は存在する、反日を主張する中国人は中国人のわずかである、多くの中国人民はものごとの価値を知っている、ただその大勢の中国人民は、それを自由に表現する場・権利が与えられてはいない。

 LOVEを主張するエルトン・ジョンと俺では、人間の種類が違う。俺は愛を語る偽善者よりかは、愛が無いと率直に表明するだけ、ましである。

 今の子供達は不幸である、親の偏ったかわいがり過ぎで、やるべき経験のほとんどを疎かにしている。

 著書がDNAの進化の方向を決定付けてしまう可能性はある。

 西野カナの唄は単純言葉表現主義であり、欠落構造である。そして実現は不可能である。
 
 芸能界で一番ましな女性は北川景子である。しかし私はそんなに特別に好きなわけでは無いが。

 反日デモを行う中国人は新しい時代からすれば、負け組である。まず、誰か一人を悪者にすれば、それで済むという考え方を改めねばならない、そして現実のことは、多くの者がそれぞれにある程度悪くて、それぞれにある程度良い。

 ‘日本人を殺せ’と叫ぶ中国人に価値は無い。

 石原は、追っ払えばいい、のようなこと言っているが、そうすると報復合戦になり、紛争に発展しかねない。

 人の心の状況を一つの主語とし、語ることからまずは脱却してくれ。現実的には、ある程度の人口の国民がいるとすれば、人口の人数分それぞれに思いの丈がある。

 自民党で一番能力が低いのが安倍である。橋下をチャーミングと一言で語り、低く評価し、日本維新の会との連携ではリーダーシップを取ろうとその野心の高さがうかがわれる。日本維新の会は安倍との連携をはかる、ということで落ち度がある。私が見るに、橋下徹氏と阿倍では、橋下徹氏の方が価値があることを言っている、お前ごときがチャーミングを語れる相手では無い。安倍は橋下氏の語っていることをきちんと聞いたことさえ無い。