朝8時位に起床。

 

9時間くらい寝ている。

 

やっぱり食あたり以降体調が万全ではない。

一回日本に帰って立て直さなければと思う。

 

 

正直5/30までパキスタンというのは少し長くしてしまったと感じる。結局25日間と3週間強もいるのか。

当初は2週間程度と考えていたが、妻の来訪がとても歓迎されていたし、食あたり以外なんだかんだ居心地が良かったのだろう。全て居候だし、申し訳ない気持ちが強いが。

 

 

 

我が子も言葉が通じないが、大分パキスタンの親戚に馴染んできた様子。皆に可愛がってもらってる。

シュクリヤ(ありがとう)とか、マゼダール(美味しい)とか、いくつかのウルドゥー語の単語も言えるようになった。

 

 

 

午前中はあいも変わらず親戚と話をする。

主人のタヘルさんは自営業なので、昼過ぎに出勤して23時に帰ってくる。

朝起きると大体タヘルさんが、ランニングシャツと短パンとラフな部屋着でソファに横になっている。

 

 

 

 

 

 

 

最近あまりみなくなったな。

その後「ちょっと着替えてくる」とパキスタンの正装になって戻ってくる。なんか申し訳ない。

 

 

 

 

 

タヘルさんは白しか着ないらしい。

Mさんは茶色ばかり着ていた。

Eくんは明るい色でなく暗い色が好みで、紺が好きらしい。

そういえばタヘルさんの弟さんもいつも会う時は紺だな。

 

違う色を使い分けるのかと思いきや、結構自分好みのカラーで固定なのだと感じる。

 

 

 

 

その後、男は男、女は女で雑談する。

たまに男女一緒にしゃべることはあるが、基本男は男。女は女。やっぱりこれは慣れない。男子校、女子校的なノリが生涯続く感じ。うーん。

 

そして、一家の主人であるタヘルさんは13時過ぎに出勤する。

 

普段は息子であるEくんも出勤しているらしいが、我々のために男手が必要なこともあり、Eくんは私とずっと話をしている。

これが自営業のいいところ、とのこと。その代わり長期の休みはあまりない様子。その辺は日本の自営業と変わらず。

Eくんとは歳が倍近く違うが、彼は英語が流暢なのと、雰囲気がどことなく妻の弟に似てるので、不思議と会話が途切れることはあまりない。

 

 

 

夕方ハムナ夫妻がやってくる。

 

先日妻の体調不良で行けなかったので向こうから来てくれた。

ハムナの旦那はハムザくん(20代半ば)である。

名前的にはお似合いのカップルである。

 

このハムザくん、結婚式の時には座ってたのであまり感じなかったが、立ち上がるとパンパンの胸板と二の腕が目立つ。その歩き方とあいまってまるで熊である。熊

 

さすがカナダ育ちというべきか。。

 

聞けば、10歳にパキスタンからカナダに移住し、高校時代はラグビーをやっていたらしい。今はクリケットをやっているそうだが、先日パキスタンで鼻の手術をしたらしく休んでいるらしい。

 

とりあえず、なぜ緊急手術でもないのにカナダではなく医療技術の低いパキスタンで手術したのか謎に感じたが、なるほどラガーマンか。そりゃゴツいわ。

 

しかし、話をしてみるとかなりのオタクであった。

僕はアニメとともに育ったという発言の通り、ナルト、ワンピース、ブリーチ、ドラゴンボール、進撃の巨人など一通りみている。特に好きなのはデスノートだという。

デスノートが好きな熊というアンバランスさに1人ウケてる私。

 

Eくんも負けてない。日本語の勉強のために最近銀魂を見始めたという。日本のスラングとかギャグとか覚えたいと言っていたけどなるほど。。良い教科書を見つけたなと思う。

 

最も、銀魂の会話のスピードが早過ぎてまだ無理!と嘆いていたが、銀魂が日本語で理解できるようになれば相当な日本語の使い手になれると個人的には思う。

 

 

 

 

ハムザくんにはカナダの写真を見せてもらう。キャンプが好きなのでとその時の写真を見せてくれる。いやぁさすが熊。

かくして見せられた写真は、満点の星とオーロラの写真。

 

トロントに住んでいるらしいが、トロントは少し行くとこんなに綺麗な景色が見られるらしい。カナダってすごいな。。

これも縁だし、いつかハムナ達に会いに行くついでに私も悲願のオーロラを見に行にたいなぁと思う。

 

ハムナ&ハムザにも是非日本に来てもらいたい。

秋葉原に行きたいというので来たら案内しますよ。ただ、ハムナはアニメ興味ないみたいだからそれまでに頑張って洗脳してね。

まぁ、ハムザくんちは金持ちだし、円安の日本なら時間さえあれば来るのは全然無理じゃないだろう。

 

