三上祐一が2011.09.14~09.16に考えたこと(エッセンシャル) | 三上祐一のブログ

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 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

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 2011.09.14~09.16期
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 アジアにおいて、日本は、中国も大切であるが、インド・中東・東南アジア・トルコも大切である。

 国民は民主党のマニュフェストはほとんど読まずに民主党に投票したのが実情ではないか?

 笑い飯 が 私が頷いたら頷いた。

 日本共産党 法人税減税をしなければ、国際競争で負ける。 歳出削減すべきである、ということは良い案である。

 除染 広島の20倍「まじかよ」

 TPP~〔連想〕~ASEAN+JKAの方がいいだろう。

 国会中継で、たばこを吸ってテレビ画面を見ていたら、小宮山さんが、カメラをにらめつけていた。これは偶然なのであろうか?

 武器輸出三原則は、検討すべきであるが、現状維持の方が良いであろう、それが、平和国家、日本が辿るべき道だ。

 TPPはアメリカによって、歪められた道だ。日本にとっては、ASEAN+JKでいいじゃん!

 下手すると、福島は、日本のゴースト・エリアとなってしまうかもしれない。

 伊集院静氏に対する私の意見:「つらい思いも、良い思いも両方していなければ、駄目だ。」 
「稲垣さんって、年上の人にものすごく、かわいがられるんだなって」
私「彼は若者全般をレスペクトしている」 

 アイドリングを見て イメージなんかどうでもいいじゃねーかよ、実質的幸せさえ掴み取れれば。

 現代天文学は、太陽の周りを地球がまわると考えているようであるが、北極南極の先に、地球の深い部分があるかもしれない。
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(⑧) 参院本会議で野田 任命責任は私に

 なでしこを見るに、日本人には、オリンピック出場を決定したのに、国民はあまり、喜ばない、という現実が浮き彫りとなった。

 ゲーム業界において、無駄な競争が行われ、結局は国益が損なわれていることは、私にとって喜ばしくないことである、まあ、国益にがんじがらめにさせられることはあまり良くないことであるとも思うが。そこで問われるべきことは、無料ゲームは実利を生み出しているのかどうか、ということである。

 日本において、国会議員は演説を立ってやらなければならないことは、多くの不利益を生じさせているように思える、まあ、特別なことをやっているんだから、それぐらい気合を入れろ、みたいな話もわからなくはないが。国会議員は座って演説もできるようになるべきである、と私は思う、そうすると、演説者には体力に余裕ができ、多くの良い案が浮かぶことも考えられる。私の話は、既にクドイ領域に入っている可能性がある。

 私は私自身の義務として、年の差婚をあまり認めない、それらの考え方は、最終的にはそれぞれの個人の自由であろうが。 渋谷センター街が、バスケット通りになることを、私はあまり喜ばない。背が高い人間ばかりが良い思いをする世の中は、不公平である、と考えるからである。そこにおいて、私たちの会話には「あの頃あそこら辺は『センター街』って言ってねえ・・・、」という話が展開されることが予想される、私達の話が、若者達の気持ちを掴むかどうかは、私達の世代の人間達の双肩にかかっていることである、「ああ、俺達って老けたなあ・・・」しかし、それらの話が歴史性を帯びることで、価値が上昇することも、まあ考えられることではある。

 ユナク入隊~からの~!徴兵制が、韓国男子の国民性を生み出していることは、まあ考えられる。

 GACKT 大いに踊る 「大槻ゲンジ入ってんだろ、それでいいのか?GACKT」

 女は基本的に、シワに対しては、刷り込むことが、最大の防衛策である。

 世界の理工学研究の底上げを図るならば、主に数学をまずは、もっと興味深く思える教科にすべきである。そこで考えられることが、「数学~結局何に使うか」が作り出されるべきである。

 台風を見て(~からの~!~)地球が生きているのか?地球の命が、人類によって蝕まれているのか?俺にはようわからんが。

 圧巻の遺作公開 エイミー・ワインハウス トニー・ベネット ~〔連想〕~ そこにおいては、思いっきり、ショー・ビジネスでの、裏心が読み取れる。そうであるならば、まだ私の方がましだ、私に愛は無い、とはっきりと明言しているのであるから。

 私には愛は無い。女は愛を実現するために、こずるいことを考え出す、そして女はそこにおいて、ねちっこい展開を目論んだりする、しかし、私には、ねちっこいことなど出来ないという現実があった、それが、私の愛に関する現実的思い出である、であるからして、私は胸を張って主張する、私には愛はない、と。私は元々愛など必要としない種類の人間なのだ、それが私の本質なのだ、そしてそれが多くの極東アジア人の現実なのだ。日本においては、仮面夫婦が多く存在するのが実のところであろう。極東アジア人よ、愛の幻想から目覚めよ!

