Mさん&ミスマと彼らの2人の子供(Rちゃん16歳、Hくん12歳)と首都イスラマバードおよび近郊の避暑地へ観光に行くことになった。
運転で4時間。地図でパッと見250キロくらい?
インドのニューデリーからアフガニスタンのカブールまで伸びているいうPKロード(Mさんはこう呼んでいたように聞こえたが聞き間違えかもしれない)に沿ってひたすら北上である。もちろんMさんの運転で。。
道中、周りを見渡して日本と違うと感じたのは、大型トラックのデコトラであう。パキスタンでは競うかのような華美な装飾をされたデコトラをとても多く目にする。
私と妻が特に気に入ったのがこちら。
これは運転手の子供なのだろうか?それとも有名人の?
大体の車が後ろとかに黒い布をつけている。魔除け、お守りらしい。
こちらの車は沢山つけてる。心配性な運転手なのだろう。
日本でも運転席の上にお守りとかぶら下げてますね。
4時間のライドの中で交通事故現場を3回も見た。デコトラ2台と普通乗用車1台。事故処理に苦労している様子だった。バイクだったら、後片付けは苦労しないのだろうか。バイク事故現場は見てない。まぁその場合運転手は重症か死んでるだろうが。。
ミスマ家では車の運転の前には、律儀にお祈りの言葉を家族全員で復唱してから出発するが、確かにそれぐらいの心掛けは大事だと思う。
交通ルールは日本から見たら自由(私は車の運転はしないのでさらにそう見える面も強いと思うが)。追い越し運転、車線変更も頻回。追い越す際にぶつからないように、クラクション鳴らして通るよって合図してる。
スマホで通話しながらのながら運転も普通。Mさんも普通に電話で仕事しながら運転してる。主に、我々の観光のために職場を空けているので(経営者なので代理を立てれるし、クラスも休会して宿題を出しておいたから問題ないらしいが。。)、運転しながら電話で仕事をこなしてる。誠に申し訳ない。ストレスはいかばかりか。。ごめんなさい。
あと気づいた点としては、女性の運転手を見ない。車の運転手はよく見れてないが、バイクに関しては今のところ皆無。女性は車を運転しないものらしい。
昼食は車道沿いのフードコートでパニーニ・サンドウィッチ。チーズが絡んでめちゃくちゃ美味しい。大人1人が十分にお腹が膨れる大きさであるが、ちらっとみえたメニューによれば、これで250円。Mさんの奢り。
道中2つの大きな川を渡った。パキスタンを流れる川は基本的にヒマラヤのあるインド側から流れてくる。そしてインダス川に合流してアラビア海に注ぐ。
この2つの川はとても大きい。利根川の河口くらいあるのではないかと。利根川は高校生の時に自転車で渡ったことがある。若気の至りで車道をママチャリで爆走したが、川幅が広すぎるため風が強すぎて川に落ちて死ぬかと思った。それに匹敵するくらい川幅がある気がする。流石大陸の川だなと思う。うち1つの川は今回のパキスタンとインドのいざこざでインド側が堰き止めて流れが少ないというMさん。確かに水量は少ないが、インドは本当にそこまでしたのだろうか。もはやそれは宣戦布告なのでは?と思ってしまった。
道中小さいな街も通ったが、街の文化的な雰囲気はラホールやグジャラーワーラーと大きくは変わらく感じた。勿論規模は違うが。
しかしながら、イスラマバードが近づくに連れて車窓は変わる。北上するにつれ若干木々が増えてくる。場所によっては日本と同じように見えるところもあるし、サントリーニ島を思わせるような地中海沿岸的な雰囲気を思い起こすところもあった。また、岩場が目立つところも多く、昔ウサマ・ビンラディンはアフガニスタンとパキスタンの国境付近に潜伏していたと聞くが、こういうところなのかなって思うような風景もあった。
さらにイスラマバードが近づくと、長く続く山の稜線が見えた。
最初、あれは雲の線か?と思ったくらい高い位置にある。写真で伝わるかはわからないが、え、あれが山?と思うほど圧迫感がある。
日本にはない高さだ。ヨーロッパのアルプスよりも高い気がする。昔スイスでヨーロッパのアルプスを見てすごいと思ってからはヒマラヤを見るのが念願だったが、ついにと嬉しい気持ちになる。
イスラマバード市内に入ると道路が綺麗になった。流石首都の道路というべきか。
着いた頃にはもう暗くなってた。
Mさんが日が暮れる前にとファイサル•モスクに案内してくれた。
今までの私の人生で行った中で最大のモスクである。
と言っても、私の行ったモスクといえば、代々木上原の東京ジャーミィとシンガポールのサルタン・モスク位のものだが。
このファイサル•モスクはサウジアラビアの援助で1986年に完成したらしい。
四隅の塔の高さは90m。
キリスト教関連は、ヨーロッパでケルン大聖堂やストラスブール大聖堂とか150m級の大聖堂を見ているが、高さは及ばないもののそれとはまた違った迫力があった。
正直、周りに外国人はほぼ皆無であり、私は悪目立ちしていたので、写真を撮るのも恐る恐るだし、見て回るのも恐る恐るだった。ここでも男性と女性の入口は別だった。男女は区別する社会であると感じる。
個人的にはこちらも来させていただいて良かった。人生において強く記憶に残る思い出の地となった。
晩御飯はMさんにおすすめされた。この店
地元の人々で賑わう大衆食堂的なレストランでビリヤニをいただいた。こちらもMさんの奢り。
宿泊もMさんの奢りである。
まだ本当にハムナのご祝儀しかお金を使ってない
13階のアパートメント。イスラマバードの夜景が一望。
本日はMさんの運転でMさんの案内でMさんの奢りで1日が終わった。
もはや、Mさん&ミスマ一家にどのようにお返しをすればいいのかで恐怖さえ感じる。
夜、喉が渇いたので今に水を汲みに行くと、Mさんがソファで寝ていた。
このアパートメントは寝室が2つあり、1つは我々、もう1つがMさん&ミスマ家族が使ったが、ベッドがミスマと子供2人で一杯で追い出された形だろう。
もはや翌日Mさんになんと声をかければいいのか。。。なんかパキスタンに来てしまってすみません

















