秩父三社「三峯」「秩父」「宝登山」の三つの神社をめぐる! | サラリーマンおやじのさえずり小鳥っぷ(小旅行)

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今から約2000年の昔、第12第景行天皇の皇子・日本武尊が東国平定の折に突然の山火事に遭った際、山犬たちが現われ瞬く間に火を消し止めたことから、日本武尊は山の神が御眷属の山犬を遣わして自分たちを救って下さったと悟り、祖先の神武天皇・大山祇神(山の神)・火産霊神(火の神)を祀り創祀されたのが「宝登山神社」で始まりです。また山の名を「火を止める山」と表し「火止山=ほどさん」と定め宝登山神社の基いとし、後世ふもとの泉から宝珠が飛翔した神変から「宝登山」と改められました。秩父三社の一社で、火防・盗賊除・諸難除の霊験あらたかな神社として崇敬を集め、ミシュラングリーンガイドの一つ星を獲得する日本有数のパワースポットです。

 

 

昭和天皇のご成婚を奉祝し、大正13年(1924)に植えられた黒松・赤松で、仲睦まじく寄り添う姿から「相生の松」として縁結びのお守りや相生の絵馬になっています。相生の松の前を通りいよいよ宝登山神社の鳥居をくぐり石段を登った先に本殿があります。

 

 

現在の社殿は、江戸時代末~明治初頭に造り替えられ、本殿・弊殿・拝殿よりなる権現造りです。

 

 

左右の欄干には「二十四孝」の内8話の親孝行が描かれているなど多くの彫刻がなされていて御鎮座1900年を奉祝した大改修により鮮やかな美しさを取り戻しています。

 

 

社殿の後ろには出世を表す「登竜門」の彫刻が描かれています。妻に下がる黒く塗られた「懸魚」と呼ばれる板が下がり、左右には雲形の鰭が従い花弁を思わせる意匠の六葉・樽の口から構成されています。棟木と虹梁をつなぐ太瓶束を挟んで右に逆巻く水瀬を泳ぐ鯉の姿を、左には龍へと姿を変えて激流を泳ぐ「登龍」の状があらわされています。

 

 

本殿向かって左の御垣内にある「みそぎの泉」は、日本武尊が宝登山に登られる前に身を清めたと伝えられる泉です。玉の泉とも称し、日照りの続く時や雨の降り続く時でも一定の水位を保ちながら湧いています。

 

 

また境内には文政5年(1822)伏見稲荷社から勧請した「宝玉稲荷神社」があり、失くし物をしたときに御参りするとでてくるとか、

 

 

学問の神様「天満・天神社」があります。

 

 

創立は凡そ2100年前、秩父地方開拓の祖神「知知夫彦命」など後四柱の神々を祀り、秩父の総社として柞之杜(ははそのもり)に鎮まる古社である「秩父神社」は、永禄12年(1569)武田信玄の焼き討ちで荒れたままになっていたものを、徳川家康が天正20年(1592)に大旦那となって建て直したのが現在の社殿です。

 

 

権現造り様式の社殿には、東西南北に見事な極彩色の彫刻が施されています。昔から日本人は家や地域の四方を青龍・朱雀・白虎・玄武という神使が守っていると信じられてきました。

 

 

数ある彫刻の中でも有名なのが左甚五郎作といわれる本殿東側虹梁の下の『つなぎの龍』と南側の壁にある『子育ての虎』です。その昔、秩父札所15番少林寺近くに「天ヶ池」という池がありました。その池に棲みついた龍が夜ごと田畑を荒らし、暴れた際には、必ずこの彫刻の下に水溜まりができていたことからこの彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、その後龍は現れなくなったという不思議な伝説があります。その鎖で繋がれた青い龍の彫刻こそこの伝説に語られた「つなぎの龍」の姿です。

 

 

徳川家康が寅の年、寅の日、寅の刻生まれということで、拝殿前は四面にわたってすべて虎の彫り物が施されていますが、特に拝殿正面左より二つ目の、子虎とたわむれる親虎の彫刻は、甚五郎が家康公の威厳とご祭神を守護する神使いとして彫刻したものです。虎の図柄は、一豹に群虎という狩野派の手法で、母虎があえて豹として描かれているのが特徴で、古くから子授け・子育ての象徴として祈願者が絶えません。改築時に「飛騨匠」という墨書きが見つかっていて。甚五郎作の根拠になっています。

 

 

西側には「よく見る」「よく聞いて」「よく話そう」の逆三猿「お元気三猿」もあります。三猿といえば日光東照宮が有名ですが、同じ徳川家ゆかりの神社ではありますが日光とはまったく違った表情をしています。

 

 

