お話できる機会があればぜひ!とお願いしていた教授、
アハマド先生に思った以上に早く会えることになりました。
とはいうものの、この話はラマダン後のことで、
ざっと2ヶ月前のお話です。
エジプトのロイヤルファミリーに興味のない方はスルーしてくださいませm(u_u)m
カイロ大学で教授をしているアハマド先生はムハンマド・アリー朝のスペシャリスト。
特にイスマイールにお詳しいそうで、会えるのを楽しみにしていました。
思ったより早く実現≧(´▽`)≦
どこでお会いできるのかと思っていたら、
指定された場所がフェイサルの終わり(^▽^;) (ピラミッドのそばです)
21時、男たちの社交場(喫茶店)アホアでのミーティングとなりました。
まさかローカルなアホアでロイヤルファミリーの話を伺うことになるとは思ってもみませんでした。
どんな初老の男性が現われるのかと思っていたら、わたしよりも若くてびっくり(・・;)
写真はないのですが、以前、このブログでもさらっとご紹介した、ラマダン中のドラマの影響で
テレビによく出演されていたそうです。
良かったら、ご覧くださいませ。
こちら→『カイロにあるアブディーン宮殿にハーレムは存在したのか!?』
さすが教授!
ウィキペディアに載っていないことが、いろいろ聞けたのがうれしかったです(・∀・)
それは、あまりためにならない、
ただのミーハーな内容ばかりです
たとえば、
エジプト実質最後の国王だったファルークの性格やら、
エジプトと国民が大好きな優しい性格で、ラマダン中にはテーブルを用意して食事を振舞っていたそう。
賭け事が好きでナイトクラブに行ってもアルコールが飲めず、頼むのはオレンジジュースだったとか。
ファルーク28歳の頃、愛人がいました。
あとで調べてみると有名な話のようです。
40年代のエジプトで売れっ子女優カメリア(イスラエルのスパイだったといわれている)
彼女から極秘の地図がイスラエルに渡り、1948年第一次中東戦争に敗れたとか、
本当だったら大変な話(ノ_-。)
ファルークの母、クィーン・ナズリが秘密結婚した相手は誰だったのか。
その人物は息子ファルークの家庭教師でした。
ナズリの秘密結婚はファルークからナズリの権利を没収、
2度とエジプトへ戻れない措置を取らせた原因だと勝手に思っています
わたしがそもそもムハンマド・アリー朝に興味を持つきっかけになった人物、
宝塚ばりの男前!アハマド・トゥーソン(左)
エジプト近代の父、ムハンマド・アリー(右)の次男坊です。
夭逝したトゥーソンの死因やら、亡くなった場所なども聞けました。
先のイスマイールとその祖父ムハンマド・アリーでは、
女好きの度合いが段違いにイスマイールのほうが上だったとか!(ヨーロッパで教育を受けたため)
先生、どこかで見られていましたか!?まるで週刊誌のようなネタでした。
当然ながら、初めて知ることばかりで、わたくし大満足でした(´∀`)
アハマド先生に質問をしている最中、貧乏ゆすりが始まったのは知っていたけど
最後に言われたのが、
『質問が細かすぎる!!(-_-メ』
質問したことに
それに意味はない!とか、
正しいことは分からない!と言われること数回(°∀°)b
まぁまぁ、そう言わないで教えてくださいよ。
(*^o^*)
こんどはどこかの宮殿へご一緒させてくださ~い!!
そして、また質問攻めでイライラさせていたりして