注意

執筆者は不合格でした。あくまでも参考として閲覧ください。

二日目 日本史

を振り返る。
 
この教科に関しては、自己採点と本番の点数が違いすぎた。
 
これが、慢心の元となったと言っても過言ではない。
 
そんなに、自信過剰だったのだろうか?
 
 
解き終わって解答速報見た感じだと、35点は確実。40点近いだろうと思っていた。
 
結果、帰ってきた点数は27点。
 
模試よりも点数が低いという、現役生日本史選択には滅多にない状況。
 
 
東大側が変な採点をしたのか?
 
申し訳ないがそんなことも疑った。
 
しかし、東大受験芸人の「たわし」さんが、得点開示で42点という素晴らしい点数を出していた。
 
多分、不断の努力を続ければ高得点が狙えたのだろう。
 
 
日本史が人よりも得意だと勝手に思い込んで、舐めてたのかもしれない。
 
 
 
後期試験を受験予定の方々へと来年3月上旬の僕へ
 
前期試験がどれだけ自信があっても、そんな時こそ、後期試験の勉強を前期合格発表が出るまでやり続けて下さい。
1年間の勉強地獄が待っているかもしれませんので。
 
 
 
自分の慢心、自信過剰を悔やんでも悔やみきれないが、それを少しでも鎮める為に書く。
 
今回はそんなブログ。
 
日本史の解答は… 東進の解答速報が一番いいんじゃないか? 
 
でも、僕は大筋似たような解答を書いたつもりだが、27点しか獲得できてない。
 
以下、一応、東進の解答を参考にしながら述べていく。
 
 
第1問
 
官僚制度に関する記述。
 
官僚制度の発展・衰退の歴史はそこそこ出ている。
 
今年出たから多分来年は出ないと思うが、受験生なら確実に知っておきたい分野だ。
 
詳しいバックグラウンドの知識はそんなに必要なく、比較的易しく思えた。
 
 
第2問
 
地頭請・下地中分・地頭の荘園領主化に関する記述。
 
聞かれていることの難易度はそんなに高くない。
 
でも、この問題は解答が作りにくかった記憶がある。
 
⑴と⑵で内容が重複しそうとか、なんか解答がもっちゃりした感じになるとか。
 
モヤモヤっとした解答しか書けなかった。
 
大筋が合うのは受験生なら当たり前で、文章能力で点数に差をつけているなら…キツい。
 
多分ここで思うように点数が伸びなかったのだろう。
 
 
第3問
 
多分これは、「お手伝い普請」気づきましたか?問題だと思う。
 
それに気付いてしまえばもう解答を書くだけ。
 
⑵が書きたい内容の割に字数が少なく、解答作成に苦労した覚えがある。
 
ここでも思った以上に減点されたのだろう。
 
 
第4問
 
⑴『華族令』の話。
 
僕にとってはこれが一番難しかったような気がするが、どっかの教科書には記述があったらしい。
 
まあ、いいや。この問題も大筋は当たっていた。
 
 
19世紀末、特に大日本帝国憲法発布前後は、国会となんか関係がないか考えてみるのが王道。
 
 
今回もそう。
 
『華族』つまり、貴族院中心に国会運営をしていこうという指針を示そうとしたが中心となる答え。
 
黒田内閣の超然主義とかそういうことから僕は推測した。
 
でも何を思ったのか、旧士族と華族と大名が頭の中でごっちゃになって、中心となる答えの前の部分で変なこと描いてた気がする。
 
そこの減点も響いたのだろう。
 
 
⑵はなんら難しくない。
 
爵位をもらうと衆議院議員になれない、護憲運動
 
この2点は受験生にとっては常識だろう。
 
問題文から普通に読み取れる内容であったと思う。
 
流石の僕でも減点はされなかったはずだ。オマケだろうか。
 
 
総括
 
日本史は過去問をしっかりやろう。
 
27カ年の赤本をやって、しっかり暗記すれば、大筋は外さなくなる。
 
これで、僕は完成だと思ったが、ここでスタートラインだった。
 
多分、力のある人に、添削、採点をしっかりやってもらわなければならなかったのだろう。
 
僕は、一人頼りになる人に添削をお願いしていたのだが… できれば複数人に添削してもらおう。
 
文章能力を鍛える。これは国語力なのかもしれないが、一番大切なのかもしれない。
 
 
 
次回は世界史。