がん克服研究所 in 福岡 -4ページ目

がん克服研究所 in 福岡

現在進行形で母のがん再発予防に向かい合っています。
情報を共有・共感しあい、一緒に歩いていきましょう!

なぜかボタン掛け違えたみたいにエンドレスってことたまにありますよね。

これは、自分の行っている行動が本来の方向性からずれているときに起こります。


私は名刺を作成するのに、台紙を買ってきて自宅で印刷するんですが、

ある日に限ってこれがも~なかなかうまくいかない!数ミリ単位で印刷がずれたりして、

「ウキーーー!!ガウーーーー!!!」となっていたときに、

ふと、立ち止まりました。


「あ、なんか間違っているところがあるのかも?」

と活字を見直してみたんですね。


すると!

なんと住所がそっくり入ってなかったんですよ~。

やられたと思いました。


そして、住所をレイアウトして同じように印刷したら、

も~ばっちり♪


こんなことがそこかしこにちりばめられているのがこの世界。


うまくいかないときはごり押しせずに、

ちゃ~んとその原因を教えてくれている、

隠れたメッセージの存在に耳をかたむけてみてください♪


どんなときも見守られている私たち。

ありがたいですね^^

さて。同じ出来事を同時に2人で体験した場合,

2人とも全く同じ感情や感想を持つ人はいると思いますか?

え~、まさか~と皆さん思ったと思います。

すでにお分かりのように、

1人は、それが大得意でとっても楽しくてわくわくしているかもしれませんが、

もう1人はそれがとても苦手でびくびくしているかもしれませんね。

もし、そこにもう1人いたとして、

その1人は、「それは侮辱しているんじゃないか?いけないことだ!」と腹をたてるかもしれません。

皆が同時に見た現象は一つしかないのにもかかわらず、捉え方や感情は無限に存在するのです。


この世はこのような現象が繰り広げられている世界です。


でも、それではこの世の秩序が乱れるではないか!もっと皆歩み寄るべきだ!

といって、ひとつの現象に正解をつくるべきでしょうか。


このように正解か不正解ととらえるとしたら、皆同じ思考・言動・行動を強いられる世界になるでしょう。

そういう人生、いかがでしょうか。

皆同じものを着て、食べて、感想も同じで、ギャー 全部自分!!!

この世に生まれてきた意味がどっかいってしまいそうですね!

皆違ってみんないい♪みたいに、

それぞれがそれぞれの意思をもち、けれど否定ではなく違った世界観を持つもの同士認めあえて

生き生きとすごすことができると、互いに尊重しあってお互いを応援できるような世界になる。

そんな世界に私は住みたいな~ラブラブ


これは私が採用している物事の捉え方ですが、

私は自分に起こった物事に対してジャッジするのではなく、

そのときに感じた自分の感情そのものが自分の世界観であり、

自分が辿ってきて自分なりに学んだ「物事の受け取り方」の視点で、

物事を解釈しているのだな~とまず受け取ります。


誰かの言動にガクッと来たなら

「なぜこの出来事でガクッときたんだろう」と自分の内側を探してみます。

実はかつてガクッとなったことと同じようなエピソードが過去のどこかに潜んでいます。

そのエピソードが隠れている所のふたが、

ガタガタとうごめいてその感情を呼び起こしているのです。

そう。すべての現象に対して沸き起こる感情は、

目の前でガクッとするようなことをしてくれちゃった相手のせいではなく、

自分のなかにあるふたの下からのメッセージ。

そう捉えたとき、人は変えられないけれど、自分が変われば

目の前のことは自分でいかようにも好きにすることが出来るということになります。


さて、あなたの感じるままに繰り広げられている目の前の世界の居心地はどうですか?


それが自分にとって無条件に心地よいものであれば、それが1番幸せ!


だれがなんと言おうと、だって自分はこうだもん♪と自分を肯定でき、

心身は軽やかに自信をもって楽しくいきていけそうでしょう?


そして、その心地よさを知っている人は、他人の感じている世界に「こううあるべきなんだから!!」と助言する必要性はないことを知っているので決してふみ込むことはありません。

なぜならそれぞれの世界観を押し付ける意味がないことを知っているからです。


実際、いろんな捉え方をして、いろんなアプローチをする人がいて、

だからいつまでたっても目の前のことはがたがたしていて心穏やかになれないんだ~!と悲惨に思うことはありません。


人やもの、この世のすべては分子でできており、常に振動しています。


すべてはこの波動、周波数の似たもの同志が引き寄せられている世界になっています。


興味があることは自分の中にある世界のこと。


自分を知りたければ回りの人を見渡すとよく判るとよく聞きますが、そのことを言い表しています。


自分の持っている周波数と似た周波数の人やものや出来事が、

磁石のようにひきつけられてきます。

こうあってはいけない!という自分の世界があれば、

こうあってはならない!という世界が目の前に繰り広げられます。


新車を買いたい!と常に思っている人が、車の宣伝ばかり目に入ったり、

授乳中のママたちが、オムツの宣伝ばかりみるのと同じ現象です。


そしてそれがいい悪いではなく、

自分で作り出した世界観の中でさまざまな体験をして、気づき、学び、成長していく私たち。


その世界の風景は、思考・言動・行動をどう扱うかによってさまざまに変化していきます。

あなたは自分次第でいろんな世界を過ごすことが出来るのです♪


いわば、自己責任で自由な世界を自分で今ここから創造できる。


無限の可能性を持つ素晴らしい人間トリセツを大いに活用し、

心身のストレス回避を覚え、

暮らしたい世界観を創造し、

驚きながら、楽しみながら共に成長していけたら素敵ですねアップ
小学生の1年のころは、いつも机に向かって絵を描いていたっけな。

休み時間は、机を後ろに全部ギューギューに集める決まりがあったんだけど、

そんなギューギューの中で一人ぽつんと座り、絵を嬉々として黙々と描いている少女だった。

今でも昭和の塗り絵と称して販売されているような少女マンガのでかくて、

きらきらがある目の女の子のやつね。


帰り道では、毎回違う物語を作り、ぶつぶつつぶやきながら一人帰った。

その間おばちゃんとかが歩いてくると中断しなくてはならないから不機嫌になる私。

そこも短気で邪魔されたくない自分が見え隠れ。

なぜか家に入るまでに簡潔させるというマイルールを作っていた。


広告の裏の白い紙に短編漫画を書いては家族や友達に披露して面白がる顔を見て喜んでいた。

小3だったかな。

屋根が赤いきのこの家というのが流行った時期には、

自ら設計図を起こしてクラスの女子に配り、

今日の放課後何時からこれを作るから材料もってここに集まれ~~と召集をかけた。


集まったのは4人!

かまぼこ板とトンカチと釘を持参した友人と10月ごろの肌寒い中、

トンカチやった記憶がなぜか新しい。


奥さんに先立たれ、

老犬つれて新聞配達をして生計を立てているおじさんを子供ながらに同情し、

遊び仲間と相談しあってお掃除ボランティアとしてお家に上がり込んだりだとか・・。


よくよく思い返すとやっぱり不思議ちゃんでとことん思うままに行くタイプ(笑)


ここまで来る途中は、それはそれは思いがけず黒い自分だとか、

翻弄される情けない自分だとかを通ってきて、大いに悩んできた。


どれが本当の自分なの???とかね。


そしてそこを通り抜けた今では、

小学校のころの自分にまた戻った感じがしてるのが面白いといいますか。


ただただ自分が心地よいことを全身で表現して求めていたころだから、

幼いころの自分を思い返してみると、

あなたも忘れていた自分の根っこみたいなものを発見するかもしれませんよ^^