主日の聖書 新約聖書 ヨハネによる福音書15章26〜27節、16章12〜15節 | 生き続けることば

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新旧約聖書の言葉をご紹介する他、折に触れて宗教関連書、哲学書、その他の人文系書籍、雑誌記事の読後感などを投稿いたします。なお、本ブログ及び管理者は旧統一教会、エホバの証人、モルモン教等とは一切、関係がありません。

【中心聖句】

しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる(16章13節a)

 

今日は「聖霊降臨の主日」(ペンテコステ)です。

 

この日の礼拝では普通、使徒言行録2章1節以下が読まれることが多いのですが、本ブログではヨハネによる福音書から3つの言葉を取り上げて考察します。

 

弁護者( παράκλητος)

    この言葉には元々の意味は「(ある人の)脇に呼ばれた者・介添人」であり、従って「助け主」「慰め手」というも可能です。

 

G. Abbott -Smith はこの言葉をcalled to one's aid in a judicial case(p.340)と解説していますので、日本語に訳すと弁護人あるいは新共同訳聖書のように弁護者となるわけです。

 

( πνεῦμα) 

 旧約聖書で「霊」と訳されている原語はרוּחַですが、この言葉は元々「微風から嵐まで、さまざまな空気の移動」を意味していました。例えば、モーセに率いられた民が葦の海を渡ろうとした時には神は激しいרוּחַで海を押し返しまた(出エジプト記14章21節)。

 

さらにרוּחַは生命を示す呼吸であり、詩篇には「あなたはご自分のרוּחַを送って彼らを創造し」(104編30節)と書かれています。

 

新約聖書での( πνεῦμα)も元々は風や息吹・呼吸を意味していましたが、神の「霊」を表す用例が増大しています。

 

「霊」と聞くと、私たちは普通、幽霊とか心霊とかオカルティックな言葉を思い浮かべてしまいますね。

 

日本語の「霊」には「肉体を離れても存在すると考えられる精神的本体」といった実体性がつきまといますが、聖書のרוּחַやπνεῦμαは「空気の移動の中に現れる力」「他に与える力」を表す言葉です(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.105)

 

 

導き悟らせる(ὁδηγέω)

    この原語は ὁδός(道)ἡγέομαι(案内するとの合成語で、文字通りは「道案内をする」という意味です。

 

私たちは「道案内」をしてくれる人がいなければ本当は生きていくことができません。

 

ヨハネの黙示録において「大きな苦難を通って来た者たち」(7章14節)を「命の水の泉にὁδηγέωする」(同17節)は「玉座の中央におられる子羊」(同上)です。

 

今日の福音朗読では弁護者であり真理の霊である方が導いて真理をことごとく悟らせる(16章13節)ことが語られています。