 そして、愛の現実は、そこら辺にたまたまいた異性との結婚と、そこから生じる、様々な女とのねちっこいやりとりなのだ、そして男に待っている現実は5年後辺りに来る愛の停滞である。愛をうたうのであれば、少なくとも、この人しかいない、と確信できる多くの異性から、選べよ。そこで、私が愛に準じるもの、と考えるのが、冗談言い合える、余裕のある異性との関係である。
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 アッラー「人間達を観察しておると、我も思い直すことが多くあった」

アッラーは慈愛ふかく慈愛あまねきお方。

 アッラー「一般的に女性は行為を重ねれば、男子への思いは深まる。しかし、一般的に男は短期間で女に飽きてしまう、という現状がある。女は愛を追いかけていればよい。しかし、極東男子においては、なすべきことがあるゾ。やりたいようにやらせておくが良い。そこにおいて、不義が認められれば、彼らには懲罰が下されるのみゾ」

なお、私は女と行為を重ねたことは、一例あるのみ。

アッラー「我々と、キリスト教徒の間で、共通することがあるぞ。それは、『愛』じゃ。なお、ユダヤ教徒は、愛を主張はするが、基本的には二枚舌じゃゾ。そして拝金主義者達じゃ。その上さらに、裏切り者」
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 アラフォー女性で、セカンド・バージンを語っている女性は、根本的に、経験不足である。そこにおいて、草食男子も経験不足である。1964年(兄)~1969年()生まれの私の時代には、世の中に活気があった。そして、複数の特別な経験を望めば、大体は叶えられる状況であった。現代の幼少期・10代、20代前半の者達には、それらの複数の特別な経験を望んだとしても、叶えられない現実がある。現在41歳の私から見るに、私の世代は、私と10歳ぐらいの年の差ぐらいの者達には、共通の世代感覚がある、と感じる。私は各世代が独自に持つ世代感覚を尊重する。しかし、私からみて10歳以上年下の者達の多くは、子供が大人になったようにしか見えない。それらは、勝ち組の理論を受け継いだ世代の者達が親となり、そればかりを重視し、その結果、社会においては、色々な立場を軽視したことにより、単一的な社会様相をもたらし、そのような教育を、子供に押し付けた結果であるように思えてならない。
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 京島。
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 竹島問題については、その島を領有した時期が明治38年である、ということから、日露戦争が生じ、第一次日韓協約・第二次日韓協約が交わされたという歴史的背景から、日本が韓国から一方的に新たに得た領土であることが推測される、推測されるものは、事実が明らかにされるべきである。そこにおいて、もしその私の推測が正しいのであれば、日本は竹島の領有については、拘るべきではない、というのが、私の考えである。そこにおいて韓国政府が、1905年1月28日に日本政府が竹島を自国に編入すると閣議で一方的に決めたことで日本の実質的植民地支配は始まり、日本による竹島編入が後の韓国併合の始まりという主張は頷ける。しかし、もしそうであるとしても、韓国がそれを奪還する方法が軍事力の行使によるものであり、多数の日本人の殺戮が現実的になされたことは、どう見ても強引な手法であったということは、遺憾である。かつての朝鮮国の現在の一方の国は、自らの国名を大韓民国と帝国主義的な名称に改めた。そこにおいては、時代遅れの国家の名称であることが伺える。大韓民国は現実的に、日本が弱い立場に陥った隙に乗じて、竹島(韓国名:独島)を奪った、ということは、人道上において、問われるべきことである、それは決して褒められる行為ではない、はっきり言えば人間として恥ずべきことである。

