エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベルです
アッバセイヤはアッバースというムハンマド・アリー朝のひとの名前が由来です。
アッバース2世(1874-1944)のことを知らないので調べてみました。
アッバース2世は前の総督、父親のタウフィークとは違い(?)、
独立精神にあふれ、愛国心を持っていたため、在位22年で
イギリスから退位させられました。
町の名前の由来からハーレムなのは。。。
このアッバース2世は母親が見つけてきた
オスマン帝国の王女である花嫁候補を尻目に、
母のハーレムにいた奴隷、
後にアッバース2世の召使いになった女性と結婚したことを知ったからです
イクバル(1876-1941)
2男4女ををもうけました。
ヨーロッパの服装や生活に憧れ、
娘たちにはヨーロッパ人の使用人や家庭教師をつけ、
彼女は子供たちと一緒に勉強し、オープンで探究心旺盛な性格だったそうです。
エジプトで最も美しい女性の一人とされ、
献身的な妻として、宮殿周辺の人々から寵愛を受けたそう。
後に、アッバース2世と別居。
2度目の結婚はハンガリーの貴族でした。
マリアンナ(1877-1968)後にジャビダン。
秘密裡に結婚後、正式に結婚。
回顧録に『夫に二人の妻がいると思うと不思議な気がする』とつぶやいています。
(自伝をモチーフにした『Harem life』に書かれているのかな?)
3年後に子供をもうけることなく離婚。
離婚の発端は、前年にアッバースがフランスで出会った女性と交際を始め、
エジプトへ連れ帰ったためのようです。
離婚後はエジプトに戻ることはありませんでした。
ジャビダンは多才なひとで、
音楽制作、ピアノコンサートを開いたり、映画や演劇の台本を書いたり、短編小説を執筆、
絵画制作に、晩年は通訳として活躍したそうです。
書き物や絵画には、アッバース2世との結婚時生活やハーレムのことを
テーマに多くつくられたようです。
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1844年以降、エジプトの白人奴隷の輸入が禁止になり、
エジプトにおけるハーレムの制度は1869年に公式に廃止されたそうです。
とはいうものの廃れるまでには時間が掛かり、
宮廷内では公式に廃止された後も続いたそうです。
イスマイール(1830-1895)
1872年の冬、イスマイールの子供たちと
そのいとこの4つのロイヤルウェディングが発表されました。
この結婚から総督の家族で初めての一夫一妻性が敷かれることになりました。
長子相続の継承を明確にするために。
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父イスマイールの後を継いだタウフィーク
アッバース2世の父親タウフィーク(1852-1892)は愛妻家で有名で、
父も祖父も、オスマン帝国の習慣でハーレムを持っていたけれど、
タウフィークは一夫一妻制を信奉していました。
即位後、宮廷内のハーレム区画を閉鎖し、
父親イスマイールの女性奴隷をすべて奴隷市場に売却したひとでした。
その息子アッバース2世はこっそりハーレムを抱えていたとか
一夫一妻制を敷いた後に重婚もアカン!
アッバース2世はあらゆる意味で自分と違う父親に
反発の気持を持っていたのでしょうか。
それとも反面教師にしていたのか。
ここまで書いてきましたが、
実は、アッバセイヤの由来になったのは、
このアッバース2世ではなく、
ムハンマド・アリーの孫で、その死後、後を継いだ
アッバース1世(1813-1854)のことでした!
調べている途中に分かりました
ムハンマド・アリー朝の女たちを見ていくと面白くて、
アッバース2世の奥方を追ってみました。