父がこの世を去って後

 

私はふたつの出来事に

強い衝撃を受けています

 

 

そのひとつが

 

- いこみき - いこしき -

"已己巳己"

という 繋がり

 

 

 

様々な手続きや準備をしていて

初めは「偶然」と思っていたことが

 

更なる偶然…奇跡の偶然と重なり

それはまるで

遥か古の一族の誰かによって

謎解きをさせられているような

運命めいたものを感じています

 

 

 

ですが証拠は揃っても

 

それを紡ぐ語りべもなく

文字としての資料もない

 

そんなルーツは

どんなに理屈を捏ねたとしても

「推測の域」を脱しません

 

 

 

でも 私は知りたい

 

この偶然な証拠が示す

"その先" を

 

 

 

 

 

 

ふたつめは

 

"人は生きながらでも死ぬ"

ということ

 

 

 

ある意味これは笑い話ですが

 

最近よく母親が

 

「誰かが来て掃除してくれてた」

とか

「誰かが来て経をあげてくれた」

などと言ってるらしくて

 

一緒にいるときは言わないのに

私の姿が見えないと

私を"だれか"と呼ぶ

 

私は

少しずつ 少しずつ

母の中で

記憶のパーツとして崩れ落ち

 

息子としての存在そのものが

消えていってるのですね

 

 

それが... 今は

 

恐ろしく 寂しい

 

 

 

 

 

 

 

 

すべての人は名を残さずとも

生きたことで歴史を残します

 

 

でもその歴史は

 

誰かが語り継ぐか

文字として残すか

誰かの記憶の中で生きなければ

完全に消えてなくなります

 

 

わたしの一族の誰かが

"未来の誰か"

に残した小さな声の数々

 

その導きの先にあるものが

いったい何なのか?

 

 

もしも歩を進めることで

哀しみを知ることになっても

 

わたしは

その声に耳を傾けてみたい

 

 

 

記憶の杜のかくれんぼ

 

「ま~だだよ」って策を練って

「もういいよ!!」って隠れたけれど

 

誰も探しに来ないから

隠れた子らは

いつまで経っても隠れたまんま

 

繋がりさえも忘れる程に

離れ離れに隠れたまんま

 

 

 

 

 

だから 探しに来たよ

 

 が きたよ

 

 

 

 

 

"忘れるのは それを忘れたいからである

人は不快な記憶を忘れる事で防衛する"

~ジークムント・フロイト~