主日の聖書 新約聖書 マルコによる福音書4章26〜34節 | 生き続けることば

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【中心聖句】

実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである(29節)

 

 

今日の福音朗読箇所は「成長する種」「からし種」の2つの例え話からなっていますが、イエス自身がそう言っているようにいずれも「神の国ἡ βασιλεία τοῦ θεοῦ」のたとえです。

 

まず、第一のたとえ「成長する種」(26〜29節)では、人は種蒔きの後、収穫の時まで積極的に関与することはなく、種が「ひとりでに成長すること」が語られています。

 

農夫は雑草を抜いたり、水や肥料を撒いたりしますが、芽を出させ、茎を伸ばさせ、穂を実らせるのは神であるということから、神の国もひとりでに成長することがこの例えの要点となります(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.190)

 

ここでキーワードとなっている「ひとりでに」を検証しておきましょう。

 

この「ひとりでに」の原語は αὐτόματοςで、英語のautomaticやautomatical、automobile, automationなどの語源になっていることは直ぐに分かりますね。

 

また、29節にある「実が熟すと」および「早速」です。「実が熟すと」は原文ὅταν δὲ παραδοῖ ὁ καρπόςを直訳すると「そして、実が熟す時」となりますし、「早速」の原語はεὐθέωςでstraightway, at once, directlyなどの意味があります。

 

刈り入れの良い時期が到来すると、農夫は早速、鎌を入れ収穫をしますが、それを到来させるのは農夫自身ではありません。

 

蒔いた種はまるで「ひとりでに」成長し、やがて実を結ぶようになります。人間はその原因を直に目で見ることは出来ませんが、その背後に働いている力をうすうす感じ取ることが出来ているからこそ、種を蒔けば成長しやがて実を収穫するときが来ることを信じて行動するのです(雨宮慧『小石のひびき(B年)』p.69)

 

2つ目のたとえ話「からし種」では、「どんな種より小さい」からし種が成長するとどんな野菜より大きくなり、葉の陰に鳥が巣を作れるほどになると書かれています(31〜32節)。

 

これはちょうど今日の旧約聖書朗読箇所にあった、レバノン杉の若枝が成長し鳥たちが巣を作れるほどの大木になるという話に通じますね。

 

結論として、今日の2つのたとえ話の中心は神への信頼を呼びかけることにあったのでした(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.190)

 

<参考>