 中国においては、尖閣諸島の領有の主張は、どのようなプロセスをもって、もたらされたのか、の事実が明らかにされなければならない。それが、領土拡大の野望の上に築かれた主張であるならば、その事実は、断固、認められない。現実的には、近海に、石油の埋蔵の存在の可能性があるという情報から、急に主張し始めたことであることが考えられる、それが事実であるならば、そのような一方的な自国の利益本位の身勝手な、日本と中国において国際関係上重視しなければならない領土上における主張の変更は、認めることはできない。そこにおいて、お互いの国家にとって、ベターな選択としては、互いの国が尖閣諸島には関わらないことが考えられる。しかし、日本のSMAPを受け入れてくれた中国には感謝する。そして、互いの国家にはより深い、友好が実現されるべきである。そこで次以降のプロセスで、もたらされるべき幸せは、中国のアーティストが、日本で公演を行うことである。

 第二次世界大戦において、ソ連は、日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、我々の国との約束を裏切り、私達の領有していた、固有の領土である北方領土を、不法に占拠した、というのが歴史的事実である。その行為は国際法の立場からも認められぬ行為である。それらの事実は、ロシアの汚名となり、恥となることであろう。へたをすれば、国家の存亡をも揺るがすような、問題となることも予想されることである。そこにおいて、ロシア国家の価値として、ロシア国民の心情において浮き彫りとなることが予想されることが、正義の不在の疑義である。

 普天間問題については、野田首相が、努力を行っていく、と表明した以上は、この際、首相が変わったのであるから、最低でも、一回は米国に、グアムに移転する意向は無いか、を実際に聞いてみることが考えられる。しかし、もしも、普天間基地の軍隊の機能の多くは、現実的にグアムに移転され、辺野古には、その一部機能のみが移転されるのであれば、ある程度の普天間基地の軍隊機能の軽減はなされた、と見ることはできる、そうであるならば、沖縄県民は、アメリカはある程度の普天間基地の軍隊機能の軽減は、実際に行ったという事実については、認識すべき事実である、そして、米国は、軍隊の展開によって、米国至上主義を世界に広げることを考えているという推測が、当たっている可能性が高い、という現実も認識すべきである。要するに、米国は、新しい時代にふさわしい、平和的解決方法は持ち合わせてはいない、という現状が浮き彫りとなる。

 日本は自衛隊のみを持つ、ということによって、世界に平和をもたらしている、という現実がある。そこにおいては、日本人は軍隊を持つ国々に軍隊を持たずして対峙しているという事実から、真の勇気を持ちあわせている、という事実が明らかになる。そして、もしも、他国によって、日本が侵略されたならば、そのときこそ正に、真の勇気の実力行使の大義名分を得る。そこにおいては、真の勇気とはいかなるものかを思う存分に示す実力行使の権利を得る、という日本人の特質上、本来的に好ましい状況がもたらされる、そして、日本人は、その光栄によって、武者震いをするという、喜びを得る。しかし世界の平和の時代は終わりを告げる、それが好ましい状況かそうでないかは、各国が考えるべきことである。

 日本が経済大国になった現実。多くは、戦後の勤勉な人達による、労働の犠牲の元に、日本にはある程度の経済発展がもたらされた。そして多くの富は、インフレによってもたらされた。それらが、偶然もたらされたものであるならば、一層の経済学の発展が必要である。

 世界においては、それぞれの国家が、国家として当分の間は、存在しなければならない、というのが現状である。関税の撤廃による、自由貿易が行われるのにふさわしい状況は、関係諸国が、互いの国を、充分に理解した上で、国がそれぞれの地域となる、という状況がもたらされたときである。そうなるためには関係各国が相互に理解を深める努力が積み重ねられ、その歴史の蓄積が求められる。そうでなければ、各国が国益の実現を重視することに走る恐れは拭い去れない以上は、小国は、ある程度の自給率は確保しなければならないのが現状である。

