ダーツのことを聞かれたので
私のフォーム理論の核である
『矢をはなさない』
という話(説明)をしたとき
「へぇ‥案外簡単なんですね!?」
と言われました
人の思い込みとは
本当に怖いことだと
いまさらに再認識しました
自分では「できている」と
錯覚して生きる
これはなにもダーツに限らず
仕事や恋愛においても同じこと
「自分はできている」
「キッチリやれている」
「わかっている」・・
そう思い込む事の恐ろしさ
だって
そう本気で思っている者は
"反省をしない"
"努力をしない"
"自分の過ちを認めない"
"自分の無能を受け入れない"
・・ってこと
だから現実が見えない
見ようともしない
注意されても 話し合っても
自分以外を認めず 否定する
きっと
当人は幸せなんでしょうが
いつか
"事実と現実と真実の差"を
わかる日が来るといいですね
コナン君?・・
「真実はいつもひとつ!!」
なんて言ってるから
事件も悪党も減らないんだよ!?
私の実父が亡くなったとき
私はその墓に
「已己巳己」の四文字と
「繋」の一文字を刻みました
姓にも名にも囚われることなく
ただただ似た者同士や
気の合う者と共にあれと願い
その言葉を俗世の墓に刻みました
「類は友を呼ぶ」とよく言いますが
実際 本当にそうだと感じます
その相手が覚醒してなかろうと
まだ若く気付いていなかろうと
確かに類は友を呼びます
私の周りは
男も女も 老いも若きも
皆一様に「人嫌い」ばかり
一般社会に溶け込むことも
普通を受け入れる事もできず
行き場所なく彷徨う者ばかり
本音も吐かず 腹も割らないけれど
そんな孤独な不器用と交わす酒は
どんな安酒であっても美酒と化します
未だ蛹にさえなれず悩むバカも
足掻くたびに傷を負うアホゥも
いつの日か
羽化できることを信じて
似た者同士
盃を交わしましょう
でも
「いつか」「また」と交わした
酌み交わす約束さえ
なかなか果たせないんですよね(笑)
ただ‥
その日が来る前に私が逝っちゃたら
その時は ご容赦(笑)
たぶん5年以上前だった筈です
その人が初めて公園に現れ
プレートを何枚も腰に下げて
加重ディップスを始めた時は
「いきなりその重さで!?」
と驚きました ![]()
正直‥続かないと思いました ![]()
ですがその後
季節は幾度も巡り来て
彼は
"残存率1%のマイノリティー"
として公園で生き残ったのです
![]()
そんな彼と
先日はじめて会話をしました ![]()
面白いものです
何年もの間
互いに努力する姿を見てきていると
すんなりと会話できるんですよね ![]()
人は嘘をつく生き物です
言葉や態度で嘘を塗り重ねます
ですが
フィットネス系で欺くことは
とても難しいし危険が伴います
やっている内容が‥
回数が‥ 難易度が…
そして何より
鍛えこまれた肉体が
すべてを雄弁に語ります ![]()
真剣・本気・真面目は
私の大好物です
大切なのは
「言葉」より「行動」
そして できる限り
綺麗な肉体でいたいものです ![]()
「オス」であり続けたいものです ![]()
![]()
「木を見て森を見ず」
ということわざを知っていますか?
会社の役員とか経営者が
社員によく使う言葉ですよね
ただ‥
言葉の意味を自分の都合に合わせ
こじつけてる者が多いですがね(笑)
では 英語の格言で
"One rotten apple spoils the barrel"
から由来した
「腐った林檎は箱ごと捨てろ」
ということわざはご存じですか?
これこそ多くの指導者が
今すぐ行わねばならぬ問題に対する
ありがたい格言だと思うのですが‥
公園や森の中で
多くの木が一斉に枯れる最大の原因は
おおよそ寄生虫と感染病です
一旦これらが確認されたなら
たとえどんな大きな犠牲を払ってでも
感染木は全て切り捨てねばなりませんし
たとえ健康そうに見えても
隣接する周りの木も伐採せねばなりません
大切なのは
「始まりの一本」を如何に早く見抜き
適切に処置するかに尽きますが
それが間に合わず
広大に広がってしまった感染なら
まずは大きなリスクを覚悟すること
そして
実行者の排除の手際良さが重要です
それができなければ
森は消滅に晒されます
「木を見て森を見ず」
「腐った林檎は箱ごと捨てろ」
この教え・・
今のこの時代であるからこそ
とても大きな意味を持っていると
わたしは感じています
ドジャースの大谷翔平は集団における
「個」の持つ可能性を世に知らしめました
彼は
毒と薬の使い分けが上手い
"ドクター" ですね(笑)
ダーツバー・トリプルゾーン
が徳島にあったころ入会した
とある馴染みの ダーツサイト
長い長い付き合いだったんだけど
先日
有料会員を退会しました
今までいろんなことがあったけど
まあ… それでも続けてきました
だけど
ちょっとした事件をきっかけに
"この縁はもう切れる運命なんだな"
‥と感じたんです
またひとつ
「断・捨・離」が増えました
ダーツというキーワードは
わたしの人生の中で
とても大切なものです
多くの出会いと
別れを繰り返しながらも
そこで育んだ縁や絆は今も続き
私の人生を豊かにしてくれています
この何本もの「赤い糸」が
いつまで繋がっていてくれるのか?
