大猷院をあとにして、二つ堂の前を過ぎ、左手の大鳥居から山岳信仰の聖地であり、良縁開運の地「二荒山神社」に詣でます。
嘉祥元年(848)、慈覚大師円仁が比叡山延暦寺「にない堂」にならって建てらえた法華堂と常行堂からなる二つ堂はかつて東照宮境内にあったものを二代将軍・徳川秀忠が移動させたものです。特に「常行堂」は鎌倉時代に源頼朝が深く帰依し、平家追討や奥州藤原氏追伐の際に常行堂に祈願しており、頼朝堂の別名があります。仏様の周りを念仏を唱えながら歩く「常行三昧」という修行が行われます。御本尊は宝冠をいただき孔雀に乗った宝冠五智阿弥陀如来像で周囲に4菩薩を配しています。
大鳥居からの石段途中には、
杉の木と楢の木が合体した不思議な木で“好き(杉)なら(楢)一緒”として知られるようになった「縁結びの御神木」があります。
神門をくぐれば正面に御祈祷などが行われる拝殿が現れます。弁柄漆塗りで彫刻や文様などの装飾が一切施されていない荘厳な拝殿は、二社一寺の建造物としては珍しい造りです。その後ろの渡殿、本殿と続きます。
日光二荒山神社は奈良時代に勝道上人による創建1200年を誇る古社で、男体山をご神体として祀り、その神域は華厳滝や第一いりは坂も含む約3400haと広大なものです。本社の社殿は江戸初期の建築様式を伝える日光最古の建物で、元和5年(1619)に二代将軍徳川秀忠によってこの形になりました。八棟造りと呼ばれる千鳥破風や軒唐破風の付いた優美で華麗な建築様式に特徴があり、上層部には極彩色の十二支彫刻や彩色が施され美しい。本殿には入ることはできませんが拝殿や神苑から本殿を囲む透塀越しにその美しさをうかがうことができます。
左手にある「神輿舎」は元和3年(1617)の東照宮造営の際、仮殿の拝殿として建てられ、寛永年間に現在の神苑内に移されたました。素木造りで、日光山内で現存する最古の建物です。内部には4月に行われる弥生祭で渡御する神輿3基が納められています。
拝殿西側の「日枝神社」は嘉祥元年(848)に慈覚大師円仁が比叡山から分祀したと伝えられていて、平安時代に日光山にもたらされた天台仏教の足跡のひとつです。その裏側には女峰山への登り口があり、進むと修験道の始祖とされる役小角を祀る祠へと導かれる。御祭神は大山咋神で峰入り行者の守り神です。鈴を鳴らして御参りすれば足腰や健康にご利益があります。
神苑の中の「大国殿」は、柿葺き宝形造りで神社ですが構造的には寺に近く、中央に日本で唯一手で福を招く大国様が祀られています。福の神、縁結びの神として人気があります。金の小槌を振って願い事を祈願しましょう。
大国殿の前には触れると心が丸くなるという円石が置かれています。
大国殿と日枝神社に囲まれたしめ縄で囲まれたエリアが、古くから神様が降りてくるといわれる禁足地「高天原」です。中には決して入らないように縄の中に手をかざして深呼吸をしてパワーをたっぷり取り入れましょう。弥生祭の期間中、3基の神輿がここに集結します。
同じ神苑内には弘法大師お手植えと伝えらえる高野槇や名水「二荒霊泉」が湧いています。本殿裏の恒霊山中にある洞窟から湧き出す眼病に効くという「薬師霊泉」と滝尾神社境内の天狗沢のほとりに湧く「酒の泉」を合わせて引いたものです。知恵がついて美人になるというご利益があるとか。酒造家の信仰も集めています。
霊泉の入口にある日光銭洗所でお金を洗うと、浄化のほか再生や幸運をももたらすといわれています。
警護の武士たちが怪しげな灯に驚き、切りつけた傷が無数に残る春日造灯籠、通称「化け灯籠」もあります。
二荒山神社は山の奥まったところにあるので老木や巨木が多く、1本の木の根から2本の木が伸びている夫婦杉や、3本の木がが伸びている親子杉などがあり、心静かに家庭円満や夫婦円満をを祈願したいもんものです。
