バイトの合間に千葉県小金城跡に行ってきた。
松戸市立博物館のサイトによれば、
(https://www.city.matsudo.chiba.jp/m_muse/syouzibori.html)
「市内にある大谷口歴史公園と根木内公園には、戦国時代の「小金城」の一部が保存されている。
小金城は、千葉県有数の巨大城郭で、現在の松戸市域をはるかに超える広さだった「小金領」の中心地にふさわしいものである。小金領にはほかにも大規模城郭が造られ、根木内城はその一つだった。街道を監視しながら、小金城や小金宿を守る役割を担っていたと考えられる。」
とある。
「れきちず」(https://rekichizu.jp/map?center=139.75036098588384%2C35.67059904707416&zoom=14.86949324011407&pitch=0&bearing=0)という、現在の地図を江戸時代(1800-1840頃)の地図に切り替えてみれるサイトによればこんな感じ
確かに街道を守る感じで城が建ってたのがわかる。
でもこう見ると、いかに江戸以降に新しい道がごちゃごちゃっと増えたかがわかるな。
通勤のサラリーマンで賑わう南流山駅とは異なり、最寄りの小金城址駅はかなりこじんまりとした落ち着いた雰囲気の駅である。
そこから、小高い山というか丘の方に目指して歩くと5〜10分程度で目的地に辿り着く。
松戸市観光協会のサイトによれば以下の説明。
なーるほど。
ちなみにこの千葉氏というのは、私の好きな源平合戦に大きく絡んでいる一族。
源頼朝は蛭ケ島(静岡県伊豆の国市)で最初に挙兵したあと、小田原の南に位置する石橋山での合戦で大惨敗。命からがら相模湾をわたり、千葉氏が治める現在の千葉県南部に流れつくが、その頼朝を千葉氏は手厚く庇護した。
その助力もある中、源頼朝軍は千葉を北上する間に勢力を強め、その後の富士川、一ノ谷、屋島と次々に勝利を収め、最終的に壇ノ浦で平家一門を滅ぼすに至る。
そのため、この千葉氏は、源平合戦のターニングポイントともいえる一族。
ちなみに、この石橋山の戦いで敗走する頼朝を助けたのが、梶原景時。彼は、平家方として石橋山の戦いに参加したが、戦いに敗れ10人に満たない人員で小さい洞窟に隠れていた源頼朝一行を存在を知りながらも見逃したということで有名。彼は千葉で力をつけて以降の源頼朝に加わり、その後参謀として仕える。その彼はこの前まとめた神奈川県の寒川に居を構えていたそう。今度寒川に行った時にはその住居跡も是非みたいです。
あと上の解説で気になるのは、豊臣秀吉の小田原征伐について。
実際、私は小田原が好きでここ数年何回か行っており、小田原城やら「豊臣秀吉の一夜城」などを観光したが、現地の解説をみるにいかに小田原征伐が名だたる武将が参戦しての大戦だったかを感じた。
教科書では結構さらっとしか触れられてないので覚えてない人も多いと思うが、影響はこちらにまで及んでいると知ると改めて影響力の大きさに驚いた次第である。
地図上、大谷口歴史公園の西にある緑のところ…
馬屋敷があったとこは広場になっていた。
そこを東に坂を登ると大谷口神明神社に到着した。
ネットで調べるときちんとした文献は見つからないが、16世紀中頃に高城氏により創建された模様。
そのまま東に行くと再び坂をくだり、くだりきったとこで北上。大谷口歴史公園というか、緑に包まれた丘が見える。麓で右折(東進)。坂を登って大勝院という寺院へ。
名前としては、武将にとって大分縁起のいい寺院。
https://www.matsudo-kankou.jp/sightseeing/%E5%A4%A7%E5%8B%9D%E9%99%A2/
調べたら、やっぱり高城氏が勝ちを願ってってことで作ったんですね。
公園の入り口はこの辺りになく、再び坂をくだりその後北上。程なくして公園入り口を見つける。
本当に公園かって入り口。
あまり大きな公園ではなさそう。
門とか塁とか堀とかの跡が残ってる
名は公園となっているが、少し登った広場には特に遊具もない。
公園というか史跡である。
城主はこのあたり広範囲を支配していたらしい。
https://chiicomi.com/press/1860049/
公園に航空写真がかざってあったが、確かに堀は広範囲にあるようだ。
広い公園ではないので、史跡を全部見て回るのは10分あれば充分。
帰りは堀を思わせる地形に沿って散策して職場へ。

















