エホバの証人として現役生活を続けてこられた方であれば、組織の中にも様々な問題があることを少なからず見聞きされてきたことでしょう。

明らかに聖書的ではないと思える規則や取り決めがあったり、長老から何か理不尽な対応をされたり、基本的に組織に従順な立場で活動していても、それなりに信者同士で問題点を話すことは普通にあります。

しかしながら、どんな問題があっても、それで簡単に組織を離れるということには至りません。そこには信者たちが口癖のように呟く魔法の言葉があるからです。

「いずれエホバが正してくださる」

どんな問題があってもJWが神の組織である以上は、必ずエホバが正して下さる、そう信じて大人しく待つことが、模範的な信者のあるべき正しい態度と教えられてきたことでしょう。

それは古代イスラエルの民が律法に従わず、悪が蔓延った時期があっても、神は辛抱強く預言者たちを遣わし、繰り返し必要な矯正を与えていかれた、ということを根拠にした強い信仰だと考えるかもしれません。

ですが、この考え方には大きく無理があります。

まず第一に、律法を破り続けた古代イスラエルは、エルサレムの神殿を破壊され、バビロン捕囚にされたという厳然たる事実があります。

当然、当時のイスラエルの指導層も徹底的に糾弾されたわけですが、統治体は自分たちが、神からそのような厳しい裁きを受ける可能性について認めるでしょうか。

いいえ、神に是認された組織であることを強調はしても、その「是認が取り消される可能性」については一切言及することはありません。

「自分たちは不完全であり間違いも犯すが、それでも常に正しい」などという、荒唐無稽な主張を延々と繰り返しているだけです。

「神に是認されている」は自分たちで勝手に決めたことですから、取り消される心配などする必要がないのは当たり前ですけれども。

そして第二に、神は古代イスラエルにおいて、その悪を批判するために何度も預言者を遣わして、その当時の王たちや民衆に厳しい勧告を続けられました。

ではそこから教訓を学び、問題があれば「いずれエホバが正してくださる」と信じるJW組織において、もし本当に神が預言者のような人を遣わし、組織を批判して正そうとされた場合、この組織はその批判を受け入れて改善する方向に進んでいくことを期待できるでしょうか。

いいえ、組織批判を繰り返すような人は、あっという間に「背教者」として排斥処理されてしまいますから、この組織には批判を受け入れる余地など全くありません。

実際問題、古代のイスラエルにおいても、神から遣わされて厳しい勧告を行なった預言者たちは、エリヤにしても、エレミヤにしても、イザヤにしても、みな悲惨な仕打ちを受けています。

当然、彼らが迫害された理由は、指導者たちにとって都合の悪い存在であったからに他なりません。指導者たちにけん責の言葉を聞くだけの謙遜さがあったならば、そもそも神は預言者を遣わす必要もなかったでしょう。

イエスは当時のそのような人々について「自分に遣わされた人々を石打ちにする者よ」と呼びかけられました。(マタイ22:37)

ステファノも「どの預言者をあなた方の父祖は迫害しなかったでしょうか」と糾弾の声をあげています。(使徒 7:52)

JWにおいて、組織の問題点を的確に批判しているのは、主に外部の人々、組織を離れた元信者たちですが、組織の指導部はそうした人々を忌避し、情報を遮断することで、まさに「石を投げつける」ような態度を取っています。

このような態度で、一体どうやって「エホバが正してくださる」のでしょうか。

古代において預言者は、常に指導層からは現れていません。サンヘドリンのニコデモの例が示している通り、問題提起は外部から起こされなくてはまともな改善も望めません。

人間は互いに異なる意見を尊重して、情報を交換してこそ、少しでも健全な方向に向かうことができます。その事実を謙遜に受け入れることが本当の意味で「不完全さ」を認めるということでしょう。

聖書が予告する通り、やがて終末が到来して、真の聖徒たちが現れる時に、JW組織はどのように反応することになるでしょうか。

やはり聖徒たちが語る聖霊の言葉に「石を投げつける」ことにより、「大いなるバビロン」の一部となってしまうのでしょうか。それは「聖霊に対する冒涜」に繋がっています。

今、組織にどんな疑問があっても「いずれエホバが正してくださる」と、問題から目を背けて、統治体に従っていればそれでよいのでしょうか。

是非とも、そのような思考停止した人とはならないことを願います。

 

 

より詳しいテキストはこちら