2013年1月、中国・北京。日本のマスコミが中国の大気汚染について騒ぎ出す1か月以上前から、尋常でない経済成長を続けるこの国の首都は連日の濃霧に悩まされていた。飛行機が飛べない、あげく車の運転も危険なほどの深い霧が何日も続く。ただしこれも単なる前触れに過ぎなかった。というのも霧というのは水分が凝固したものであって、視界を妨げはしても人間の呼吸器への直接の影響はそれほど大きくないからだ。
そう、あの悪名高いPM2.5が霧を構成する微小な水粒の核となっていた以上、連日の濃霧以上のさらなる脅威が人間自身に迫っていることは誰の目にも明らかなはずだった。少なくとも専門家たちはそのことを予期すべきだったし、実際に予期していたのだろうが、そのすべては結果からすればすべて後付けだったし、今に至るまでそうである。
なんでも無所謂(中国語で「どうでもいい」の意)で、普段は細かいことは(それほど)気にしない中国・北京の人々が急に自分の健康を気にし出したのはその頃のことだ。風邪でもないのにひどく咳が出る、そして止まらない。PM2.5が目に見えるはずはないのだが、人間というのは不思議なもので、五感で何かを感じ取る。いつもと何かが違う、空気がよどんでいるのか? 喉の粘膜の正常な生理的反応に過ぎないのだが、理由が分からないというのはやはり怖い。「大気汚染ひどいねえ」とお互いに咳をしながら世間話をしていても、当然笑顔はない。
天気予報には「霾」とある。黄砂ではない。霧でもない。目に見えないぐらいの微小な粒子が大気に充満し、結果として太陽がかすんで見える。中国人の友人が言う、黄砂や霧の方がまだましだ、と。マスクをしている人はいたとしても少数で、きちんと効果を期待できそうなマスクをしている人はさらに少数だ。ひどく高価なだけでなく普通に手に入らないからに他ならない。自分たちの目の前にある脅威に面してもなす術がない、というのはまさにこのことか。
外国人は国に逃げ帰ればいいのかもしれないが、ここにいる人たちは逃げようがない。いやもっと正確には、経済的に逃げる術がないし、多くの人は恐らく逃げたくない。首都北京を構成する諸々の一部となってそこで生活する人々にとって今回の大気汚染は非常に対処しにくい危機なのだが、終わりはまだ誰にも見えていない。
そう、あの悪名高いPM2.5が霧を構成する微小な水粒の核となっていた以上、連日の濃霧以上のさらなる脅威が人間自身に迫っていることは誰の目にも明らかなはずだった。少なくとも専門家たちはそのことを予期すべきだったし、実際に予期していたのだろうが、そのすべては結果からすればすべて後付けだったし、今に至るまでそうである。
なんでも無所謂(中国語で「どうでもいい」の意)で、普段は細かいことは(それほど)気にしない中国・北京の人々が急に自分の健康を気にし出したのはその頃のことだ。風邪でもないのにひどく咳が出る、そして止まらない。PM2.5が目に見えるはずはないのだが、人間というのは不思議なもので、五感で何かを感じ取る。いつもと何かが違う、空気がよどんでいるのか? 喉の粘膜の正常な生理的反応に過ぎないのだが、理由が分からないというのはやはり怖い。「大気汚染ひどいねえ」とお互いに咳をしながら世間話をしていても、当然笑顔はない。
天気予報には「霾」とある。黄砂ではない。霧でもない。目に見えないぐらいの微小な粒子が大気に充満し、結果として太陽がかすんで見える。中国人の友人が言う、黄砂や霧の方がまだましだ、と。マスクをしている人はいたとしても少数で、きちんと効果を期待できそうなマスクをしている人はさらに少数だ。ひどく高価なだけでなく普通に手に入らないからに他ならない。自分たちの目の前にある脅威に面してもなす術がない、というのはまさにこのことか。
外国人は国に逃げ帰ればいいのかもしれないが、ここにいる人たちは逃げようがない。いやもっと正確には、経済的に逃げる術がないし、多くの人は恐らく逃げたくない。首都北京を構成する諸々の一部となってそこで生活する人々にとって今回の大気汚染は非常に対処しにくい危機なのだが、終わりはまだ誰にも見えていない。