【中心聖句】

互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である(17節)

 

先週と同じように、今日の福音朗読から3つの言葉を考察しましょう。

 

愛する(ἀγαπάω)

この言葉については5月2日の本ブログ「今朝の聖書」で短く解説しましたので、それをそのまま引用いたします。

 

これはすぐお分かりのようにアガペー(ἀγάπη)の動詞形ですね。

 

ギリシャ語にはを表す言葉としてἀγάπη、 ἔρως、 ϕιλία の3つがありますが、新約聖書ではἀγάπηが116回使われています。

 

イエスは純粋で裏切ることのない神の愛を示したのであって、それを体験的に知った弟子たちは神の愛を強調することが出来ました(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.96)

 

(φίλος)

この言葉は「愛する者」と「愛される者」という意味を併せ持っていると考えられます(雨宮慧『小石のひびき 主日福音のキーワード(B年)』p.58)

 

今週の箇所では、15節で僕δοῦλοςと対になって使われていますが、イエスは主なる神に対して僕であるはずの弟子たちを最早、僕とは呼ばず「友」と呼んでいるのです(同p.59)

 

 

( ἐντολή)

この言葉には命令、指図、指令、戒め、定め、委託などの意味があります(『ギリシャ語新約聖書釈義事典1』p.524)

 

雨宮慧神父が『小石のひびき 主日福音のキーワード(B年)』(pp.108〜109)でかなり詳しく解説しておられるので、それを簡単に纏めてみましょう。

 

 

まず、用例は多くありませんが、「人間が発する命令・指図・戒め」を表します(同p.108)

 

一つ例をあげましょう。有名な「放蕩息子のたとえ」で兄が父に向かって「わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません」と不平をいう場面があります(ルカによる福音書15章29節)が、そこでの「言いつけ」の原語がこの言葉です。

 

この( ἐντολή)は多くの場合「神の権威に基づく命令・戒め・掟」の意味で使われ、次の5つの用法があります(同p.108)

 

1.   旧約律法が説く個々の掟

2.   人間が守るべきものとしての掟一般

 これらについてはレビ記などに豊富な用例がありますね。

3.   キリストに向けられた神の命令

 ヨハネによる福音書には「わたしは命をすてることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である」(10章18節)という言葉があります。

4.   イエスが与える掟

 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(ヨハネによる福音書15章12節)

5.   キリスト教が教える新しい教え

 このことについて雨宮神父は「義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうに」(ペトロの手紙二2章21節)という厳しい聖句に基づいて「キリスト者は伝えられた聖なる『掟』を離れてはなりません」と結論づけています『小石のひびき 主日福音のキーワード(B年)』p.109)