現在、SNSを停止して発信はブログのみとしている。
このページも久しぶりなんだけど、
前にも書いた様にここでは1つの文化を記録すること、
残すことをテーマにしているので、
近況や世の中の移り変わりをあまり話題に上げたくない。
2024年は文字通り能登半島の地震から始まってしまった。これまで何度、能登の人達、自然、風景に助けられて来たことか。幾つの祭りの記憶が残っていることか。あの場所が痛みつけられることは、身を切る思いがする。僕のルーツ。祖父のルーツである能登。
朝鮮半島やロシアが国を超えて近く感じられる能登。
能登、北陸、新潟、地震による被害を受けた皆様、心よりお見舞い申し上げます。被害が最小限に治まります様に。1日にも早い復旧をお祈り致します。
昨今ばかりではなく、本当に酷い世の中だな、と。
人間の愚かさしか、醜さしか出て来ないのか、と。
力、権力を持った人達の暴走、支配は止まらない。
お金であれ、名誉であれ、それが何に変わろうと人は数を追い求める。数は力だと。
力が欲しい権力が欲しい、と。
それは結局は支配への欲求でしかない。
数はさらなる数への飢えをもたらす。
権力への欲求は終わることがない。
そんな中で力なき人達を代弁して戦う人達がいる。
でもそんな人達もみんな言う。
自分に力を持たせて下さい、と。
もっと権力があれば変えられるのに、とみんな思う。
僕も思った時があった。
でもね、最近そう言う抗争を見ていてますます思う。
違うんじゃないか、って。
結局は力に力で立ち向かっても、それは今弱い者と今強いもので格差も違うけど、その弱者と強者が逆転しても結局は同じこと何じゃないかって。
変えるための力、良いことを実現するための権力、弱者を守る為の力。だから力が欲しい、ってそう思うのは間違っていないように見える。でも違う。
誰かだけが力を持つ権力を持つ、その権力の奪い合いなんだと。力で対抗しようとした時点で違うところに向かってしまう。もっと言うならそれが暴力というもの。
力での支配、権力で解決する、それ自体が全く間違っているんじゃないか、と。
僕がこれまで語って来たこと、
そして沢山のダウン症のある人達と過ごしてきた無数の時間、彼らと見てきた世界。
それらが教えてくれていること、伝えていることは何かって、力を持つな、ってことなんだよ。
権力を持つなってことなんだよ。
寧ろ力を無くしていかないと、一切の権力を無くさないと。力を無化してはじめて相手と対話が出来る。
はじめて、人と、この世界と出会い、向き合うことが出来る。
ダウン症文化論と僕が呼ぶもの。
それは力を無化することが人間に可能か、と言う問いかけでもある。
今のままではだめなんだと、それを変えて行くためには違う視点を持たなければならない。
僕は見てきた。そして確信を持っている。
力や権力によらない真の関係性で繋がる文化を。
