多摩美術大学との共催で行われた、
「アール・イマキュレ ダウン症の人たちの感性に学ぶ」2007年11月24日発行のカタログより。
制作現場から見た無垢の感性
アトリエ・エレマン・プレザン東京
佐久間寛厚
ダウン症の人達の制作現場を見守っていると、
完成された一枚の絵と同じように描かれて行くプロセス自体に、彼らの呼吸やリズム、様式と言ったものが現れていることが分かる。
そこには彼ら特有のやわらかく透明な空気感と静けさが漂っている。
ここではダウン症の人達の制作風景に見られる独自の雰囲気について書く事で、「アール・イマキュレ」と定義される作品の背景となっている彼らの心の在り方を捉えてみたいと思う。
絵を書くスタイルは当然一人一人異なっているがそこには決まって彼らに共通する「間」の様なものが感じられる。制作する場はとても自由で自然だ。
彼らは弛緩して物音に耳を澄まし、身の回りを見つめている。
力を抜いた時こそ注意力は強く働くものらしい。
彼らは外の景色を見たり、話をしたりニコニコ笑ったり、時々何かを思い出しているような遠い眼差しでじっとしたりしながら、自然に一枚の作品を仕上げて行く。
彼らにとって絵を描く事と日常的な動作にはそれほどの隔たりはなく、食事や睡眠をとる事と同じ様に作品を創造している。
彼らが創造することは表現と言うよりは「生」そのものなのだろう。
作品が生まれてくる過程を見ていると、
人間の創造性そのものを前にしているように感じられる。彼らの創造性は何らの目的も制限もなく純粋そのものである。
それは外から受けたものではなく完全に自発的なものであり、全く途切れる事がない。
彼らにはスランプと言うものが感じられない。
白紙の一点に最初の線が引かれる時、彼らには一瞬の迷いもためらいも無い。
その次には自分で引いた線を見てその形に反応してまた次の色が選ばれる。
それらの選択は自己の意思と偶然との中間の状況に身をおいてなされている様だ。
彼らは感受性が高く、環境や空気の変化や偶然性と戯れるように調和して行く。
自分が構成し描いて行くというより偶然の変化を即座に捉え、感覚で反応して行く。
次に何が起きるのかは全く分からない。
一瞬の中に全ての注意力を注ぎ、次の変化を敏感につかみとる。
一枚の絵が出来るまでの始まりから終わりまで、全て自分のリズムで進み迷ったり悩んだりする事は無い。
彼らは絵を描く場合も他の行為をする場合もやりすぎるという事が無い。
彼らの内面には秩序と調和がある。
私たちはこのような創造の場を共にしながら、言語以前のところで彼らの存在の在り方を認識してきた。
その世界では言語や思考が動く前に感覚が反応する。
コミュニケーションには多くを必要とせず、直接気持ちが自由に行き来する。
彼らは豊かな認識を生きている。
彼らは根本において平和的存在であり、争うことをしない。彼らと共にいる事でまず感じるのは、そのゆったりとした時間の流れ方だ。
そしてこの世界がいかに豊かで変化に富んでいるのか気づかされる。
彼らの心の動きに寄り添って一つになろうとして行くと、彼らの心がとても澄んでいる事が分かる。
感覚は研ぎ澄まされ、場の空気を即座につかみ把握している。彼らは身の回りで起きる変化にとても敏感に気づいている。風や光の強弱、無数の音。すべての時を新鮮に感じる事が出来る。
彼らは空と、鳥や樹木や小さな虫と会話する。
自己の内部で起きている事も、外部で起こっている事も同じようにつながりの中で捉えている。
実際に彼らと場を共にしている時、あらゆる事象や出来事は無関係には感じられない。
皮膚感覚の様にすべてが未分の状態に、あるいは自己の細胞の一部の様に感じられる。
その感覚、感触はどこか懐かしく心地よい。
彼らに共通したセンスをみていると、彼らには彼ら独自の知覚と認識の世界があり、彼らの文化とでも呼べるものが存在するように思える。
それは人間にとっての原型的、原初的世界であり、
直感的感覚世界なのでは無いだろうか。
