ラマダンは終わりましたが、その期間中、毎年、日本のお正月のような
面白いテレビ番組が多く放映されています。
その中に「サライ(ヤ)・アブディーン」というドラマがありました。
トルコではサライって宮殿・館という意味みたいです。
内容はエジプト総督イスマイール治世の時代。
政治的緊張、不安を背景にアブディーン宮殿内のハーレムで
エジプト総督の心を獲得しようとした女たちの争いに焦点を当てたドラマ
似てる!? イスマイールを演じたのはシリア人の俳優だそう。
まったく見ていないわたし(*゚ー゚)ゞ
アブディーン宮殿とハーレム!?という言葉に惹かれ、気になったことを書いてみます。
このドラマに、はまったワグディーさんの一方でユースラさんは
「イスマイールの女性関係の話でしょ!? 歴史も忠実に描かれていないみたいだし、
わたしはあまり興味がないわ。」
ユースラらしい意見(*゚ー゚*)
ハーレムって、たくさんの女性が為政者の周りにはべり、
目の前では踊り子が舞っている・・・、
こんな乏しい印象しか持ち合わせていません(*´σー`)
あ、この画像は女性のみでしょうか
ハーレムや大奥って、ドラマがうまれるほど、
女たちの壮絶なドラマが繰り広げられていた場所なのでしょうね。
~王朝創始者であるムハンマド・アリーはスルタンとしてハーレムを持ち、
その後、エジプト総督までその習慣は続けられた~
イマイールの祖父、ムハンマド・アリーは365部屋あるハーレム宮殿を持っていました。
(現存します) 側室との間に30人の子供がいたとか。
イスマイールの治世は1863年から16年間。
アブディーン宮殿が完成したのは1874年。
日本は明治7年。(幕末と書いていました。訂正します。)
イスマイールの治世のとき、イメージのハーレムのようなものが、宮殿にあったのか
それとも、ハーレムとはすなわち正室を含む女性と家族のエリア、ハラムレクのことだったのか???
ウィキペディアで調べてみると
ハリーム、ハラームとも原義は「禁じられた場所」という意味で、ハレムとは、男性はその場所にいる女性の夫・子や親族以外、立ち入りが禁じられていたことから生まれた名称である。
ハレムの習慣は、やはりヴェールと同じように、近代的価値観の前では、イスラム教における一夫多妻制の規定と結び付けられて、廃絶されるべき性的搾取、女性差別の象徴、イスラム世界の後進性の実例とみなされて指弾されてきた。イスラム社会の内部でも20世紀後半以降、女性の社会進出にともなって厳格な適用は好まれなくなり、多くの国々で衰退に向かっている。
ハレムに住まう夫人たちの身辺には奴隷身分の侍女たちも置かれたが、イスラム法では女奴隷の生んだ子は父が認知すれば自由人として認められることができると定められていたため、彼女たち女奴隷はハレムの夫人たちの夫の子供を私生児ではなく嫡出子として産む可能性があった。従って、女奴隷とは側室候補でもあり、夫の子を産めば奴隷身分から解放され、一躍王侯貴族の夫人として尊敬される身になることも珍しくなかったことは、江戸城の大奥の侍女[1]とも似ている。マムルーク朝の初代スルターンとなったシャジャル・アッ=ドゥッルは奴隷身分から君主の子を生んで解放され、王の妃へと身分を上昇させた女性の典型的な例である。
実際はどうだったのでしょうか???
女性と家族のプライベートなエリア、ハラムレクに対応するのはサラムレクで、公の、客間です。
アブディーン宮殿内部はサラムレクとハラムレクに分かれています。
たとえば、プライベートダイニングはプライベートだから、ハラムレクに、
オフィシャルダイニングや各サロン、カンファレンスホールなどは公のスペースなので
サラムレクといった具合です。
アブディーン宮殿には500ほどの部屋があるといわれています。
ハーレム部屋がハーレム部屋として独立してあったのか、
ハラムレクに含まれた一般?の部屋だったのか。。。
その中でハーレム臭い!!と勝手に思った部屋がありました。
それは、ビザンチン・チャンバーと呼ばれるキンキラキンのお部屋
実際、目にすると思わず声が出ましたヽ((◎д◎ ))ゝ
この部屋はハラムレクに属していることといい、
この悪趣味な感じ、ハーレム臭いと思いませんか??? (^▽^;)
・・・と思ったら
ハーレムの習慣が続いたエジプト総督時代は終わり、
国王フアード1世につくられた部屋でしたε=(。・д・。)
アブディーンの中でも比較的新しい部屋のようです。
イスマイールは数人の妻と多くの妾を持つオスマン帝国の伝統を受け継ぐ
最後のエジプト総督でした。
イスマイール、2番目と3番目の妻 ※イスマイールには4人の妻がいました。
イスマイールの家族
イスマイールの娘の家庭教師を5年勤めた英国人女性によると
エジプトにおけるハーレムの制度は1869年に公式に廃止されたそうです。
とはいうものの廃れるまでには時間がかかり、宮廷内では公式に廃止されたのちも続いたそうです。
1872年の冬、イスマイールの子供たちとそのいとこの4つのロイヤルウェディングが発表されました。
この結婚から総督の家族で初めての一夫一妻性が敷かれることになりました。
長子相続の継承を明確にするために
ドラマは第2弾シリーズが予定されているとか!?
このドラマの後、トーク番組があったらしく、
そこにコメンテーターとして出席していたカイロ大学の教授に話を聞けました。
当時、奥さん以外のひとたちを連れて歩くのが、オスマン帝国時代のステータスシンボルだったそう。
ヨーロッパへ外遊するときも、奥さんはひとりだけ、そして、そういう女性たちを伴っていったそうです。
そして、アブディーン宮殿内にも住まわせていたそうです。
わたしのイメージではひとつの大部屋にみんなが寝泊りしているのだろうと思っていましたが、
部屋は1人ずつにあてがわれていたそう。
当然!?
結局、宮殿内にそういった女性の部屋があったということなのですねヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ
話をイスマイールの娘、プリンセス・ゼイナブの英国人家庭教師に戻します。
彼女がプリンセスと宮殿のハーレムにうつったとき、
何もすることがなく、ハーレムは恐ろしく退屈な場所であったと書いています。
1日中、話すひともいない、本もなく、趣味のピアノもなく。
恐ろしく単調な毎日に寿命が縮むのではないかと思ったそうです。
このくだりだと、ハーレムとは女性と子供のための(ハラムレク)、
普通の部屋だったのかなと思います(。-人-。)。
そんな目であらためてアブディーン宮殿を見ると、また違った印象が生まれそうです