エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベルです
以前のブログどれだけ贅沢なんでしょう・・・(*゜▽゜ノノ゛☆ 学長室は元宮殿!! でご紹介した宮殿
ロイヤル・ファミリーの宮殿だったザファラーン宮殿。
前回、そこに従事しているエジプト人たちから聞いた話とは
また別の話がありました。
ここが学長室になるまで、ロイヤルファミリーが住居として使用してきた宮殿です。
これまでにきっと、いろいろなドラマがあったのだと思います。
ムハンマド・アリー朝のイスマイールがつくらせた宮殿と所縁があったのは、
息子のフアードでした。
ブログでも何度か取り上げたプリンセス、シィウカールの
最初の結婚式は1895年にこの宮殿で挙げられました。
従妹である彼女の富に目がくらみ!?結婚したフアード、のちのエジプトの王になるひとです。
上の写真のバックもこの宮殿!?
フアードは結婚後、シィウカールの存在を無視するかのように
彼女をこの宮殿に閉じ込めていたそうです。
子供たちを産んだ後もひどい扱いで、実家に行くことすら禁じていたそう。
ある夜、フアードが不在だったとき、
シィウカールが実家へ帰ったことがばれて、
離婚!
彼の許可なしに家を出たことで。。。
シィウカールにとって、長い3年間だったでしょうね。
なんだか見たことのあるエピソードだと思ったら( ・(ェ)・)
やっぱり、フアードの2度目の結婚後のエピソードでした。
25歳年下のナズリと結婚後、ナズリをザファラーン宮殿に閉じ込め?
男児を産まないとずっと、この宮殿に閉じ込めるという圧力を掛けられていたそうです。
その頃、フアードはコッパー宮殿に住んでいたようです。
祝男児誕生
その後もフアード治世の間は、ナズリは自由な行動は許されていませんでした。
若いナズリは、女性だけのイベントや、オペラハウスなどへ出席し、それがフアードに知れると
数週間、部屋に閉じ込められるという繰り返しだったようです。
女性不信?
妻が何人もいる父を見てきたせいなのか、
フアードの母にまつわる何か哀しい思い出があったのか。
嫁にもらった2人とも、わがままで手に負えなかった!?
この宮殿はフアードにとってのお仕置き部屋だったのか!?
はたまた、ザファラーン宮殿フェチ!?
この美しい宮殿に満足しない女はいない!!!
この宮殿に閉じ込めておけば大丈夫!という自負があったのか。
・・・というのは想像ですが、それくらい美しい宮殿です。
3階建ての宮殿はバロック、ゴシック様式の建築で、
主要な場所にいれられているイニシャルはイスマイールの頭文字I。
両側から広がる流れるような階段の美しいつくりと天井
ステンドグラス越しから燦々と太陽の光があふれる室内
大きなステンドグラスを背に、冬に花の景色を愉しむためのウィンターガーデンが
室内にあります。
こんな素敵な場所でも、
フアードの歪んだ愛に拘束されていたフアードの妻たちは、
2度とこの宮殿に戻りたくはなかっただろうな。
現在は大学の、学生たちがあふれるにぎやかな校内にある元宮殿
外に出るとホッとしました(*^o^*)