慶応出身者で私が一番能力が高いと認めている人は、勝間和代氏である。もう一人は秋元優里さんを候補としてあげようと思ったが、原発における「あー笑えてきた」という失言を知りそれは撤回する。
三上祐一「軽い女だな」
、なお彼女の発言の原因には、東京でしか過ごしていないという実態があるであろう。人間的内容を深める為には、最低でも、地方の実情を知る機会を得なければならないであろう、まあ東京の裕福な家に育った経験しかないのだからしょうがないのかもしれない。彼女はその発言で、世界中、日本国内の地方の人間を敵にまわしてしまったようだ。私は地方については、おじさんが石川県金沢市に住むことから、小5~中2までの夏休みにまるまる一ヶ月、そこで過ごさせてもらったことと神立高原スキー場における、パトロール業務で、鬼軍曹住安誠との4年の作業の経験がある。新潟県人のポテンシャルは高いことを知っている。しかし頑迷な人間も存在することも否めない。しかし新潟において、神立高原スキー場ゲレンデ管理パトロール隊隊長高杢ヒデさんのように最高にかっこいい男が存在することも知っている、神奈川県川崎市宮前区で過ごした経験と千葉県行徳に住んだ経験がある、練馬区下石神井に住んだことも、杉並区井草に住んだこともある。そこら辺りの判断から、私は福島の土地を買っている。要するに私は地方の人々の能力の高さを知っている。
秋元優里の「ふざけんなよ、また原発の話なんだろ」「あ、笑えてきた」 失言の事実を知って、私は、フジ女子アナの中でNo.1であった秋元優里の順位を限りなく低く下げた、私の彼女に対する評価は、経験の乏しいミニスカートばかりを履いている軽い慶応女といったところだ。慶応の国語能力偏重主義に嫌気もさしてくる。そこにおいて、フジ女子アナの中でNo.1は私と同じ早稲田大学商学部出身の石本沙織となる。元々能力の高い人間への反感が爆発する、俺なんか、もともと訳わかんねー奴だったからここまでくるのにエッレー苦労してるんだぜぇ、あきもっちゃんよう!能力が高いゆえに、常に本気を出さずにぬるま湯環境で育った者に対する刑罰じゃ(新アッラー)。中間期末のテストとかで、勉強しなくても結構いい成績取れたんだろう、このう。俺なんか、チェックペンだらけだゾちきしょう。なお、私もこの歳になり、高い能力自体に惚れることなんて一切ないんだよなー、もうそんなのとっくに乗り越えているよハハハ残念!能力自体に惚れることは、俺の経験の尊重主義とは合致せず、無理。危ない危ない、この程度の女に高い評価をしそうになってたなんてね、怖い怖い、でもその可能性は常に感じていたところだから、俺は今までに保留以上の評価は下したことなかったけどね、素性が解って安心安心、もう彼女に価値を見出す可能性はない、彼女が多くの苦労を積み重ねること以外には。まず私とその人とは、互いに共感が出来ない現実がある。そしてここにおいて慶応女子がどの程度なのかが解った。しかし彼女はその発言をそのときに居合わせたマスコミの記者仲間との共感の中で発したのであろうから、しょうがないところであったのであろうとも思う。
しかししばらく経つと違う推測が頭の中を過ぎった。「ふざけんなよ、また原発の話なんだろ」「あ、笑えてきた」は彼女なりに感じた、国難に対して菅首相にもっと高い対応を求めた要請の気持ちで言ったのであろうことを。そこにおいて、世の多くの人々の、彼女に対しての被災者を馬鹿にしている、という考えは、間違いであることを感じる。私はそう感じ彼女を擁護したい。そして彼女に対しては、私が見て取れる慶応出身者の中では勝間和代に次いで2番目に能力が高いであろう、というもとの評価に戻る。そして彼女は慶応出身者の中で1番に女性としては魅力的である、という気持ちに立ち戻る。
しかし、私は、正義の観点から、“愛を超えて平等”の気持ちを超えて彼女を愛する、といった気持ちは持てないであろうと思う。彼女が私を知ることがあったならば、“愛を超えて平等”の私の気持ちは、社会的善のためには(これは私が勝手に思う気持ちであって、多くの裕福な人々にとっては悪であろう)変えない方が良いことを理解してもらいたい。つまりは彼女に対しては冷めた気持ち以上の気持ちは持つことができず、知り合うことがあるならば、友達であるということが、私と彼女の関係では相応しいであろう、ということである(この気持ちは私の勝手な余計な気持ちであり、どうでもいいこと以上では有り得ない)。そこにおいて、私は彼女のニュースジャパンの彼女の番組終わりの爽やかな笑顔は微笑ましい、という気持ちは私が彼女に対して持つべき最適に相応しい気持ちであろうと思う。