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寝たのか寝てないのか分からないうちに翌日の朝が来ました。

義父が亡くなったこと、まだ実感がありません。


昨日の夕方からがあまりにも非日常の怒涛の時間だったので、現実のこととは思えません。


全部夢だったんじゃないかと思いますが、どうやらそうではないらしい。


とりあえず喪服の準備をして、遺影の写真を選んだりしました。


旦那の喪服も数年前に一式購入していましたが、今見ると裏地がなくて寒そう。


誰にも見せないからそれでも良いかと思うんですが、義父が仕立てのよさそうな冬用の喪服をもっていたので、ためしに義父の喪服を着用してみたらなんとサイズがピッタリ。


ズボンのウエストも長さもあつらえたようです。

さすが血を分けた父子。


義父の喪服を着ることにしました。


お金は葬儀屋さんにあとから支払いますが、先に必要なお金を準備しなくてはいけません。


火葬場を使うためのお金。

お坊さんにお渡しするお金。

それと、通夜振舞いのお寿司のお金。

葬儀の日のお弁当のお金。


全部、葬儀屋さんが明瞭会計で金額提示してくれました。


特に、お坊さんのお金は「気持ちで」などと言われて相場の金額を調べ回ることがあるので心配でしたが、しっかり指定してくれて助かりました。

葬儀屋さんがお金をいれる封筒の表書きもして、裏面に○○万円とさっさと記入してくださいました。


封筒も薄墨の筆ペンも用意せずに済み、さらに、いつどうやって、どう声をかけてお渡しするのかまで教えてくださり、恥をかかずに済みました。


遺影の写真は、義父のアルバムをまとめた紙袋を覗いてみました。


義父はベテランの溶接工でした。

スカイツリーの建設にもたずさわっており、その時建設中のスカイツリーをバックに撮影された写真が良い顔をしていたので、これを使ってもらうことにしました。

背景は今年見ることが出来なかった桜に、服はスーツを合成してもらいました。


準備を全て終えて、15時頃会場入りしました。


義父は昨日の和室から、もう納棺を終えて祭壇の部屋に安置されていました。


いつものように「来たよ~」と声をかけました。


祭壇が組まれた会場は、庭に面した部屋。


家族葬用のこじんまりした会場ですが、今回の参列は10人ほどの予定なので、椅子が詰め詰めになることもなく問題なく全員座れます。


一階の祭壇の部屋のすぐ横はダイニングキッチン。

そして、お風呂場があり、トイレも二ヶ所。

二階に上がるエレベーターもあります。

私たちが待機しているのはテレビのある応接室。

ふかふかソファの応接セットが設置されています。

昨日義父が安置されていた和室はお坊さんの控え室となるようです。

他には物置も二ヶ所ほどあって、個人のお宅としては広々です。


二階には、親族控え室になる和室が2部屋とトイレがあります。


司会を担当してくださる女性の方と打合せを行いました。

特に焼香の順番などは、座る座席と合わせて打ち合わせが必要です。

締めの焼香は義父のお兄さんに頼むことにしました。


参列は喪主の旦那、私と、孫である三つ子たち。それに私の母はあちゃん、私の妹ひいちゃん。

そして、義父の兄とその奥さん、義父の妹の合計10人となります。


義父と長年一緒に住んでいた義母の家族たちには連絡していません。

連絡先も知りません。

しかし家は知ってるのですから、連絡するつもりなら家に行けば可能なのですが、きっと義父も来てほしくないでしょう。


もう絶縁とすることにしました。


しかし、義父の勤め先の方々が葬儀に来たいと言ってくださりました。

コロナ禍の家族葬なのでと言いましたが、社長さんだけ代表で出席してもらうことになり、葬儀は11名の参列となりました。


出席者が次々と集まって18時からのお通夜は滞りなく済ませることができました。


三つ子たちもはあちゃんと共に来て、先に帰って行きました。


お通夜の夜はお線香を切らせてはいけないので、火の番で旦那は会場に泊まることになります。


とはいっても、一晩消えないグルグル巻のお線香が用意されていたので、これといってすることはないのですが。

旦那は一度寝ると地震くらいでは起きないので、起きて何かをしろと言っても無理ですけど。


2階の控え室にはお布団セットも完備。

お風呂の前にはお風呂セットも準備されています。

至れり尽くせり。


旦那にはご飯を買ってこようかと言いましたが、あとからコンビニに自分で買いに行くと言うので、旦那をおいて私だけ帰宅しました。


長い1日でしたが、葬儀から初七日まで行う明日の方が大変なので身体を休めなければ。


義父、本当に亡くなってしまったんだなぁ。


続く


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