母親はパキスタンに住んでる(?)そうなので、毎年パキスタンに帰ってきてるそうだし。

 

毎年カナダからパキスタンに里帰りって相当強者ですよね。skyscannerでざっと調べても片道最安値で13万ですけど。まぁカナダは今給料も物価も高いんでしょうけど。

 

最も海外にはパキスタン以外はほぼ行ってないらしいけど。トロントとかアメリカ国境のすぐそばだけどアメリカに行ったこともないとか。

 

よくわからないね。彼はパキスタン系カナダ人て聞いてたけど、パキスタン人なのか?パキスタンのパスポートが弱いとかあるのかな?パキスタン人は結構国外の移動が大変そうな話を聞くけど、それ聞くたびに日本のパスポートが最強なのを知るというか、旅行好きな私は日本人で良かったと思ったりしました。

 

とりあえず、色々話しているとあっという間に時間が過ぎ、ハムナ&ハムザともお別れの時間

 

 

 

 

熊を見送る娘

 

 

ハムザくん、まさかの自分で運転して帰った。女性であるハムナが運転することはないとは思っていたが。。

毎年帰ってるとはいえ、カナダからパキスタンの道路に放り込まれて事故らないのか。パキスタンでの運転の難しさは世界でも上位にくると思うけど。すごいな。

 

 

18時。ラストナイトなのでナディアがルーフトップの良いレストランに連れて行ってくれるという。

高速に乗りつつ車で45分くらい。

 

運転してくれたEくんによると、ラホールの高速は市を囲んで円形に走っているらしい。なので、高速に乗ってしまえば市内の移動は楽らしい。Eくんは、政府が行った唯一の良い政策だと皮肉る。

 

市内の一般道はご存知運転に神経を使うので、運転した後はつかれて暫くぼーっとしてしまうらしい。

中でも面倒なのがバイクだという。ちょろちょろと沢山割り込んでくるのが煩わしいらしい。

 

確かに見ててバイクは危なっかしい。ヘルメットをつけず、2人乗り3人乗りして飛ばしているので怖くないのかといつも思う。

で、Eくんに周りで事故った人がいないのかと聞いてみると、案の定タヘルさんの店の従業員がバイク事故で1人死んでるという。もっともその人はいつもバイクで飛ばしていて危ない危ないと言われてたタイプの人だったらしいが。

 

 

 

まぁなにわともあれ、到着してみると先日観光したバッドシャヒ•モスクだった。

夜のライトアップされたモスクも綺麗である

 

 

 

先日は行けなかった奥まで行ってみた。

 

 

 

 

装飾が綺麗である。

 

 

 

こんなに綺麗なモスクを作ったムガル帝国であるが、Eくんによると滅んだのは後継者の選別システムに問題があったからだという。

 

国のトップが亡くなる度に争いが繰り広げられたので、イギリスの支配に対抗する力が残ってなかったとのことである。

どの世界でも後継者選びは重要ですね。

 

 

 

 

22歳にしてお父さん感の強いEくん

 

 

 

 

夕食はこちらの千と千尋感の強い建物の屋上

 

 

 

 

古い屋敷を改装して利用したらしい

 

 

ルーフトップからのモスク。すごい。

妻はインスタとか見ていて気になっていたレストランらしく喜んでた。有名らしい。

 

 

 

パキスタンミュージュクの生演奏を聴きながらのディナー。

シシカバブ、チキンカラヒなど。

本当に美味しかった。最後の夜だけに、がっついて食べたが、明日以降またお腹を壊さないか心配ではある。

目、耳、口。全てで楽しませてもらった。最高の夜である。一生忘れないだろう。ありがとう、ナディア家の皆さん!

 

 

 

ちなみに食前後には回ってきたお姉さんに促されるままこちらで手を洗った。こちらの水にあたらないか心配

 

ラホールの歴史はこの界隈から始まったらしい。なのでこの辺りはオールドシティといわれ、Eくんによると400年以上の歴史があるらしい。

 

 

 

夜だし時間もないので細かく見れないのが残念である。

 

こういう古い街並みに出会うと、東京の古い街並みは、関東大震災、東京大空襲でほぼ無くなってしまったこというこをいつも残念に思う。昔の江戸や東京の街並みも今とは違う感じで綺麗だったんだろうなぁ。

 

 

 

帰りはEくんの運転で再び高速。

後部座席に女4人がシートベルトなし。私も娘を抱えて助手席。

誰もいなければいつもは120キロは出しているという。抑えているというが、Eくんは大分飛ばしているので気が気ではなかった。

 

 

家に着いたら日が変わる頃。早々に布団に入る。