侍とエジプト | エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベル

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スエズに到着した一団、横浜鎖港談判使節団
この侍池田長発 (いけだ ながおき、1837年8月23日(天保8年7月23日) - 1879年(明治12年)9月12日)は、第二弾遣欧使節団の団長を務めたひとです。


彼らはスエズに到着後、
鉄道でカイロ入り。
1864年2月23日
カイロではエジプト国王を訪問しています。

そのときの国王(?)は、イスマイール。
イスマイールは対面した侍たちにどんな感想を持ったのでしょうか。


侍たちは絢爛豪華なつくりの宮殿と庶民の暮らしの生活の貧富の差に驚いています。

彼らが国王を訪問をした宮殿は???
アブディーン宮殿、ゲジーラ宮殿(のちのマリオットホテル)はこのとき、まだ出来ていません。
ムハンマド・アリー・モスク前のガウハラ宮殿(1814年)!?

それとも、ショブラのムハンマド・アリー宮殿なのでしょうか。


侍たちが石造りのシタデルを登って会いに行ったのか、
それとも国賓として?馬車が用意されていたのでしょうか。
シタデルとは別の場所だったかもしれませんが、現代の今でも、わらじでは歩きにくい通り。
ゴミやガラスが転がっていて、段差も多く、歩きにくい。
侍たちが来た当時も移動するのが大変だったろうなと思われます(^▽^;)

池田長発からこんな写真も出てきましたラブラブ!

織田信福
歯科医で現在も高地県にある歯医者さんの創始者。
エジプトにはまったく関係ありませんべーっだ!

第二次遣欧使節団は横浜の鎖国を理解してほしいと諸外国にお願いにいったにもかかわらず、
その旅は長発たちを開国の重要性に目覚めさせました。


おもしろい画像がありましたにひひ
(お写真お借りしています。)

ウィキペディアより
幕府は、事件に対するフランス側の非難と国内の攘夷圧力の両方に押され、事件の解決、謝罪、および横浜鎖港(朝廷や攘夷派を懐柔すべく開港場だった横浜を再度閉鎖する)の交渉に当たらせるため、見識に優れた池田筑後守長発及び河津伊豆守祐邦らを欧米諸国へ派遣することとした。

長発は27歳にして、34名からなる遣欧使節団(第二回遣欧使節、または横浜鎖港談判使節団)を正使として率いることとなり、1863年12月にフランス軍の軍艦ル・モンジュ号で日本を出た。上海やインド等を経由し、スエズからは陸路でカイロへ向かい、途中ギザの三大ピラミッドとスフィンクスを見学し写真を撮っている。

150年前、1864年2月28日の写真


昔も今も世界中の人々を魅了し続けるピラミッドとスフィンクスです。


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