みごとに説かれた<理法にかなった言葉>である<道>に生き、自ら制し、落ち着いて気を付けていて、尖のない言葉を奉じている人を、修行者たちのうちで第三の<道によって生きる者>と呼ぶ、ということであるが、理法は言葉のみではない。言葉以外のなにかでその理法を表現することは将来可能となるかもしれない。それは直感語、とでも言うべきものである。それは、一瞬にして知ることができる特徴を持っていて、言葉のような理屈で出来上がっている。そして、ひとのためにわざわざ尖のある言葉を選んで使っている人もいる。そのような人間は、第三の<道によって生きる者>以上の価値があると言えるであろう。