2026/4 東京都 北町奉行所、日本橋、長崎屋跡(東京駅周辺、日本橋) | 歴史好き感染症科医の旅行ブログ

 

の続きです。

 

 

気を取り直して次の史跡、「将門塚」へ。

 


 

有名な史跡ですよね。

 

(解説)

 

 

 

平安時代中期の武将・平将門(たいらのまさかど)の首を祀ったとされる首塚。

戦後の開発に伴い、この首塚を解体する試みが複数回あったが、関係者が事故などで死亡する異変があり、『祟り』とも捉えられ中止された過去が。

日本屈指のパワースポット、心霊スポットとして知られる。

 

 

高層ビルが林立するビル街を歩いていたら普通に出現しました。

 

 

私は、ここを訪れるのは初めて。

 

どちらかと言えば、木々に囲まれた鬱蒼とした場所を想像しておりましたが…

 

思ったよりさっぱりしている。

2021年に改装されたらしい。

 

こちらが件の首塚。

 

 

一人一人が遠巻きに恐る恐るという感じで参拝していたのが印象的でした。

 

写真を撮っている人が少なく感じたのは祟りを恐れているため?

私も遠巻きから少しだけ撮らせていただいた。

 

 

(平将門 経歴)

 

 

 

続いて「田沼意次屋敷跡」へ。

 

 

 

 

 

田沼意次といえば、「べらぼう」で渡辺謙さんが演じておりましたが—

 

 

 

 

 

 

(田沼意次 経歴)

 

 

 

「田沼意次屋敷跡」。当該史跡は手前の遊歩道からその奥のビルのあたりか?

 

 

 

現場にあるのはこの案内板のみでした。

 

 

案内板の『現在地』では、「(一橋)徳川刑部卿」の領地になっているが?特に「田沼意次屋敷跡」の記載はない。

google mapでは「田沼意次屋敷跡」の別の案内板がこの辺りにあったようだが…理由はわからないが撤去された様子。

 

だが、田沼意次の屋敷がここにあったのは史実であるようで。

 

今回見つけた案内板で、ここが「一橋徳川家」の領地となっているのは、田沼意次の失脚後に彼の領地は没収され、後に一橋徳川家の領地に合併吸収されたからという。

 

当時は、田沼意次と一橋徳川家の領地は隣接こそしていなかったがご近所同士。

この地理的な近さが、当時の政治的な駆け引きや交流に影響を与えたと考えられているとのこと。

 

しかし、江戸幕府の最高職である老中まで上り詰めたといえ、田沼意次は所詮は一介の大名でしかない。

『徳川御三卿』の一橋様とは格が違うようで。

 

 

 

(一橋徳川家と田沼意次の屋敷の土地の大きさの違い)

 

 

 

その差6倍!!!!!!

顕著なる格の違い—

 

なるほど。色々と勉強になりました。

 

 

そして、最後に目指すのは今話に出てきたばかりの「一橋徳川家の屋敷跡」。

 

 

 

 

首都高沿いに歩き、「一橋」を渡る形で移動。

 

 

「一橋」。首都高の下で川を跨る。

 

 

 

手前に案内板がー

 

 

 

(一橋門とは)

 

 

 

かつて江戸城の外郭に存在した城門の一つ。

 

徳川家康が江戸に入府した当時、この付近の日本橋川(当時の外堀)に丸木橋が1本だけ架かっていたことから「一ツ橋」と呼ばれており、その橋の前に門が築かれたため「一橋門(一橋御門)」と名付けられた。

 

 『一橋』徳川家の名称は、子の家系がこの門の近くに屋敷を構えていたことに由来する。

 

 

そして一橋を渡る。

 

 

現存する門の石垣の一部というのはこれかと…

 

 

 

ここで『一橋徳川家』について。

 

 

 

江戸幕府の第8代将軍・徳川吉宗の四男である徳川宗尹を家祖とする家系。

田安家・清水家と合わせて『御三卿』と呼ばれ、将軍家に後継ぎがない場合に後継者を出す重要な役割を担っていた。

 

『御三家(尾張・紀伊・水戸)』ではなく『御三卿』。

 

御三家とは異なり、独自の藩を持たない将軍家の一族として扱われていた。

 

歴代将軍でいえば、第11代将軍・徳川家斉が一橋家出身。

彼から一橋家は幕政に強い影響力を持つようになったようで、最後の将軍である第15代徳川慶喜も一橋家である。

 

 

私の中では、徳川慶喜は『若い時はイケメン』で有名。

 

 

 

前述の通り、橋の向こうは広大な一橋徳川家の領地が広がっていた。

 

奥に皇居(旧:江戸城)の一郭が見える。流石の立地である。

 

 

この丸紅のビルの袂に、「一橋徳川家屋敷跡」の碑と案内板がひっそりと立っていた。

 

 

 

史跡は…これだけ?

やはり時の流れかー

少し寂しい気持ちになるがしかたがない。

 

 

 

本日も色々見れて満足した。

 

だが、さすが東京の『中心』というか、当時の面影を留めている史跡は少ない。

 

 

帰路に着くため神保町駅を目指す。

途上に「一橋大学 千代田キャンパス」があった。

 

 

 

一橋講堂。

 

 

「一橋大学」って「一橋徳川家」の「一橋」だったの?

 

 

(一橋大学 名前の由来)

 

 

 

なるほど。関東大震災後は国立キャンパスに拠点が移転したが、それまではここが一橋大学の拠点であったと。

「一橋徳川家」とは特に関係がなく、「一橋」に地理的に近かったのでこの名となったと。

 

勉強になりました。

 

 

無事、神保町に着いて、昔から何度か来店したお気に入りのカレー屋で食事をとろうと思ったが、昨今の物価高の影響もあり、少し驚く値段になっていた。諦めました。

 

 

(神保町がカレーの街となった理由)

 

 

 

お茶の水

 👉東京駅

   👉日本橋

     👉大手町

       👉神保町

 

 

要した時間は早足で1時間半程度。

 

予定していた全部の史跡をまわれ満足しました。

 

 

本日は以上です。