帰りは唐銅鳥居をくぐり、
朱塗りの楼門をくぐり
合計で37基の灯籠が並び見事な景観を演出している上新道を歩いて表参道にでます。
逆に東照宮をあとにして上新道から二荒山神社、大猷院から下新道で表参道にという順序もあります。
表参道を下り現在修復中の「日光山輪王寺」に向かいます。途中大護摩堂の前にある「相輪橖」を見ていきます。高さ13.2mの細長い塔で、三仏堂の斜め裏にあります。比叡山の宝塔を模し、三代将軍・家光の発願を受けて天海僧正が建立しました。
黒門から境内にはいります。「日光山輪王寺」は天平神護2年(766)、勝道上人が建立した四本龍寺が最初の姿です。鎌倉時代、室町時代を通じて興隆、江戸時代には門跡寺院として皇族の子息たちが集まり、明暦元年(1655)、日光山貫主であった守澄法親王に天皇家から「輪王寺」の称号を勅許されました。天海僧正と家光公が祀られています、
現在修復中の「三仏堂」は平安時代の創建。天保2年(1645)家光公によって建て替えられました。日本でも数少ない天台密教形式の大本堂で、古来の山岳信仰に基づいて御本尊に日光の三山である男体山の本地仏・千手観音、女峰山の本地仏・阿弥陀如来、太郎山の本地仏・馬頭観音が祀られています。これらは江戸初期の作で金色の寄せ木造り、台座から後光を表す光背の一番上までおよそ8mと巨大です。従って三仏が鎮座する三仏堂自体も正面33m、側面25m、高さ26mに達する日光山で最大級の建物です。とりわけ屋根の棟を飾る紋は三つ巴の神紋で、これは二荒山神社の紋であることからもともと三仏堂が二荒山神社の境内にあったことの名残です。※現在2019年度まで改修中
輪王寺宝物殿から「逍遥園」に入ります。かつての輪王寺門跡の本坊の庭園として江戸時代初期に作庭されたもので、一説には小堀遠州の作とも伝わる鳴虫山や男体山・女峰山を借景にし、近江八景の琵琶湖を模して造られたという池泉式回遊庭園です。池を中心に鶴亀に擬した中島と岬とが配されていて四季折々の風情があります。江戸後期の儒者佐藤一斎は、庭園の勝処八景をあげて逍遥園と名付けました。
輪王寺前には錫杖を手にし、日光の山々を背に立っている日光開山の祖・勝道上人像を見上げます。下野国の南東に位置する芳賀郡(現在の栃木県真岡市)に生まれた勝道は、彼方天空に浮かぶ男体山を眺め育ち、そこには人々を救う千手観音が住まうに違いないと仏道に入り、修行を重ねます。天応2年(782)10月、男体山の山頂から中禅寺湖が眼下に広がる光景に観音浄土、仏教で説かれる幻の浄土、観世音菩薩がおわす南方海上にある山・補陀落を見、補陀落山=男体山を開山しました。男体山は別名二荒山といいますが補陀落から二荒と読んだのです。
長坂を下ると
聖地・日光の表玄関を飾る大谷川に架かる「神橋」は、奈良末期の架橋で長さ28m、幅7.4m、水面からの高さ10.6mという朱塗りの橋です。山口の錦帯橋、山梨の猿橋と並ぶ日本三大奇橋のひとつで、かつて神事、将軍参拝、勅使などの参向のみ使用されてきましたが、現在は拝観300円一般の方も渡橋できます。
天平神護2年(766)、勝道上人が日光山内に近づくと、大谷川に行く手を阻まれてしまいます。困った上人が神仏の加護を求めると、雲の中から深沙大王が現れ赤・青の2匹の蛇を放ち、その蛇の背中からヤマスゲが生えて対岸に架かり橋になってくれたため川を渡ることができたという神秘的な伝承が残されています。そのため別名山菅の蛇橋とも言われています。
神橋から一番近い参道が「東参道」で入口には「世界遺産 日光の社寺」の石碑があります。

























