遅ればせながら,3/31はライブだった。

メンバーの都合やライブハウス側の都合をすり合わせるとまさかの年度終わりも終わりになってしまったが,非常に中身の濃い時間だった。

場所は岡崎のバーニーズ。初めての場所だったが,何より狭い。3つの机があると20人も入れないくらいの狭さだ。狭いがアンプからの出力は大きめに出してもOKだったので,心置きなく自分の納得いく音で演奏することができた。Ampegの知らないアンプだったが,音自体が非常にソリッドでよかった。

ライブは人生初の50分という我々にとっては超ロングセット。

全てオリジナルの我々としては曲目的にも場の空気づくり的にも本当にやれるのか不安だったが,10年以上やっているというのはそれに耐えうるものだった。

帰りは録画してくださった動画を観ながら電車に揺られて帰ったのだが,やはりいつもやっている30分セットの時間以降のスタミナ切れは顕著だったため,物理的な体力はもっとつけたいと感じた。

しかし,共演者の皆さんにお褒めの言葉もいただき,同時に長く続けることでしか得られない空気を吸い込むこともできた。50を過ぎても気心知れたメンバーと音楽ができるという人生の豊さはこのバンド,この音楽性であっても為せるものだと思う。

 

さて,50分,10曲以上やると自分たちの作った曲が自分たちのものになっているかどうか突きつけられることがある。

我々でいえば素数やカバディはバンド結成時から今までブレることなく同じ熱量でやれていると感じている。それはこの二つがバンド創成期にできた曲であり,自分たちの遺伝子レベルのものだと感じるからだ。それに対して,河童や全マシについてはその時の精神状態や年齢によって演奏の仕方が変わってくると思うし,今もなお演奏に対して高得点をつけてあげることができないことも多い。河童については楽曲ができたてのときよりも今の方が30秒近く長く演奏している。曲の構成に変わりはないのに,だ。それは曲の持っている魅力がダークさやヘヴィを我々がようやく認識できるようになったからなのかもしれない。他の曲でも,楽譜(元々このバンドに楽譜なんてないのだが)には表せないようなポイントが最近段々メンバー間で共有できているため,曲の解釈の解像度が上がってきているように感じられる。もちろん,初期衝動故に人々の感情を揺さぶることは少なくなってきているかもしれないが,バンドのとしての曲に対するイメージや30分ないし50分をどのような空気感でお届けするのが一番伝わるのか,などを意識したい。こんな目に見えないことを考えていると本当にスピリチュアルなお話になってしまうのだが,音楽を突き詰めていった先にあるものは言葉にできないものなのかもしれないと,最近は思う。