最先端宗教科学 | 三上祐一のブログ

三上祐一のブログ

 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 永遠の生命を得るために必要なことは、死後の人体の保存である、それは薬漬けにされるならばされるべきである、そして何千年か後に薬の成分を中性化し、人体を復元する技術を持つことが期待される。火葬してしまえば身も蓋も無い。しかしその時に死者に意識があり、火葬によって天国に召されるべきところが、そうならないで、ずうっとじれったい気持ちを持つのだとしたら嫌だ。そうすることによって永遠の生命を手に入れることは可能かもしれない。しかし、ずうっとじれったい気持ちを持つのだとしたらその気持ちは癒してもらいたい。そして私は将来的に生まれる意義が無ければ、永遠に止まったままの命の状態が続くことが考えられる。これが宗教科学上で一番先進の発想ではないか?しかし、だからといって、どこかの誰かが犠牲になってもいけない、私は現日本における習慣から察するに、火葬されるのが望ましいであろう。しかし、できれば、私の停止した命に、小さい意志が継続されて、命がまた蘇るべきとき、というものが、見受けられたならば、そのときに、私が自由に命を蘇らせることができるようでありたい、そして、小さい意志が継続されている状況で感じられる気持ちは心地よい気持ちであってもらいたい、そして、命の終わりを決定できる能力も持ち合わせていたい。そして、世界の状況を感を通して感じられる状況が実現されていることが望ましい。
 DNAによって肉体が再生されて、宇宙において、同じ環境下で行動させる、という方法もある、しかし、その場合は、過去の人間の尊厳は生かされない。人間の意識の構成体をDNAが再生された肉体に移植することはまあ考えられる、しかしその場合は、再生された肉体に元々宿った尊厳が犠牲になることが考える。DNAによって、再生される肉体は人間の意識の構成体の部分が空虚なものが作られなければならない。そこまでやらなければ、人間の尊厳は守られない、といっていいであろう。そして私の再生後は、私の行ってきた、便宜は与えられる状況であって欲しい。しかし、母が火葬されたならば、私も火葬されるのがふさわしいことであるかもしれない。そしてこれらの思想が、私の、行けるとこまで行っちゃおう、の考えの内容である、現時点において。そして、出来る限り多くの人間もそのような状況を与えられるべきである。しかし、子孫を残したものは、本能を満たせたのであるから、火葬されるべきである、という考え方もあるであろう、しかしそれらの人々にも出来ればそのような状況が与えられるべきであろう、そうすると、有限な資源を無限に作り出す方法が編み出されなければならないかもしれない。