 ベトナムは、共産主義を導入していて、ベトナム戦争において、アメリカという大国と戦争をした。そしてベトナムは、その戦いにおいて、勝利し、共産主義国家の樹立を実現した。しかし現実的に共産主義によっては、歴史の経過と共に、虚しい現実がもたらされることが明らかになり、国家が現実的に幸せが達成されるには、資本主義を採用すべきであるという意見が多数を占めることになり、米国は正しかった、という国家的結論を得たことが考えられる。しかしそうであるならば、ベトナムは、アメリカを信奉しすぎである、という状況は考えられることである。米国には、資本主義国家である、という現状から、様々な問題が横たわっている、まずは、国家内に富を手に入れるためには、非効率的な競争原理主義が存在するという問題がある、そこにおいては、自国内において、現実的に富を得るためには、競争に打ち勝たなければならない、という現状があり、そこにおいてもたらされる富は、一部の人間に限られてしまうという現実がある。そして、企業においては、営業力を持たなければならない、ということから、ホワイト・カラーに多くの賃金が支払われるという無駄が生じているのも事実である。企業は、本来は、それぞれの企業各社が、独自の特色をもった製品を生み出す研究が多くなされ、その実現に勢力と資本が注がれ、それを創出すれば、同業種における、各企業の共存、というより好ましい状況は結果的にもたらされる。しかしそこにおいては、多くの資本を持った大企業だけが、生き残るという、ある程度好ましくない状況が生み出され、多くのベンチャー企業が生み出されないという状況が生み出されることが予想される。

 中小企業が現実的により多くの富を得るためには、中小企業同士の連携によって、独自の高機能商品を生み出すことが考えられる。そこにおいては、中小企業内に、大企業によってのみしか、作り出すことが出来なかった、と考えられていた、高機能商品を生み出すことを実現するために存在すべき人材が求められる。そのような人材が出現することによって、営業力という、非効率を持ち合わせる大企業よりも、低価格で高機能商品を生み出すことが実現される。そこにおいては、国際競争において、価格上どうしても打ち勝つことができなかった他国の大企業に打ち勝てる、競争力を持ち合わせることが可能となるという状況がもたらされる可能性も生じる。しかしこれは私の独自の意見であり、検証されるべきことである、それらの実現によって。
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 ◎◎◎◎◎問題は日本国政府内にあり。政府税調などである。民主党は至って健康的な党である。そこにおいては、無用なプライドによって、無用な増税案が提示されたことが考えられる。まずは歳出削減を行うべきである。そして野田氏の政府税調に対する指示は適切であった。まずは、政治主導が実現されるべきである、そして無用な官僚は徹底的に排除されるべきである。そもそも、なぜ政府税調によって、増税案が示されたのか、政府には基本的にはそのような権限は無いはずだ。民主主義国家であるならば、民主主義のプロセスにおいて、政策は決められるのが基本である。そしてタバコに対する増税は、私に対する悪意しか考えられない。タバコの増税ばかりを求めるのは不公平である。

 まずは官僚制の欠点を指摘する。官僚は組織である。そこにおいては、個人としての責任から常に逃れている実態がある。そして東大閥を形成し、集団の利益の達成ばかりを考えているのが実情である。私は東大出身の奴らを数人知っているが、人間的にはつまらぬ奴らばかりであった。そして、その東大の奴らは、東大の医者の息子で医学部の奴が、睡眠薬を入手し、女達と睡眠薬遊びをやっていた。

 そして人間的に尤も最低の人間も見出した。そいつは、東大のボーイズ・コミュニティーの私の3年上の奴である。私は写真のシャッターを押すことを求められた、私は、「いいですかーはい撮りますよー、はいチーズ!」と言って、にこやかな状況を作り出すことに腐心した。そして撮り終えたら、私に何のお礼も示さずに、一言も口の一つも聞きやしなかった。そこには“俺は東大の人間である、だから偉いんだ”という全くもってして、私にとっては何の得にもならない、振る舞いがあった。東大の奴らなど、所詮はその程度である。

 そしてGTOというサークルが存在したが、そこの奴らのネーミングの由来は、“ギャル・トッテモ・おいしい”であった。東大の奴らに気に入られ、現世利益の達成を図った、そこのある女は、私をそのようなくだらぬ奴よりも下である、と評価した。

 東大のボーイズ・コミュニティーに入っていた女子は美人であったが最低に腐っていた。東大の奴らの嫁になることが、美味しいことである、という、くだらぬ動機から、東大の奴らに取り入っていた。

