私は私の部屋で奇妙な現象に出会っていた。それは、テレビの前のテーブルの様なところ(それは、実はプラスチックの大きなケースなのであるが)に、本のしおりがいくつも重なっている現象であった。???それが何かが今日明らかとなった。なぜ、本のしおりがいくつも重なっていたのであろうか?それは、本のしおりがあるページを開いたまま、本をうつ伏せにして、置いていて、その中から、いくつかのしおりが落ちたものであった!私の部屋は、一つの宇宙である、まあ多くの人々にとっては、どうでもいいことであろうが、そしてその宇宙と私が主張する状況は大したことではない。──────────────────────────────────────────
────────────────────────────────────────── 2012.04.13.08:40頃 北朝鮮が、衛星の実験である、と主張するものに対して、日本政府の田中直紀防衛大臣は自衛隊に対して、“破壊措置命令”を下した。まず、最低限クリアすべきこととしては、アメリカの政府高官の、事実上の弾道ミサイルの実験である、という判断は、どのような経緯で出たのかが明らかにされなければならない。北朝鮮は衛星の実験である、と主張しているわけであるが、蓋を開けてみたならば、事実上の、弾道ミサイルの実験だったことが、明らかになれば、恥をかくのは、北朝鮮自身である。北朝鮮が、衛星の実験である、と主張しているものに対して、“破壊措置命令”を実行し、PAC-3で迎撃したならば、北朝鮮に、日本が、私達の国の衛星の実験を、日本政府が迎撃し、それを破壊することで、それが、実現できなかった、と、北朝鮮に、日本に賠償を求める、権利をみすみす、与えてしまうことになる。このような、基本的に情報が錯綜した状態で、日本政府が、アメリカ高官の主張することを、鵜呑みにし、それをもってして国家の重要事項の決定を行っている、という状況は喜ばしい状況とは言えない。アメリカの政府高官の、事実上の弾道ミサイルの実験である、という判断は、どのような経緯で出たのかという基本的なことが最低限、明らかとされなければならない。どのような情報も公平に見るべきである、という真の国際平和を実現するために、最低限必要であることを行わずに、アメリカ高官の判断を、真に受けて信じ、そこに、判断において重大な欠陥が実在していたならば、全ての責任は、田中直紀防衛大臣に発生することとなる。
北朝鮮のそのロケットをレーダーで捕らえているならば、事前にそのロケットの飛行経路を見て、そこから計算して、日本の遠く空の上を通過するかどうかは、予測可能であろう、北朝鮮が衛星の実験である、と主張するロケットが、日本の遠く空の上を通過する様子であるならば、PAC-3を打たぬべきである。これらのことから、北朝鮮の衛星の実験を見届けることが、私として考えられる、今のところの、一番の賢いやり方である。なお、世界中の歴史を精査するに、現状の、北朝鮮の、主張と、米・韓の主張のどちらかが、嘘をついていることが、可能性として濃厚となって来る。しかし、それらは、しばらく経てば、自明となることであろう。北朝鮮の衛星の打ち上げ実験が1分で、ロケットがバラバラになって、失敗した、ということが、真実であるならば、“金正恩氏”に対しては、まあ、運が悪かった、と考えることが、妥当であろうことを極東アジア平和国家島国日本という国家のたった一人の一員である立場から、彼に善意をもってして伝えたい。
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「~課長って、あの顔でチワワ飼ってるんだって」
「以外~」
というSEIYUが流している宣伝は、JAROに訴えるべき宣伝であろう。まず、顔の特徴をもってして、それを、元に、ある価値評価を行う、ということ自体が、無益である。大体そのようなことを話題にする、人々が、日本国内に、存在するか?しないであろう。しかし、この宣伝を見て、SEIYUの商品を購入することを選択する、人々が、多い、ならば、それは、喜ばしくない状況である、と私は思う。
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─早口の人に、可能性として見受けられることの一つが、思い付くこと自体の総量が少ない、ということである。しかし、それは、努力によって、拭えることであろう。
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米政府は、北朝鮮のミサイルを「テポドン2号」である、とした様であるが、どの情報でそれが、解ったのかを、出来れば明らかにして欲しい。──────────────────────────────────────────
裁判所は、木島被告に死刑を求刑した様である。3人の現場で練炭があった、ということであるが、それを木島被告が行った、ということは、最低限立証できたのであろうか?それが立証できずに、木島被告を立件したのであれば、それは越権行為である。
