今年は、ファルーク王没50周年 | エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベル

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先月の今頃、早くアップさせないと旬が過ぎてしまうと焦っていたこの記事。
そう思うのは自分だけですね(;^ω^A

エジプトの最後の王朝、ロイヤルファミリーの話なので、
ご興味のない方はスルーしてくださいませ。

実質、最後の王だったファルークは50年前の3月18日に亡くなりました。
45歳の若すぎる死でした。

生きていたら、95歳。
おととし、ファルークの美しい妹、ファウジィーヤが92歳で亡くなりました。
お話をお伺いしたかった。


ファルークは亡命先のイタリア・ローマで食事中になくなりました。
この死には陰謀説もあるようです。

1952年のエジプト革命により亡命。


アレキサンドリアにあるラス・アル・ティン宮殿

王朝の創始者ムハンマド・アリーが亡くなった場所であり、
7月26日、ファルークが軍に見送られながら、エジプトを後にした王朝の象徴的な場所でもあります。
ファルークはきっと、この美しい宮殿の姿を目に焼き付けたことでしょう。

それから、彼がエジプトに戻ってきたのは、13年ぶり。
生きている間にエジプトの地を踏めませんでした。

1度ローマで埋葬されたのですが、
亡くなってから14日後の3月31日にエジプトへ。

ムハンマド・アリー朝のグリーンの旗に包まれた

ファルークの棺が、埋葬された場所は、父フアードを含むロイヤルファミリーの眠るリファーイーモスク

ではなく、
別の墓所でした。


なぜなら、当時の大統領、ナセルに拒絶されたためです。
彼らによって亡命、亡くなってからも阻まれ、自分の本来の墓所に入れず。

ある墓所に遺体が到着した午前2時頃、

(写真はイメージです。)
彼の姉妹、ファウジィーヤ(左)とファイカ(右)、
ファウジィーヤのご主人、数人の親族だけが集まりました。
ファルークの母、ナズリはローマの葬儀に参列、国外退去を受けて久しく、
強く懇願したものの入国できなかったのではないでしょうか。(←あくまで想像です。)

ファルークが埋葬された場所は、
ムハンマド・アリーの家族が埋葬されている墓所でした。

墓所敷地内には、ひっくり返されたような? 
つくりかけのまま放置されたようなお墓の跡がいくつかあります。
その中のひとつがファルークが埋葬された場所だったのか。。。

数年後、妹ファイカの努力により
ファルークは本来のロイヤルファミリーが埋葬されている
リファーイーモスクに無事、埋葬されたのでした。



今年は、ファルーク王没50周年、
なにか、ファルークゆかりの場所を訪れるような企画ができればと考えています!!

例えば、ファルークが好んで通ったナイトクラブへ行ってみたり、
アブディーン宮殿のもっとも豪華であろうファルークの部屋の見学だったり!


ファルークが所有していた夏と冬の部屋がある
(彼らは宮殿を季節によって使い分けしていました。)海上の宮殿、
豪華な蒸気船に乗って優雅にクルーズを楽しむとか!

アガサ・クリスティーの気分が味わえますね( ̄▽+ ̄*)

現在は閉まっているサイト、ロクニー・ファルーク(→こちら)や
ファルークが亡命時に使用したヨットの内部見学など。

これをヨットというのでしょうか


王族の所有だった建物は現在、政府所有が多いため、簡単には入れない場所ばかりですが、
夢物語に終わるか、実現できるかトライしてみたいと思います(・∀・)/


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