タリバーン | 三上祐一のブログ

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 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻(1979年~1988年)後の長年の内戦の中から生まれた。だから大元のその組織が生まれる原因がソビエト連邦にある。

 また、強力で安定的な政権は中央アジア安定化につながるとして、アメリカ合衆国の支持を得ていた時期もあった。当時のアメリカのユノカル社が中央アジアの石油・天然ガスをアフガニスタンを経由したパイプラインでインド洋に輸送することを計画しているなど、中央アジアの安定化に関心を寄せていた。アメリカの議会関係者や国務省関係者が和平の仲介を行おうとしたが、和平は成立しなかった。そこで、和平を断ったのがタリバーンであるならば、そのアメリカの善意のある対応を受け入れなかったタリバーンのせいで和平は実現しなかったのである。

 私達の国には、幸せなことに、軍事力が無い。その強みを生かし、タリバーンにアプローチするには、私達の国のやり方として、わずかばかりの勇気を持って、武器を一切持たずに、まずは言葉のやり取りを行うことでタリバーンが良い状況になる希望を持ち、タリバーンにはアプローチさせてもらう。

 私はタリバンに今のところは高い価値が見出せない。タリバンは、なぜ偶像崇拝が否定されるのか、なぜ、女性は一切教育されてはならないかを、国際社会において、誰もがわかる形で説明する義務が最低限はあるだろう。そして偶像崇拝を否定するのであれば、実際に日本に来て、多くの偶像を見てもらいたい、なお日本に来るときには当たり前のこととして武器は置いてこなければならない。それを見てもそれが価値が高いと彼らは感じることができないのであれば、それはそのような状況であるのであろう。なお、偶像崇拝を否定するならば、それは、遠まわしに、フランスの印象派の画家他多くの人々が書いた人物像も否定することにつながるであろう。そして高い価値の表情というものは、現実には多く存在する。そして偶像崇拝を否定している彼らは、人々の表情を理解する能力が低いことが疑われる。コーランでアッラーは偶像を否定している。しかし、アッラーが現実的に見た偶像が、雲崗辺りのものであったならば、それは価値が低いであろう。

 ターリバーンは1996年9月に首都カーブルを制圧し、国連施設に幽閉されていた元大統領のムハンマド・ナジーブッラーを引きずりだして公開処刑として惨殺した、ということであるが、それは価値が低い行動であったであろう。そしてターリバーンの支配はすべての音楽を禁止するなどイスラム原理主義に基づいた厳格なものであった。ターリバーンはパシュトゥーン人の部族掟「パシュトゥーンワーリ」に従い、パシュトゥーン人以外の民族の不満を招いた。このパシュトゥーンワーリは一部報道では実際にはイスラム教のシャリーアの代表的解釈とは相容れない部分があるとも言われている、ということであるが、なぜすべての音楽を禁止したのか、正当な理由がタリバーンによって、説明されなければならない。そして、その行ったことに民族主義が含まれている、という部分でもその価値は低いことが考えられる。またアル・カーイダと接近してからは、その過激原理主義の影響を受け、パシュトゥーンワーリからも逸脱した、偏狭頑迷なイスラーム解釈をアフガニスタン人に押し付けるようになった。このことにより、アフガニスタン国民からの支持は低下した。

 ターリバーンは過度に今までの娯楽や文化を否定し、また公開処刑を日常的に行うなど、過激な活動をおこなった。これは市民に対する見せしめであると同時に、娯楽の無い市民を巧妙に操る手口であり、多い時には1万人もの見物客が公開処刑に詰め掛けたといわれる。ということであるがそれは価値が低い行為であろう。

 また女性は学ぶ事も働く事も禁止され、外出さえも認められなかった。外国人も例外ではなく、女性の国連職員は入国が許可されなかった。なぜ女性は学ぶ事も働く事も禁止され、外出さえも認められなく、外国人も例外ではなく、女性の国連職員は入国が許可されなかったのかの正当な理由がタリバーンによって説明されなければならない。1996年、ターリバーン政権はウサーマ・ビン=ラーディンとアル・カーイダの幹部を客人としてアフガニスタンへの滞在を許した。アルカーイダは、「対米宣戦布告」を行うなどそれまで引き起こされていた数々の反米テロの黒幕と推定されており、またイスラム諸国からも異端視されていた組織であり、ターリバーンは周辺諸国から孤立し始めた。

 テロは、複数の他人をまき沿いにする行為であり、現世上の複数の人々の幸せを奪う、ということにおいて、価値がかなり低い。テロを行え、とアッラーはいつ言ったのか?自分はある宗教を信じているから怖く無いから、現世上を生きる他人を巻き添えにしてもいい、という考えは、身勝手である。

 ここにおいて、アメリカとタリバーンとの間に過去の一切の不幸は水に流し、和平が実現されるべきである。わたしはタリバーンは話がわからない人間達ではない、とは基本的には思う。