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ある程度は幸薄く、ある程度は幸福である世の中の状況においては、大きな解決を試みる者は、ある社会における、優勢な勢力によって、その行為は妨害されることが、それを意志するものとして、事前に心得て置くべきことであったであろう。その優勢な勢力が公明正大な観点からは、社会がこれといって、特別視・贔屓すべきことで無かったとしてもである。ある大きな解決を試みる者は、基本的に、思考において、元々はあまり深く考える性質ではなかったために、それをまずは予想はしていなかった。であるからといって、ある大きな解決を試みるものは、そのようなことでは意気阻喪することは無い。ある大きな解決を試みるものは、多くの場における複数の経験を元に、適正に主観的に考えることと、学術において得た一定の成果をもってして得ることができた客観的立場を同時に存立させることによって、その帰結として、己が取るべき最適な行動を再確認し、その行動を行う、できる限り多くの人々の公明正大な幸福を考慮しつつ。そこにおいて、ある大きな解決を試みる者は、かつて世に存在しなかった方法を取る、それは、出来る限りを主張することによって、漸進的問題解決を試みるという内容である。その方法は、過去に一切取られなかった方法である、ということが、その方法が嘲笑されるべきである、ということを証左することとは成り得ない。しかし、常識を問題解決の重要事項、として踏まえると、その、大きな解決を試みる者の主張は、嘲笑されるべきこととして処理されてしまう可能性が生じる。ここにおいて見受けられる状況が、私が常識をできる限り、用いない理由である。しかし、その大きな解決を試みる者は、常識を踏まえることは決して忘れない、ただ単にそれを出来る限り用いないだけである、ただし、そのある大きな解決を試みる者も、その自らが取っている方法が通用しない場合は、最終的には常識をあてにする。そして社会が特別視すべきでないと考えられうる勢力は、将来の歴史学の観点からすれば、必然的に、低い評価を得る結果となるであろう、その予想は大きな解決を試みる者が勝手に多分に主観的に予想したことである。その特別に優遇すべきではないと考えられる勢力とは、テレビで宣伝広告することを、広告代理店によって、許された一部の大企業、実際には学問することしか行って来なかった、経験の欠如した一部のエリート、芸能界で、特別な境遇を許された芸能事務所及びそこに所属するタレント等である。しかし、ある大きな解決を試みる者は、それらの人々が全否定されるべきこととは決して考えない。それらの勢力が、それらの者として、分際相応の行動を取るのであれば、ある大きな解決を試みる者は、それらの人々の活動を基本的に許容する。しかしその許容の範囲については、できれば世の多くの健全な思考を保つ人々によって、決められることが望ましい。
裁判員裁判の問題点は、民主主義を、最大に尊重すべきである、ということを口実に、現実的には、裁判の素人が、重大な採決に関わることとなっているということである、ただしここで私が言っておきたいことは、民主主義を否定したことは一回も無い、ということである。しかし私は、民主主義はある程度の社会の善を生み出すことに貢献しているとしても、それが最高に成熟した政治思想である、とは考えない、しかしその考えを抱くことは、公人には許されないことである、公人であるならば、そこにおいては慎重を期すべきである。しかし、現行の世の中において、その主義は多くの国々によって維持されることが望ましいであろう。しかしそう考える一方で、私は、民主主義を最高に尊重すべき思想として事実上高めることも試みる。民主主義が解決すべきこととしてまず考えられることは、それぞれの人々が・・・。
そこで私は、解決されることを目的として、現実的に民主主義によって、世で明らかになった、負の部分を列挙する、それは、解決策が見つからない場合は列挙すべきことでは無い。
私が北朝鮮に、極東アジア平和国家島国日本の立場、かつ西側諸国の一員という立場から、私が出来る限りの善意をもってして、伝えたいことは、専軍政治、ということを辞めることである。軍事によって、物事が善く解決されることは、ほとんど無い、ということが、時代を考察するに明らかなことであるからである。北朝鮮が専軍政治を辞めると、北朝鮮は今度は、国際社会において主張すべき、命題を自動的に持つこととなる。
私は、北朝鮮という国をあることを条件に認める。それは、君主制の代表として、金正恩氏が、人々のためにその体制として相応しい政治を行うことを条件としてである。私は、正直に言えば、君主制よりも、民主主義の方がより良いであろう、とは考える。しかし、現状を踏まえる観点から、君主制をまあある程度、意義があることとして捉えることが、相応しい、と考えるからである。しかし、民主主義制しか体験していない私にとっては、その能力には制約がある。しかし、私は、戦前の日本の君主制の状況と、戦後の現代の民主主義を歴史上に考察すべきものとして、ある程度の比較は可能ではある、そこにおいて、私は、明治・大正・昭和初期の日本と、戦後の民主主義体制を比較し、戦後の現代日本の方が、より相応しい状況である、と捉えている、まあ戦前の君主制にいくらかの価値はあったであろうが。しかし、このように北朝鮮に対して優遇措置をとることが、相応しくなく、北朝鮮が、まずは尊ぶべき国である、一度は認めるべきである、という方針が、日本が取るべき態度では無く、北朝鮮が、まさに害ばかりが存在するばかりである、ということが、明らかとなったならば、このような、国際社会の常識から見れば、寛大な振る舞いは、止める。
