シタデルの閉ざされたアザブ門 | エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベル

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エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベルですカナヘイうさぎ

 

左手側から見ると目

右手側から見ると目

威風堂々!かっこいいラブ

こちらはシタデルにある門のひとつ、アザブ門の外観です目

肝心の門が見えていませんニヤニヤ

 

周りの人に注意されるんじゃないかとビクビクしながらも、

階段をのぼりながら、ウキウキしましたラブ

近づくと飲み込まれそうな気がして、近づけないアザブ門目

この門に至る内部の通りで惨劇が起きたわけだ得意げ

1811年3月 エジプトを治めるようになって6年目の42歳のムハンマド・アリーが

彼の次男、18歳のアハマド・トゥーソンの

アラビア遠征の司令官任命式に400人の有力なマムルークを招待し、

大虐殺を行ったといわれる場所が、このアザブ門に通じる通りだったようです。

式が終わり、マムルークたちが、宮殿から門へ下って行く最中に、

外門を下ろし、剣しか持たないマムルークたちを

狙撃兵の一斉射撃を浴びせ、彼らは戦う暇なく、虐殺されたそうです。

その時間、わずか15分のことだったようです時計

 

シタデルの惨劇
フライ ウェル トラベル エジプトのブログ

ウィキペディアからお借りしました。

マムルークが殺害されていく隣で、涼しげな様子のムハンマド・アリーが描かれています目

 

惨劇が起こった時には、まだなかったムハンマド・アリーモスクは、

ムハンマド・アリーの死後に完成しました。

マムルークの亡霊たちは、夜な夜なこの辺をさまよっているのかしらゲッソリ

こんなに晴れた昼間でも、あまり近づけず、望遠で撮った門。

現代のインフラ整備のため、地面が掘り起こされているようでしたが、

門に近づくと、落とし穴や、上から何か落ちてきそうな恐ろしい仕掛けがあるように思えるのは

惨劇の話のせいでしょうかキョロキョロ

 

 

 

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