杉林の向こうに五重塔を右手に見ながら、高い杉に囲まれた下新道の道沿いには小川が流れ、心地よいせせらぎが聞こえます。
西参道との合流地点で右手に少し上がれば「二荒山神社」ですが、常行堂と法華堂からなる二つ堂の前を過ぎ「輪王寺大猷院」を参拝します。「大猷院」は、家光公の法号で、大猷とは儒学で尊重されている五経のひとつ「詩経」からとられた言葉で大いなる道という意味で、慶安4年(1651)に没した家光公が死後も家康にお仕えするという遺言を残し、4代将軍・家綱によって1年2カ月で完成された3代将軍家光公の廟所です。東照宮を敬うために北(東照宮の方向)を向いていて「東照宮をしのいではならない」という家光の遺言により控えめな造りですが、細部までこだわった意匠は見事です。造営の任にあたった平内応勝は、東照宮造営の甲良宗広とともに徳川作事方大棟梁であり、桃山・江戸期を代表する建築家です。入口の仁王門かえあ全体を仰げば木立の中にあり、たたずまいの静寂さが漂います。
一番目の門「仁王門」は、左右に高さ3,2mの金剛力士像が立ち、八本の脚が支えています。物事すべてに始まりと終わりがあることを表現している「阿」「吽」の口の形をした密迹(みっしゃく)金剛・那羅延金剛の2体が守る朱塗りの門です。装飾・彩色ともに控えめですが欄間の透かし彫りは見事です。
広い石畳の参道を進むと、右手に御水舎があり手を清めます。東照宮の御水舎と比べると小さいものの、屋根の下に施された波の彫刻があり、12本の柱に支えられた切妻屋根の天井には狩野安信の筆による墨絵の龍が描かれていて、その姿が真下の水盤に映ることから「水鏡の龍」と呼ばれています。
左折して「二天門」への石段を上がります。日光山内で最大の門で、朱色、黒などメリハリのある色彩が特徴です。2018年春に修復が完了し鮮やかな色彩美を取り戻した姿が目に飛び込んできて、特に肘木の黒と金のコントラストが美しい。
左に持国天、右に広目天の2体が立っています。裏には風神・雷神も祀られています。屋根の下には。後水尾天皇の筆による「大猷院」の額があがっています。
門をくぐると正面を高い石垣に阻まれますが、それゆえに、奥の景色への期待感を抱かせます。右折して石段を上り、やがて左折する前に踊り場が広く開けます。参拝の歩みを進めるごとに景色に変化があり、天上界に昇っていくような印象を受けます。振り返ると石段や二天門など、あたかも下界を眺めるかのような景色が展開しています。
大猷院三つめの門が「夜叉門」です。東西南北の方位を表す青、緑、赤、白の色で彩色された4体の夜叉が立ち、悪鬼が侵入しないように守り固めています。門扉全体に施された牡丹唐草の彫刻が美しく「牡丹門」とも呼ばれています。
正面右手が東の夜叉「阿跋摩羅(あばつまら)」です。金色の肩掛けと白虎の毛皮を巻いていて、威圧感のある表情が特徴です。
正面左手が南の夜叉「毘陀羅(びだら)」です。肩から金色の衣類をまとい、膝当てからナマズが顔を出し、靴をはいています。
裏手左には北の夜叉「鳥摩勒伽(うまろきゃ)」が手に弓、右手に破魔矢の原点ともいわれる矢を持っています。象の膝当てをしています。
同じく裏手右に西の夜叉「犍陀羅(けんだら)」が右手に斧を持ち、水玉模様のブーツ」のようなものを履いています。
日光彫の原型とされる天井の透かし彫りも必見です。
門をくぐると広場になり、徳川御三家をはじめとする有力大名から寄進された青銅の灯籠が並んでいます。
正面にいよいよ拝殿・相の間・本殿を金閣殿と総称しますが、その入口にあたる門が「唐門」です。高さ3m。間口1,8mとと小ぶりですが、金箔がふんだんに使われ、地紋彫りの彩色、彫刻も極彩色、黒漆の扉に白鶴、白龍が映え、すみずみまで施されて優美かつ繊細な美しさです。。
両側の袖塀に彫られた百間百態の群鳩も必見です。
正面右手から向かうのが家光の墓所がある奥の院の入口にある「皇嘉門」です。高さ2.2m、幅1,8mの中国・明朝形式の竜宮造で「竜宮門」とも呼ばれ小規模ながらあでやかで美しい。門の天井には、ここから先が聖域であることを象徴する天女の絵が描かれているとのこと。ここから先は非公開で見学はできません。
家光は『死して後も東照大権現のおそばに侍り仕えまつらん。大黒山慈眼堂の傍らに葬るべし』という旨の遺言を残しておいます。果たして大猷院は東照宮の奥社、家康の墓所に向かって建てられ。家光の墓は隣の慈眼堂(天海僧正)を向いて建てられています。

