…それは私にもわかりませんが
このダーツをきっかけとした
出会いという名の運命の糸が
一本でも多く
この先も繋がっていてくれる事を
願わずにはいられません
ただ‥
あの頃のような
ガムシャラにダーツと関わった
愛すべきバカ共が影を潜め
悪い意味で"スマート化"されつつある
今のダーツ界にはガッカリしています
私も歳をとったのでしょう
あの熱かった日々が‥顔ぶれが…
いま
懐かしくて仕方ありません
--------------------------------------------------------
私は いま どんな姿で
母の記憶の中に生きているんだろう?
--------------------------------------------------------
年老いた母の暮らす施設のイベントで
私が壇上に立つ母の姿を追っている隣で
他の利用者のおばあさんが "ぽつり"
「○○ちゃんかい!?」
そういって"ひ孫"に語りかけた
「お母さん!! それはわたし」
と 隣で娘が微笑む
「あぁ・・そうかい(笑)」
と苦笑いする おばあさん
でも きっとおばあさんの心には
8~9才の時の"娘"との記憶が
最も強く残っているのだろうね
その頃のおばあさんはきっと
20代後半~30代くらいかな?
その時期に
なにがあったのかはわからない
おばあさん当人じゃなきゃ
それはわからない
ただ‥ その記憶が
幸せから残った物なのか?
それとも贖罪からなのかは
とても大きな問題だと思う
齢老ったから‥と言うよりも
記憶が遠ざかれば遠ざかるほど
人はインパクトのある記憶以外を
思い出さなくなってしまうもの
だけどそんな時の止まった記憶は
できるだけ「愛」であって欲しい
もしそうでないのなら
それは「呪い」に等しいからね
わたしの母も
"今の私"をあまり認知してくれない
母の中の"息子"という存在や
私の"名"と結びついているのは
今のわたしでは ない からだ
だとしたら
母の記憶の杜に住んでいる私は
一体 いつの私なんだろう?
本人から分離した
私ではない‥ わたし
母の中にだけ存在する
永遠に齢をとらない わたし
まぁ
今まで散々苦労ばかりかけた
こんなできの悪い息子なんて
もう
覚えておく価値なんて無いけどね
一口に断捨離と言いましても
それは不必要なものをただ捨てる‥
といった意味ではないですよね
ただ‥この間から
様々な「もの」や「ひと」が
私の傍から離れていくので
少々物悲しく感じています
ましてや4月ともなれば
出会いと別れの季節でもあり
猶更に・・ ね
そして本日
最後のプリンターとの
お別れとなりました
もう私の生活において
「プリントアウト」は
ほぼ起きない行為となり
最後の1台となった
想い出のプリンターを処分しました
八百万の神々ではないですが
私はモノを長期持ちすぎるので
感情移入してしまって
お別れがとてもつらい
そしてまもなく
長年愛用してきた
スマホも変わります
いつぶりでしょう?
短期間にこんなにも激しく
様々なものが入れ替わるのは?
新しい流れが目の前です
変らねばなりません
私も
モノも
環境も
認知症を患った親の為に
「自分が親の面倒をみる」
そういって
実家に引きこもった奴がいる
それはとても素敵な美談だと
個人的にわたしは思っている
だけど
そんな話をそいつから聞いたとき
私はまず親の年齢を聞き
そして電話口で囁いた
「あと20年以上は元気だろうな‥」
わたしは酷い奴だ
そいつの覚悟を聞いた瞬間
私はそいつの親の寿命を数えた
実は
似たような話をわたしはまだ
数件 聞いています
みんな本当に優しい
とても親孝行な息子や娘だ
でも数十年後‥
その親が旅立ったあと
お前らはどうやって生活して
生きてゆくつもりなんだ?
自分が何歳に達しているか
理解しているんだろうか?
俺はお前らの親を知らない
会ったことさえ無い
俺が知っているのは
お前たち 本人だけだ
だから
お前らの親が幸せに旅立つことより
お前らが幸せになってくれることを
俺は願うよ
たとえ お前らに嫌われようと























