今年の3月、70年近く活動を続けた一般社団法人在家仏教協会が、

 

その役目を終えたかのように、ひっそりと解散した。

 

2017年4月まで月刊誌「在家仏教」を刊行し、毎月講話会なども開催していたらしい。

 

戦後間もない頃、旧協和発酵工業の創業者で化学者でもある加藤弁三郎が、

 

名だたる仏教学者たちとともに立ち上げた在家仏教協会。

 

明治生まれの高名な僧や仏教学者たちがまだ存命中だった頃、

 

在家仏教運動一つの大きなうねりとなったであろう。

 

21世紀、令和となった今では、それがどのような形として残っているのか知る由もない。

 

日経の「私の履歴書」でも取り上げらた加藤弁三郎は、

 

妙好人を多く輩出した山陰の出身で、真宗の縁があったようだ。

 

科学者であり実業家でもある加藤は、宗教に対して胡散臭い思いを持っていた。

 

導きであろうか、本屋で手に取った「歎異抄」が出会いだったらしい。

 

今もある公益財団法人加藤記念バイオサイエンス振興財団から、毎年優秀な若手研究者たちに

 

都合5400万円の助成金とともに「生かされている」と書かれた加藤弁三郎揮毫の記念盾が贈られる。

 

生命科学、微生物を研究すると、エコシステムという世界に行きあたる。

 

加藤自身残した言葉の中に、

 

「この世では、何ひとつ単独で存在し得ない、明らかに持ちつ持たれつの相互依存で存在する」

 

とある。

 

彼の事業もその精神が息づき、やがて企業風土となっていった。

 

僧侶や仏教学者ではなく、仏教者としてあった凄腕経営者は多い、

 

古くは松下幸之助、稲盛和夫など、財団を作り研究助成をしたり、私塾を開き人材啓蒙をし、

 

人を育てることを極めて重く見ていた。松下は、お得意先から何をつくる会社かと問われたら

 

「松下電器は人を作っている会社でございます。あわせて電気器具を作っています。」と

 

答えなさいと昭和の初めの頃に若手社員に言い聞かせたという逸話は有名である。

 

お寺さんも言われるが、仏教はお寺のものでも、僧侶のものでもない、

 

世の中の人々を活かすためにあると。それこそが本質とされている。

 

在家仏教協会の役目は終わったかもしれないが、

 

在野にある令和を生きる人々は、尚も生きてゆく。

 

加藤弁三郎のいう執着と驕慢の凡夫、

 

そして歎異抄にある「火宅無常の世界」

 

おじいさんの言葉が身にしみる。

 

「金のことは考えへん。どうどこうど食うていけたらそれでええ。

 

もっと大事なこと、面白いことを追いかけていたい。貧乏忙しや。」