三上祐一が2011.08.24~26に考えたこと(エッセンシャル) | 三上祐一のブログ

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 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 バガヴァッド・ギーターは、“それは諸々の光明のうちの光明であり、暗黒の彼方にあると言われる。それは知識(真知)であり、知識の対象であり、知識により到達さるべきものである。それはすべてのものの心に存在する。”、としているが暗黒と光明が同居しつつ、それらが、光速以上のスピードで離れていけば、それらは同居できる。

 また、吸い込む暗黒がブラックホールなのであろう、それは、地球から見て暗闇の部分が、光速以上のスピードで離れつつあることが考えられる、そうであるならば、宇宙は単に膨張しているだけであるとは言えない、人間は光よりも早い乗り物を作り出せば、それがタイムマシンとなるであろう、それで未来に辿り着くことは可能になる、いや、逆かもしれない。

 それでは過去に行くにはどうすればいいだろうか?

 地球から広がりつつある光を眺めるべきである、そのためには超光波などの技術が必要となるであろう、それでは、できるかぎり過去を忠実に実現させるにはどうすれば良いだろうか?

 遺骨からDNAを採取し、それらの人物を再生させ、それらの光の構成員をそれぞれの者とすることが考えられる、それによって、過去の痛ましい惨事を惨事では無い状況にした世界を体現することも可能であろう。


 それでも駄目で過去に行くにはどうすればいいだろうか?例えば1000年前に行くには、光より早いスピードの乗り物に乗り、1000光年の地球から広がる光の外縁の一部にまずは移動し、そこから、地球に瞬間的に移動すれば良い。 では、未来に行くにはどうすれば良いのだろうか?時間の軸の逆向きに進めば良い、最低でも時間が静止している状態、それは死を意味するのかもしれない、それを満たさなければならないであろう。人間は死ぬと、限りなく将来に近づくのかもしれない、いや、それでは、人々は未来に辿り着けないであろう、人間の意識は、止まって行く意識の中で、限りなく一瞬を長く感じるのかもしれない。

 この世界が光で出来ているのであれば(本当は光と闇で出来ている可能性が高い)光に闇をぶつけてみればいいのかもしれない。

 それよりもいい方法があった、未来に行くためには、人間の生命を医学の力で限りなく長くし、未来に辿り着くまで、その人間を冬眠状態にするのである、まあ、今のところは、将来に行く必要性は無いであろうが、そして未来にはもっと進んだ生命医学が存在するであろう。過去に行く道は、私は示した、これらを実現すれば、人類は、未来にも過去にも自由に行けるのである。例えば未来に行って、現代に帰って来るには、現代に帰ってくる輸送機械を、ある場所に隠しておけば良い。過去から現代に帰ってくるには、その薬を過去に持って行って、飲めばいいであろう。

 いや、光よりも早いスピードになれば、一瞬が限りなく永遠に近くなるのかもしれない、そこで科学者を組織化すれば現代において、一瞬にして、素晴らしいものを作り出せるではないか!しかし、ぶっ飛びの超ド級のスピードを実現すれば、過去に舞い戻ることは、可能である可能性は否定できない。


 過去と未来とどちらが必要か?どちらも必要なのである。