さて、このページは始まったばかりなんですけど、

これまで色んなところで書いたり話したりもして来ていますし、ここではシンプルに行きたいと思います。


今の世界で生き場を失っている人は沢山いるし、

殆どの人は生きづらさを感じているはず。


本当のところは変えたい、変わりたい、とみんな思っている。


でもなかなか人も世界も変わらない。

教育もそうだけど、人は覚えてしまったことをなかなか捨てられない。

この世界を問題だと感じても他の可能性を知らない。


今、1番必要なことは他の価値、他の可能性に気づくこと、そこに目を向けること。


ダウン症のある人達の文化を語って行くことは、一つにはそのきっかけでもある。


障害と言う話になって来ると、関わる人達の殆どは助けることとか、手を貸すことを考えて、本人の可能性を見ない。そうで無くとも、健常者とか普通とか、社会と言う基準に適応させること、そこでの自立や成功にしか目が行かない。でも、そう言う普通のと言う社会が、今もう限界に来ていて、違う可能性を模索しなければならなくなっている。


寧ろ、その普通とか、健常とか、社会とか言われる枠に入らないことの中から、新たな価値が見つかる時代が来る。いやもう来ている。


まずは、もうかしたらそうじゃないかも、もしかしたらそうしなくて良いかも、って考えてみても良い。

今までこうだったから、こうしてきたから、って言うところを離れてみること。

偉いって何?成功って何?お金を持つこと、有名になること、それがはたして正しいことなのか、少なくともそこから漏れてしまう人達を無視していて良いのか?

自分だけ、自分の家族だけ、って考えを狭めて行くと、結局は自分達も苦しくなって来るもの。


人間をやっぱり生命として、生命体として見てみるなら、今の世界が大事にしているお金も成功も、頭と言う理念的な記号的なものが本体で、そこに皮膚の感覚がない。どうしても命からズレてくる。

だから、気づかずに利己的になって行く。

数で勝とうと言う気持ちが人をも数で見てしまう。


ダウン症の人達と付き合っていると、彼らはいつも生命体から逸れないんだな、と感じる。

だから、彼らは優しい。人の存在を決して無視しない。


目の前いるのは人だし、目の前にあるのは命を持ったこの世界。だから、触れることから離れてはならない。


彼らは良く笑う。

命と命が触れ合うこの世界の本来の姿はこうあるべきだと言うことを、もう一度思い出そう。


彼らはとてもシンプルに、僕らはみんな与えられた命を五感を使って感じ合い、響き合って行くと存在なのだと教えてくれる。


専門家達とっては、彼らは教えなければならない存在。

家族にとっても訓練させ、適合させなければならない存在。それはそれぞれの環境と条件の中にあっては最低限やむを得ないことではある。


でもだからこそ、時にその人のありのままを見ようとすること、感じようとすること、それがお互いを豊かにする。


彼らの側に立ってみると、言わいる一般社会の方こそ奇妙に見えてくる。架空のものを追いかけてその為に争い傷つけ合うこの世界。

彼らは共感力が強く傷つき安いと言う部分もあるけど、こんな世界で傷つかない心の方がおかしくはないか。

生きてる生身の人間の心を平気で無視できる世界の方こそが異常なのだから。


僕は本来の彼らの豊かな在り方を知って貰いたいと思っている。学校での、作業所や職場での、あるいはご家族の中での日常での彼ら、彼女らだけでは無くて、本当に何の負荷もかからずに本領を発揮出来ている彼らの姿を知ったら、多くの人は必ず何かを感じるはず。


人間にはまだ使われていない力が沢山ある。

僕らはもっと多くのことに気づくことが出来るし、もっと沢山のことを感じることが出来る。もっと優しくなれる。もっと豊かに平和に生きることだって出来る。


ダウン症の人がたちは人間の可能性を体現している。