GP500観戦か姉妹クラブ訪問かで悩みました

 

ずいぶん昔ですが、私が在籍していたその開発チームは、旗艦となる新型車の品質向上が至上課題でした。

国内はもとより、アウトバーンのあるドイツと、テストコースを間借りしている米国への出張が決まりました。計測機器は日本から持ち込むので、その国に持ち込むけれど、持ち帰るので関税から除外される、カルネ申請というのをしました。

最初は西ドイツ。この世界情勢では、再びロシア(ソ連)上空は飛行出来なくなりそうですが、当時は鉄のカーテンと言われる、冷戦時代。およそ50代位以上しか知らないと思いますが、ソ連の上空を飛べば、撃ち落とされかねない。と、いうか撃ち落とされるので、北回りで米国のアンカレッジ経由で北極の上を飛びヨーロッパに行くか、南回りで地中海方面からヨーロッパに行くしかありませんでした。北回りで行きましたが、フランクフルト空港まで、アンカレッジ経由で確か18時間位びっくりかかったと思います。

西ドイツのテスト基地には現地採用の日本人マネージャーがいて、現地社員ととてもいい関係でした。メンテナンスや管理は現地法人、テストは個別にテストドライバーと契約していました。

そして、私たち出張者はホテル住まいで、車を乗り合わせて通勤していました。

日本から出張者が来るとお迎えのパーティーがあり、バーベキューおでん左バーベキュー右バーベキュー真ん中の窯があって美味しいソーセージ等が食べられて嬉しかった。

滞在しばらくして、誰かから「GP500のレース自転車あるから、見に行こう」という話が持ち上がりました。GP500とは、今はなき2ストローク 500ccのオートバイレース。当時は300km/越えで世界最速のオートバイレースです。日本メーカーは、ホンダ、ヤマハ、スズキが参戦。カワサキはすでに撤退。その理由は後日、「100年やって(参戦しても)勝てないから、止めた」(清原明彦氏談)と知りました。

日本はレース観戦料が高い、そして駐車場が少ない、サーキットへのアクセスが悪いのです。それに比べたら、随分と敷居は低い=行きやすい。

ちょうどその頃に、ホテルに手紙が届きました。当時は電子メールはありませんからね。紙を送るのです。それを手紙と言います、知っていますか??手紙は西ドイツの姉妹クラブの会長から。読もうとしても、英語がほぼ分かりませんでした。「日本のクラブの○○です。出張で××ホテルの△号室に滞在しています。機会があったら会いたいです。」まぁ、英語を教えてもらって、そんな簡単な手紙を出た返事でした。

先輩で英語が出来る人に手紙を訳してもらいました。「今度の土曜日にホテルに迎えにいくから、ウチに泊まらないか。そして、ツーリングをしないか、と書いてあるね。ツーリングの話は会社にはしない方がいいね、ダメだと言うだろうから」。

「そうかぁ、GP500も観たいなぁ。ヨーロッパのレースなんて二度と観られないだろうし…」と悩んだのです。

どちらも二度とないチャンスかも知れない。それで、結局、日曜日に姉妹クラブを訪ねる方を選びました。会社の方針で宿泊はダメ。日帰りならいいだろうという判断です.。

日曜日の朝にロビーに下りると、GP500組が嬉しそうに集まっていました。そこに大柄のゲルマン人が迎えに来たのです。当時、片言の英語さえろくに話せなかったけれど、彼の車で家に向かったのです。