本殿北側中央に彫刻された梟は「北辰の梟」といって、菱川師宣描く有名な浮世絵「見返り美人」よろしく、体は正面の本殿に向き。頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わずご祭神をお守りしています。ご祭神の妙見様は北極星を中心とした北辰北斗の星の信仰で、この梟の見ている方角に妙見様が出現することからも梟は特に縁りの深い瑞鳥であると言え、神使として社殿北面に施されたものです。

 

 

雲取山、白根山、妙法ヶ岳の3つの峰に囲まれた標高約1100mの奥秩父三峯山山頂の地に立つ古社が「三峯神社」です。約1900年前に日本武尊が訪れた際、あまりに清く美しい風景に魅せられ、この国の平和と人々の幸せを祈り、国生みの神である伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉册尊(イザナミノミコト)の2神をお祀りしたのが始まりとされています。室町時代から天台修験の関東総本山として崇拝され、江戸時代には、三峯講が組織され、近年では多くの著名人や起業家、アスリートがパワーを授かったことが広がり“関東最強”と称されるパワースポットと呼ばれています。

 

 

境内には神の使いとして随所に狛犬の代わりにオオカミ(山犬)像が鳥居脇などに鎮座しています。眷属とは神様の霊力を受け、神様と同じ働きをするものとして仰がれる動物の総称を眷属と言います。稲荷神社のキツネ、八幡神社のハトをはじめ、シカやカラス、ウサギ、サル、ニワトリなど昔の人々が身近に見かけた動物が多い中、三峯神社の眷属(お使い)は、寶登山神社と同様オオカミ(山犬)です。これは日本武尊を助け、道案内をしたことからで神にもっとも近い眷属といわれています。

 

 

三つの鳥居を組み合わせた全国でも珍しい「三ツ鳥居」をくぐり表参道から隋神門へと通るのが古来の正参道です。隋神門は元禄4年(1691)建立、現隋神門は寛政4年(1792」)再建のものです。

 

 

参道から本殿に向かう石段を上ると正面に弘化2年(1845)に建立された「青銅鳥居」。江戸深川の堅川講中からの奉納されたもので、荒川を筏で曳いてきたといいます。奉納者の中に初代塩原太助の名も刻まれています。

 

 

右手には安政4年(1857)に建立された珍しい大型の木製飾り灯籠「八棟灯籠」が目にはいり、高さ6mあり、その精緻巧妙な彫刻に驚かされます。

 

 

左手には嘉永6年(1853)に4年の歳月をかけて江戸深川堅川講中奉納により建立された「手水舎」があり御参りするために手を洗い口をすすぐ施設です。間口3m、奥行き2.6mあり、八棟灯籠や拝殿に劣らない見事な精巧な龍の彫刻が施されています。

 

 

寛文元年(1661)創建の春日造りの本殿と、寛政12年(1800)建立の権現造りの拝殿が連なるように立ち、拝殿の梁や柱には龍や鳳凰などをモチーフとした極彩色の彫刻が施されて華麗そのものです。

 

 

正面に立派な大額がかかり、扁額には有栖川宮熾仁親王殿下御染筆の「三峯神社」の文字が書かれ、額上には菊の御紋も描かれています。社務所で祈祷を申し込めば拝殿内に入ることもできます。また毎月1日限定で配布される白い「気守」は浅田真央が所持していたことから大人気のお守りです。

 

 

拝殿左手側の石段には2013年の辰年に突如現れたという龍の姿があります。赤い目と細く伸びた顔はまさしく龍そのもので特に赤い目が印象的です。携帯の待ちうけにすると運気が上がると評判です。

 

 

拝殿脇に続く石段の両脇に、樹齢約800年のご神木が聳えています。重忠杉と言われ、三峯山の信仰が広まった鎌倉期に、畠山重忠が厚く信仰し奉納したと伝わります。全国的にも珍しくふれてもOKということから参拝者が手や顔をつけてご神木からの『気』をもらっていて、そのため木肌が赤くなっています。3回深呼吸してから触れると、よりパワーがいただけます。

 

 

本殿左手奥の小径を暫く進むと縁結びの木がありさらに進むと「御仮屋神社(遠宮)があります。三峯神社の眷属であるオオカミ(山犬)=大口真神を祀っています。おいぬ様と親しみを込めて呼ばれ、諸難除・火難除・盗難除に霊験があります。

 

 

帰路「日本武尊銅像」入口前、随神門の丁度向かいに遥拝殿があります。妙法ヶ岳に鎮座する奥宮神社の遥拝所で秩父市をはじめ遠く日光連山が見渡せます。

 

 

奥宮は正面岩峰の頂きにあります。