【中心聖句】
しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない(22節b)
16章16節の冒頭に「悲しみが喜びに変わる」という見出しがつけられていますが、今朝の朗読箇所では喜ぶ(χαίρω)あるいは喜び(χαρά)という言葉が繰り返し出てきます。
喜ぶ(χαίρω)
この言葉は喜ぶ、喜び祝う、挨拶する、平安を祈るなどの意味があります(『ギリシャ語新約聖書釈義事典III』pp.501〜502)
喜び(χαρά)
この言葉は新約聖書では59回使われています(マタイ6回、ルカ8回、ヨハネ9回、パウロ書簡19回)。
それはほとんどの場合、神からの救いを見出した人間の喜びを表しており、しかもそれは人間が作り出す喜びではなく、神から来る喜びです。
マタイによる福音書に東方の占星術学者がベツレヘムで幼子イエスのもとを訪れるむ有名な場面があり「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」(2章11節)と書かれています。この聖句は原文を直訳すると「彼らは大きな喜びを非常に喜んだ」となります。
喜びはイエスを通してイエスを通してこの世に運ばれました(雨宮慧『小石のひびき 主日福音のキーワード(C年)』p.15)
<参考>