ヨシムラの1,105cc ハイカム Z2で日本でマッドマックスをしていた、Uさん

 

Z2乗りの恐ろしい人。オートバイのクラブには、伝説の人が何人もいました。その中の一人、Uさんの話です。ちなみにカバー写真とは関係ありません。火の玉塗装でした。

今は昔、時代は昭和です。UさんはZ2(Z750RS)に乗っていました。噂にはすごい人がいるとは聞いていましたが、本当にすごかった!!

カワサキのZ2にヨシムラの鋳造ピストン1105ccキットを組み込み、Z1のクランクシャフト(Z2とストロークが違う)、ケイヒンのCRキャブ、ヨシムラのステージIIのカムシャフト、車用のオイルクーラー、当時、ヨシムラのお抱えはてなマークというか、提携の内燃機屋さん、横浜の三留兄弟製作所で作ってもらったという、特段に太いエキパイの集合マフラーでサイレンサーなし。

Zは詳しくないので、本人が話していた記憶に基づいて書きます。Z1/Z2は開発時から1,100ccまでの排気量の拡大が出来るように設計されていました。

ただ、シリンダーを外して、そのままボアを拡大して1,105ccには出来ないそう。大幅にシリンダーをボーリングしてスリーブを作り直さないと、その排気量にはならないそうです。

すると、クランクケースにスリーブが当たって入らないので、クランクケースにスリーブが入るように各気筒共削って広げないといけない、そう聞きました。つまり、クランクケースを割って、ミッション等も外さないと加工出来ない、腰下も含む大変な改造です。

ある日、UさんがそのZ2改でミーティングに来ました。ミーティングが終わって帰る時に、みんなそのマシンを見に行きました。エンジンをかけると、意外に排気音は静かでした。「ボッボッボッボッ」というようなハイカムの低いアイドリング音でした。「静かなんですね」、「3,000回転以下は静かなんだよ」、「へ~、直管なのにねぇ」なんて話をしながら、エンジンが温まると彼はそのZ2に跨りました。

そして、高めのクラッチワークで走り出してすぐに、「ボーーー、、、キュルキュルキュルキュルキュルピリピリ」とホイルスピンをしたまま、ブラックマークを残して、走り去りました。隣を走っていたタクシーが、びっくりして慌ててよけました。滝汗

わざとホイルスピンさせた訳ではなく、パワーがあり余ってホイルスピンしているのです。

あたりは焼けたゴムの匂い…。伝説は本当でした!

その後に改造の内容を聞く機会がありました。当時はまだ性能が良いタイヤが少なく、一度DunlopのTT100を付けて走ったそうです。何しろ、「3速で220km/hのフルスケールのメーターを振り切る」と豪語していただけあって、TT100ではタイヤが持たず、高速でタイヤが変形して「コブが出来た」と言っていました。びっくり

改造は更に進み、ヨシムラのステージIIIのカムを入れたら、「レースよりもピーキーになり、走りにくい」そうで、ステージIIに戻したそうです。当時は日本にやっと鍛造ピストンが入るかどうかという時代。その話はまた書くとして、「ヨシムラは製品としての安定性とコストの面から、あえて鍛造にせずに鋳造にした」という雑誌の記事を読んだことがあります。

彼は週末になると友達と二人で、ある公道の直線の長い場所で待ち伏せ、飛ばして来るオートバイを見つけると勝負を仕掛けていたそうです。冬は首から冷風が入って寒いので、当時はネックウォーマーなんてないですから、「バスタオルを巻くと寒くない」と言っていたっけ。

ここまでやっている人ですから、その話は本当だったと思います。

ある時に更なる改造案を聞きました。「バルブステムシールが抵抗になるから、無しでやってみようと思う」とか、「今のチェーンは耐久性が良くなったから、630からサイズダウンすれは、摩擦が減って速くなる」、「バルブが純正では重いから、S20のチタンの(中空?)バルブを加工すれば付きそうだから、やってみようと思う」、等など。S20とは、昔のスカイラインGT-R 自然吸気6気筒DOHC 4バルブ まんまレーシングエンジンです。そのチタンバルブを入れようと考えていたのです。

「フレームが弱いから補強したい」と言うので、私が持っていたモリワキのフレーム補強のデータを渡した事もあります。仕事の絡みかベアリングにも詳しい人でした。

そのような難しい改造を難なくやっていた三留兄弟製作所ですが、2019年頃に廃業されたようです。いまや、車もメッキシリンダー、オーバーホールもぐんと減った、何より人間が手を入れられるエンジンが減ってしまったのが原因の一つでしょう。

素晴らしい技術を持つ職人の加工屋さんが減るのは実に残念です。更にガソリンで走るエンジンがなくなりそうな現実。積み重ねた技術をなくしてはいけないと思います。