夏は誰かを勇気づける音楽に溢れている。
某長時間生放送番組だったり、学生スポーツだったり。
その類には必ず人間を後押しするような音楽が付随する。
自分はそんな番組も好きだし、そんな音楽に背中を押されたことは何度かある。
しかし、自分のバンドにそのマインドを落とし込むことは全くといっていいほどない。
理由は、と言われれば、「誰かのために曲を作っているわけではないから」だろう。
我々は(特に自分は)普段の生活で普通の人間でいるためにどうにもならなくなった感情を曲に落とし込んでいる。幸せであればその幸せを成立させるためにどこかで抱いた違和感や幸せであるに相応しくない感情を曲にする。
誰かを傷つけるような歌詞は書かない。ただ、自分が傷ついたときにそれを最も適切な言葉に直し、爆音と共に開放して表現するのだ。
職業として音楽を作っているのであれば、誰かのために曲を作って然るべきだし、音楽によって救われたから自分も音楽で誰かを救いたいというのがとても健全な「恩返し」的なスタンスなのだろうと思う。
しかし、何か壁にぶつかったらかなり引きずる性分の自分にとっては、曲を作ることによってその壁とだらだらと向き合っている権利を得る。本来であれば仕事のことや、家族のことでそんな壁にいつまでも半端な状況で向き合っていられない。でも曲作りと称してその言いようのない感情に言葉を与え、音を与え、アンサンブルへと昇華する。それが自分にとってのバンド活動なのだと思う。
そういう意味では、自分の音楽に救われているのは、自分なのかもしれない。