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がん克服研究所 in 福岡

現在進行形で母のがん再発予防に向かい合っています。
情報を共有・共感しあい、一緒に歩いていきましょう!

 

こんにちは!れいこです。

 

何年ぶりでしょうか。。

 

ふるさとに帰ってきたみたいです^^

 

 

さて。

 

母のがんが消失したと診察室で聞いた日から、

 

なんと、今日8年目を迎えました☆

 

以前から、きちんとがん克服ブログを立ち上げようと考えていて、

 

偶然にも、今日立ち上げている最中で気づいたんですね^^;

 

 

 

母は今でも再発なく、元気にやっています。

 

しかし、今では認知症を発症し、

 

先日ぎっくり腰をしてしまい、色々年相応に忙しい日々を送っています。

 

 

そして、更に思い出したのが、

 

11月9日は、母のがんセンター行きを決定づけてくれた恩人、

 

脳外科医、T先生の誕生日☆

 

今頃どちらの国で治療をしているでしょうか~^^

 

 

この場を借りて、母のご報告と、お礼をさせて頂こうと思い立ちました。

 

皆さん、ブログが放置状態にもかかわらず、いいねで応援してくださり、どうもありがとうございました!

 

 

そして、T先生お元気でしょうか?

 

お誕生日おめでとうございます!

 

素敵な方とのご縁はありましたでしょうか^^

 

当時は色々とお世話になり、心から感謝しております。

 

本当に 本当に ありがとうございました☆

 

 

 

それでは、皆さん、

 

今日も明日も、良い1日を!

 

 

れいこ

 

 

 

今、自分がしたくない仕事をやらされていると思って嫌々している人。

その仕事をあなたはなぜしているのでしょう?


家族のために、まとまったお金がいるから?

遊ぶお金がいるから?

有名な企業だから?

この年ではもういまさらどこも雇ってもらえないからですか?


そのとっさに沸いてきた答えが、その仕事に就いている最大の理由ですよね。


だとしたら、あなたは嫌々その仕事をさせられているわけではないということになります。


自分でそうしたいからそこでいやな仕事をしているということになっちゃいますよね。


いや、ちがう!と思っても実は自分がそのいやな仕事を自から選んでいるのです。

誰にも強制されているのではなく。

もしかすると、家族から、家計が苦しいからやめるなんてゆるさない!

といわれて渋々行っているのかもしれない。

でも、それを承知で渋々出勤しているのはあなた自身です。

家族を路頭に迷わせないために、精一杯自分を犠牲にして家族を支えるために会社にいやだけど行こう・・と決めて出勤しているんです。


自分が今していることは、自分が良かれと思ってやっていることです。

なぜそれを良かれと思ったのか。動機をみつめてみましょう。

今嫌々やっている自分の決断は、実はとてつもなく尊いことだったのだと気づくかもしれません。

それに気づくだけで、心は随分軽くなります。

自分の選択はいつだって素晴らしいんです。

あなたはいつだって間違ってないんですよ♪

ちょっとは清清しい気持ちになったのではないかしら?


でも、そのためにあまりにつらすぎる必要はないのですから、

自分に優しくする方法に切り替えるのもありなんですからね。


そうして次はなぜこれをいやなことだと自分は思うのだろうと問いかけてみてください。

そうしていくうちにだんだん自分の心地よいことが判ってくると、

別の道がみえてくるかもしれません。

チャレンジするかしないかはまた自分次第。人生とは選択の連続。


でも大丈夫。

間違った道なんてありません。

1回こっきりの命。

あなたなら何に使いたいですか???



どうぞあなたの瞬間瞬間が「これでよし!」と思える人生でありますように!!

もう判っている。

この世に、してはならないこと、あってはならないことは、一切無いのだということを。

しかし、つらいものはつらい。泣きたい時だって沢山ある。

その中で、常に私たちは目の前のどれかを選んで人生最後の日まで前進して生きていく。


「選ぶ。」

それは、自分にとって都合が良いものなのか、ではなく、

自分にとって清々しいものなのか。

それが、大事。



この地震でまた目を覚ます機会を与えられた。

突然、激しく揺れる家と体と心。

その最中、とっさに出た行動と想いは、

自分はどう生きていたかったのか、ということを

まざまざと知らしめてくれた。



もし今、出来うることをしたとしても、

今日が最後になった時、果たして後悔はないか?


頭をよぎったのは、

やはり家族や大切な人たちへありったけの愛や感謝や関心を伝えて来たか。

もしくは伝わっているか? だった。


まだまだ、もっともっと自分と大切な人が喜ぶようなことを伝えたり、したかったと思った。

でも、今の時点で言うならそれほど後悔は無いなとも、ふっ と思った。


熊本の被害に胸を痛めながら、福岡では余震の頻度も少なくなってきたころ、

さぁ
もし、今日また大きな地震に見舞われ、家族と会うのが最後の日であったとしても、
手帳のこの予定を選択するか?と自分に聞いた。

予定を瞬時にふるいにかけながら、心の動くままに支度をする。


家に残す息子に揺れたら真っ先にすること、

避難所に駆け込むタイミングと持ち出すものが玄関にあることを伝え出掛ける自分。

その足で、午前中は若石の師匠の元で、技術チェックをしてもらい、

午後は、ハンドヒーリング講座の生徒さん向けの施術モデルを引き受けた。

その間、けたたましく携帯から地震の通報が鳴り響き、

とっさに身が引き締まるも、心は堂々と清清しくもあった。




有限の命を目の前に感じるという事は、

「自分はどう在りながら生きたいのか。」を真剣に見据えるということだ。


びくびくして過ごそうと、笑いながら過ごそうと、この肉体はいつか手放すときがくる。


だからこそ、

生きている瞬間瞬間を自分にとって清清しく気持ちいいものにすることを追い求めること。

それが「生ききる」ということなのではないかと思う。


今だからこそ、

自分にとっての「生ききる在り方」を真剣に見つめてみてはどうだろうか。

きっと、もう皆 気づきだしていることだろうと思うけれど・・ね^^