大きな解決を試みる者は、出来る限りを謙虚に振舞うことが、望ましい。そしてそれは、利己主義的道徳解釈において、有益であることが明らかとなる。ここにおいて、古き東アジアの道徳に、価値を見出すことが可能となる、ただし、だからといって、古き東アジアの状況に戻ることが、良い事である、などとは、私は決して思わない。最低限科学技術と利用されるべく文化は両立されることが望ましい。そしてこれらの考察から、世界中の利用されるべく文化は、多立(造語)することが望ましい、とある程度推論することが可能である。
2012.04.13.16:54(①NHK~国会中継)
日本の国会で展開されていることは健全である。
しかし民主党によって、実現していることは価値が低い。
愛知と関係する~
ファンタとかいう会社は、宣伝広告の内容から、子供が自由に遊ぶことを応援する、のような立場が、企業理念の一つである、のようなことを主張したいのであろうが、この後に及んで、まだ、そのようなことを主張しやがるのか?それが真の意味で、有意義であるかは、己達の脳みそで冷静に適宜に判断してから、主張しやがれ!そしてこの後に及んで、それらの価値が低い企業が悠長な態度を取ることを私は認めない。
私は、“LOVE ナンチャラ”とかいうことを私に提示する奴らにはそろそろ勘弁してくれや、と言いたい。
愛とかいう概念を私に強要する奴らには、俺として、言いたいことがある、日本の状況が欧米の受け売りが全てであるならば、その状況で、一流の国家である、と主張できるか?ということを。
愛という概念を欧米から移入することを、軽い気持ちでやっている奴らには言いたい事がある。そのようなことを行うならば、古き日本の文化とともし心中する方がましだ、ということを。
愛という概念を何の気もなしに移入する奴らは、古くから行われてきた、日本人の努力を軽視する者達であり、そいつらは、日本文化について一切語る資格が無いと私は評価する。
パヒュームとかいう奴らは俺は大嫌いだということは明らかだ。アンドロイドの切ない気持ちを歌ったなんちゃら、とかいう歌は、どのような経緯をもってして作られたかが、明らかにされねばならない。そして、アンドロイドの気持ちを尊重することと、全ての無駄な労働の問題が解消されることと、どちらを尊重すべきかを、そいつらは語る義務がある。大体において、機械以上の機能自体を作らなければ、単純に、アンドロイドに気持ちなど発生すること自体が無い。大体において、アンドロイドに気持ちを持たせることなど、開発すること自体が難しすぎる。
何の努力もなしに進化することは、まず無い。そしてその進化ということが何の努力もなしに実現されるのであれば、進化自体に価値など無い。人間において、発生していることは、人間本位の価値解釈において、進化、ということが起きつつも、多くの人間に備わった機能は退化している、ということである。
多くの価値が低い奴らの命が守られることが、ある価値が高いと考えられる人間が犠牲になることによって行われて良いのか?ある程度は犠牲になって良いであろう、しかし、無価値なことを押し付けられるまでに、犠牲になってはいけない。
世界の評価基準は、ある程度疑問視すべきである。女子サッカーの評価において、アメリカが1位であり、日本が3位ということが私にはわからない。
日本テレビが、日本を、助け合い精神のある国、と括っていたが、そのフレーズを聞いて、戦前の隣組とかを連想した。
ウォールマート9兆円、1億2000万人分の収入。
私が漫画で一番面白いと思ったのが、古谷三敏 氏の“ダメおやじ”だった。
木島被告の裁判において、裁判所が状況証拠のみをもってして、死刑と裁定したことは、裁判所の過ちである。
イランはイスラエルを敵視している。イスラエルもイランを敵視している。これは基本的にある、何の権力も持たない一人の人間が勝手に語ることであるが、そもそも、イスラエル建国において、問題は無かったか、ということが問われねばならないであろう。そこにおいて、国連等は、真に公明正大な価値評価を行っているかが、真剣に取り扱わねばならぬことである。戦後レジューム体制に問題が無かったかが、まず問われるべきことである。
金正日遺訓、というものを見たが、そこで私が見出したことが、金正日が大方は家族の幸せ実現のことに専心しているということと、北朝鮮にいる人々の幸せ実現については、まるで語られていないことである。金一家が朝鮮を終局的に統一することを目的としているが、国家が朝鮮を終局的に統一することを目的としていると語られているならばまだしも認められるが、一家が統一することを目的にしているのである、北朝鮮において、あるほんの限られた人間のみの幸せ実現を目指しているのである、それはどう多めに見ても、価値が低い。それは実現されるべきではないことであろう。そしてアメリカという大国に隷属してはならない、としているが大方、がGHQが取った政策において見受けられることであるが、アメリカは小国に隷属することを求める国家では無いということが私が第一に主張すべきことであろう、しかし、日本においては、自国の軍隊の基地を多く建設した、という事実から、まあ、ある程度は局部てきではあるが、的を得ている、と考えることもできるかと思うが、日米同盟は尊重することは忘れない
。大体において、マスゲームなどというものを、人々に強要しているが、人々に一枚の紙を提示するという低い役割しか与えていないということにおいて、それ自体が価値が低いことである、と私は感じている。
北朝鮮の指導部の人間に聞いてみたいことがある、アメリカを極度に敵視する、その理由は何なのかである。その主張に、認めるべき相応しいことが見受けられたのであるならば、ある程度は、北朝鮮という国家を評価しよう。