究極の選択 「ハイジャックされた旅客機は撃墜しても構わない」 | 女性パート モチベーション&目標管理専門 社会保険労務士

女性パート モチベーション&目標管理専門 社会保険労務士

経営者・従業員・コンサルタントが三位一体となり共に成長していく労務コンサルティング

NHKの討論番組
「マイケル・サンデルの究極の選択」
はテーマも討論内容も実に大変興味深く、
参加学生たちの論理的で深い考えにいつも感心させられます。

9月23日の放送のテーマは、

「自爆テロを目的としてハイジャックされた旅客機を、
無実の乗客を犠牲にして撃墜することは許されるのか」

9.11同時多発テロから10年となります。
あの事件で4機の旅客機がハイジャックさました。

そのうちの一機、ユナイテッド航空93便の運命の結末は
ワシントンD.C.北西240kmの地への墜落でした。
この悲劇の旅客機がテロリストに占拠されている最中に、
ハイジャックの目的が飛行機ごと
攻撃目標に激突する自爆テロであるという
連絡が乗客の携帯電話からありました。


仮に、このように旅客機を制圧したテロリストが
都市部への墜落による攻撃で、多数の人命を奪うことを
目論んでいる状況がわかっていて、
そして、この旅客機によるテロの進行を止めるためには、
撃墜するという残酷な選択肢しか国防責任者に残されていなかった場合、

その選択は許されるのであろうか?

まさに究極の選択です。

おのずとこの討論の参加学生たちの議論は白熱します。


犠牲者が出るのを最小限にとどめるためには
もう助からないとわかっている
旅客機内の乗客の命は犠牲にするしかありません。

だから撃墜は正しい

しかし、だからといって
乗客の人命が1人の人間の判断によって
失われることが許されるのでしょうか?

国防責任者がハイジャック機の撃墜の決断をすることができなければ、
その何十倍もの人命が失われます。
だから乗客を殺すことになっても
国防責任者にしてみれば
それは仕方が無いことなのでしょうか?


これは数の論理と倫理との鬩ぎ合い。
葛藤です。

さらに議論は続きます。
もし旅客機の中に
国防責任者の家族が乗っていたとしたら、
それが幼い子供であるならいかがでしょう?
その国防責任者は自分の判断が正しいと断言できるのであろうか?

う~ん否。

そもそも、「いかなる状況」でも本人の承諾もなしに
勝手に人の命を損ねる決定をすることは、
神様以外誰にもできません。

では、仮に
この旅客機の中に核爆弾が積まれていたとしたら
どうでしょう?
数百万の命が失われ、次世代にもおよぶ放射能汚染による
多大な環境破壊へとつながったとしても?
その「いかなる状況」の中には
この場合も含まれています。


果たして被害が取り返しがつかないほどの甚大なものとなったとしても
もう失れるとわかっている少数の人命は守られるべきなのか?


昔、テレビで
大学病院の癌の特効薬開発チームが
末期がんの患者に対して
その治療をせずに
本人に内緒で特効薬の人体実験を行う
というドラマを見たことがあります。

苦しんでいる人間の救済を放棄して、
その命を実験台にすることが、
しかもそれを医師が行うということが、
この世で許されるものなのでしょうか?
それが後に多くのがん患者を救うことになるとしても?


この難しい問題について
一つの決定が出された事例がございます。

2004年にドイツで
ハイジャックされた飛行機を撃墜できるという法案が可決されました。
しかし、
最高裁の判断でこの法案は否決されたのです。

ドイツの法曹は
国の代表者がした数の論理より
命の尊厳を重視し、
それを選んだのです。

尊厳とは
それを不可侵のものとし、これを相互に尊重する原理です。

すでに決まった国家の決定が覆されてしまうほど
尊厳は容易に犯すことができるものではなく、
人の命の尊厳の放棄は安易に行える問題ではないのです。


これらは数の論理の合理性と
一つの命でも最大限に守られるべきという倫理
との対立の問題でした。

命を問題とした場合は、人間の良心の重大性から難問と感じられます。
しかし、これが労働の問題となったとき
実に軽々しく扱われがちになります。

例えば残業代未払い問題がそうです。
近時労働相談件数はうなぎ上り的に急増しており
昨年は113万件ございました。
その多くは賃金の未払いを労働者が訴えるケースです。
これほど多くの賃金債務不履行という
トラブルが起きるという事実は
この国において労働が軽いモノとされている証左かもしれません。

そこで、仮に過去2年間、
数百時間サービス残業させられたと、
使用者に未払い賃金支払いを訴えた従業員がいたとします。

当然法律的には当該使用者は支払いに応じなければなりません。

でも、この元従業員の要求に応じてしまうと
資金がショートしてしまい確実に倒産してしまうとしたら
使用者は、未払い賃金の支払をなんとしても避けなければなりません。
もし、法的に支払いを回避できる方法があるのであれば
使用者は迷いなくその方法を行使するでしょう。

なぜなら、
倒産により他の従業員を路頭に迷わせることとなれば
失業者を多数産み出し、その家族を含めさらに多くの不幸につながるからです。

しかし、労働者にしてみれば、
自らの労働の成果を一方的に無効とされることほど
屈辱的なことはありません。
それはこの法治国家日本において、
古代の奴隷のような扱いを受け、
人格を踏みにじられたことに他ならないからです。

そして、賃金の未払いを当然のように不問とされる社会になれば
まじめに働くものが馬鹿を見るという風潮が
労働の尊さそのものを疑わしいものにしてしまいます。
つまりこれは、労働の尊厳の問題なのです。

一人の労働の尊厳を取るか
大勢の雇用を選択するか
労働法に携わる者としては
安易に答えを出せない
難しい問題です。



このように数の論理か労働の尊厳かの問題は立場によって見方が変わります。

国防責任者や使用者のような
リーダーたる責任を負うものは数の論理で判断せざる負えない状況に追い込まれることが多い。
しかし、道徳の世界では数の論理だけの判断によって、ものの尊厳が軽視される危険性を問題とします。

こういった、
現実には安易に結論が出せない困難な選択について
サンデル教授は、
とことん議論して皆それぞれが
真剣に考えること自体が大事なのだと言います。

「そんなこと言ったってしょうがないじゃん
現実は机上の空論の通りに行かない」
で終わらせ、
ただただ、現実重視の視点だけでは

あらゆる尊厳も言葉だけの蜃気楼に過ぎません。
考えることをやめた社会は
人を人たらしめる知性や人間性もかなぐり捨てた、
野蛮な世界でしかありません。

思考をシャットダウンしては進歩はありません。
結論が出なくても考え続けることこそ、
それが人を人たらしめる崇高な人智
人間性へとつながるのです。



人事労務オフィストリニティ