 しかし東大の奴らの中にも、思いっきり面白い奴は、一人だけいた。福島、という男だった。そいつは都立狛江高校出身で、東大理工学部への入学を達成した。

 しかしNHKのアナウンサーは東大出身であろうが人間性は高そうだ。

 そしてみんなの党の渡辺喜美が示す、改革案は規模において、あまりに小さすぎる。国会議員の定数削減とボーナスカットなどを示したが、そんなもので、実現される財源はわずかしかない。それは、政治的パフォーマンスである。現実的に存在するのは、官僚と自民党とみんなの党の癒着体質である。まず求められるべきものは、無用な官僚の徹底的排除である。

 早稲田は現実的に最強である。なぜならば、慶応大学は全生徒数は3000人であるが、早稲田の全生徒数は12000人である。そこにおいて、多数決において、常に慶応大学の奴に勝る、という現実がある。しかし早稲田の人間は、そんなことはどうでも良いのだ。早稲田の人間は、下らぬことに本気になることはほとんど無い。そして早稲田にはバンカラの伝統がある。慶応大学には裏口入学が公然と存在する問題がある。

 私は要領主義の人間である、であるからして、受験科目がより少ない私立を希望した、それ以前に私は父を尊敬していた、その父が早稲田大学政治経済学部の政治学科出身であったから、単に早稲田を目指した、というところが現状だ。東大の奴らは要領主義において、基本的に無能である、私は、下らぬ勉強をするくらいならば、高校時代の貴重な時間を出来る限り経験することに使った。それらの考え方は私は父が私に語ることから、考えた。そして要領主義において、基本的に無能である奴らが最高の幸せとして思いつくのが、官僚になること程度なのが現状である。基本的に東大の奴らは、勉強に時間を割き、経験不足だから、面白い発想を創出することが不可能である。そんな者どもが大人になって実現することが組織的癒着やワタリや天下り程度である。

 私の父は、石油大手企業に就職したが、そこにおける仕事が低レベルである現実に飽き飽きして、6ヶ月で石油大手企業を辞める。
 そして「興陽エンジニアリング」という会社を運営していた。
 私の父は事業家であった。そして「カルシー」という商品を開発した。それは、水溶性カルシウムであって、毎日飲めば、身長が高くなることを可能にする画期的な商品であった。
 私の父はラーメン屋もやっていた。一日300杯を捌いていたらしい。しかし、私の兄が、青山小学校教師に「ラーメン屋の倅が」と小バカにされたことで、母が不満を感じ、「ラーメン屋なんか嫌だ」と言ったことで、廃業を決める。
 他にパチンコ屋を経営していて、ラムネ屋もやっていた。新橋で「浜達」という魚を主体にした居酒屋を始めた。それは当時は画期的であったらしく大いに繁盛した。
 私の父親は、マレーシアに乗り込み、蚊取り線香工場を経営し、そこに蚊取り線香を広める事業を行なっていた。そんな父が私に語ったことは、「(石油会社の)シェルにやられた」ということだった。
 父の敗因は、基本的に考える時間が足りなく、素晴らしい商品発明を行う時間が無かったことである。
 尚、私は、私の父親よりも顔で怖い人間を知らない。

 大体において、単に偏差値が高い者が有能である、と誰が決めた?そんなものは決まっていない。私は、偏差値が高い者ばかりが集まる高校は、つまらない奴らばかりである、と考えていたから、高校はあえて偏差値60程度の学校を選んだ。なお、成蹊学園出身の高島彩さんは慶応大学出身のどんなアナウンサーよりも能力が高い、という現実がある。

 市立船橋に受かっておきながら、我が都立広尾高校に入学した藤波基弘という奴は、私と同じような考えを持っていた。稼業はペンキ屋だ。しかし基本的に思い込みが激しかった。そしてすぐに嫉妬した。彼は、早稲田大学の商学部への入学を希望していたが、それを実現しなかった。

 東京の満員電車の状況は、許容範囲を超えている。そこにおいて、東京の機能の分化が求められることである。そして私は、ある現実を知っている。それは東京人と地方の人々では、能力において、ほとんど差はない、という現実である。それは東日本大震災で見る機会が多くなった地方の人々の現状を垣間見ることで知った。
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 日本銀行が国債を全て買い取るべきというのは、良い案である。
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 私は、ドカベンのいわきが好きで、私の母にサンマ弁当にしてくれ、と言ったことがある。