僧侶、と一言でいうが実に多彩なのだと今更ながら思わされる。

 

別に国内に限ったことでもなく、現代に限ったことでもない。

 

自分にとって、明らかに違うと思うのは、

 

僧侶 = 仏教ものしりマニアではない。

 

僧侶 = 宗教煽動家ではない。

 

僧侶 = 慈善活動家ではない。

 

僧侶 = 葬式業者ではない。

 

これらは、僧侶でなくてもやれること。僧侶がしなければならないことではない。

 

僧侶 = ほとけの道を歩む者。

 

これはそうだろう、ただ宗派によって、仏も、法も、僧伽も違う。

 

けれど宗門の僧侶は、教えをいただき、道を愚直に歩んでゆく。

 

蓮如さんは、若いうちに仏道に触れるべきと言われていたが、

 

自分自身、若い時には無理だったろう。全て加算のために生きた。

 

能力、資格、年収、学歴、地位、年齢がかさむほど上げていくことが第一義だった。

 

還暦を超えて、引き算の人生をはじめるようになって仏道の入り口に立てた。

 

引き算の行きつく先は、寂静、滅度、無、空、零、生まれる前の状態に戻ってゆく。

 

こびりついてしまった垢は落とし切れないけれど、軽くなるならありがたい。

 

自分なりの僧侶像は、資格をつけるわけでもなく、箔をつけることもなく

 

強さをつける修行もなく、仲間を増やす努力もない。全てがその逆。

 

所行より一念。知識より信。加算より減算。死後より現在。

 

誰もこうしなさいとは言わない。自分という僧侶を使うのみ。