1 中学二年の日々


2045年 東京 市谷本村町路地

小春は退屈な社会科と、難解な数学の授業を乗り切り、涼子とともに黄昏時の家路にいた。二人で歩きながら、その日の感想やら愚痴やらその他諸々を言い合うこの時間は、時がゆっくり流れているようで、小春は好きだった。

「いやぁ、りょーちゃん、今日の社会も冴えわたってたねぇ」

小春が涼子を褒め、まんざらでもない感じで涼子が答える―これが、毎日恒例となっていた。

「源田先生もヒドイね、あれ。中学レベルじゃないよ」

「だよねぇー、あの、なんだっけ、せんかん……」

「大和?

「そうそう、教科書に載ってないよね?」

「載ってないね。私としては載っててもおかしくないと思うんだけど」

「りょーちゃんはやっぱ、詳しいねえ。お父さんの影響?」

小春は傍らの防衛省を一瞥し、言った。涼子の父は江田島の幹部候補生学校を出た、筋金入りの海上自衛官―海軍軍人なのだった。涼子が中学に入ると同時に、防衛省勤務となった。しかし、それまでは横須賀勤務であったから、彼女は東京ではなく神奈川の小学校を出ている。

「まあ、そうだね。うちは代々海軍一家だから。遠縁のご先祖は結構有名だし」

無論、彼女の言う、「遠縁のご先祖」が「結構有名」というのは「その界隈で」という但し書きがつくものであって、小春のように「その界隈」に明るくないものでも知っている。というものではない。小春は涼子と関わる中で、こういった「ミリタリー・マニアの閉塞性」を度々実感してきた。

例えば、涼子の父が自衛官だと知って、

「へー、軍曹とか大将だったりするの?」

と聞いたら、自衛隊における階級は自衛隊用語というものがあって云々と言われ、彼女の故郷である横須賀の写真を見せてもらった時に、

「おー、戦艦がいっぱい!」

と言ったら、そもそも現代に戦艦は必要とされてなくてこれは駆逐艦もとい護衛艦で云々と、およそ実生活で役立たないであろう説明を長々受けたのである。

黛涼子は、無知の人間を矯正しなくてはならないという義務感が―利己的に言えば自分の知識をひけらかしたいという、マニア特有の悪癖があるのだった。

しかし、小春は涼子のそういう部分が嫌いではなかった。彼女に蘊蓄を語っている時の涼子は、本当に嬉しそうで、他の人は見ることのできない笑顔を、ただ一人彼女だけが、宮野小春だけが、見ることが出来たからである。黄昏時の、オレンジ色の陽光をバックに、涼子の楽しそうな横顔艶やかな黒髪、小柄な自分が、長身の彼女を少し見上げながら眺める―これが小春の数少ない学校生活の楽しみだった。

「先祖代々そういうお仕事だとお父さん教育に厳しそう……」

「いや、その点は小春の家も変わらないと思うよ?」

涼子の発言は、小春の父が警察官であることを踏まえたものであった。

彼女たちが在籍する新宿区立本村中学校は、その名の通り市谷本村町周辺を学区域としている。市谷―市ヶ谷と記載されることもあるの地域において、本村町は比較的大きな町であるが、本村中に在籍する生徒の数は決して多くない。町域のほとんどを住宅街ではなく、自衛隊と警察に関連する施設が占めているからだ。従って、小春と涼子のように、自衛官や警察官を親に持つ生徒も多い。親戚を戦争―2001年の統一戦争で失っている者もいる。

しかし、「そういう家庭」に生まれていても、涼子のように戦史や安全保障の分野に造詣の深い生徒は稀有な存在だった。大多数の生徒にとって統一戦争は、親が生まれたか生まれてないかというぐらいの時代。せいぜい、おじいちゃんおばあちゃんから繰り返し聞かされる「昔の話」程度の認識である。ましてや今日の日本史での涼子の発言―太平洋戦争についてなど、何をかいわんや、というレベルであった。なにせ、100年前の話である。

まあ、身だしなみと整理整頓は口酸っぱく言われ続けてるなぁ」

「でしょ?私もだよ」

―そういえば。

 小春は唐突に、以前から涼子に聞きたかったことを思い出し、口を開いた。

「りょーちゃんはさ、将来どんな仕事したい?」

―自分のようなとりえのない人間はさておき、涼子のような成績上位者がどんな人生設計をしているのか。小春は興味があった。

「ん?そうだなあ、私は……」

涼子は先ほどの小春と同様、防衛省を一瞥した後、上空を見上げて言った。

「私は航宙自衛隊に入りたいんだ」

航宙自衛隊―涼子が名前を挙げた、宙自と略されることもあるその組織は、自衛隊の中で最も新しい組織である。

宇宙元年といわれる五年前―2040火星探査によって発見された新素材―MOMにより、人類の宇宙開発技術は、歴史上類を見ない爆発的速さで進んだ。その結果、現在地球の低軌道上には、日米露を中心にそれぞれの国の「飛び地」である宇宙ステーションが存在し、少なからぬ数の人間が様々な仕事―科学研究や医療やその他くだらないものまでに就いている。

彼らの安全確保のため、宇宙航空研究開発機構の一部を吸収して、航空自衛隊から分離独立する形で発足したのが航宙自衛隊であった。地球低軌道上にある構造物の中には、前述の宇宙ステーションに加え、彼らと彼らの同業である各国の宇宙軍の持ち物―弾道ミサイル防衛用のレーザー・キャノンや偵察衛星、隕石迎撃システム等々も存在していた。

宙自が―日本がMOMを契機とした宇宙産業革命に乗り遅れることなく参加し、米国に次ぐ施設規模を獲得できた背景には、日本が戦後60年近くを分断国家として過ごしてきたことがあげられる。北日本―日本民主主義人民共和国の脅威に対抗するため、ロケットや衛星といった宇宙技術を、防衛技術に―軍事技術に還元することを計画し、強力にその開発を推し進めたの。つまり、航宙自衛隊とは、日本の宇宙に対する歴史的な立場を体現する存在なのであった。

航宙自衛隊かぁ……私は無理だなあ、バカだし、運動音痴だし」

―自衛隊、それも宇宙!やっぱりりょーちゃんは、自分とは違う世界に生きてるんだなあ。

私たちはさ、5年前から始まった宇宙時代の先端を行く若者なんだから、やっぱり積極的に宇宙を目指すべきだと思うんだ。逆に聞くけど、小春は何になりたいの?」

「私は特に……決まってない……」

「じゃあさ、一緒に目指そうよ、宇宙! 私は家と自分の趣味があれだから自衛隊だけど、今の時代民間の宇宙業務もあるし」

長身故、小春の半歩先を歩いていた涼子が振り返り、笑みを浮かべつつ言った。小春の未来予想図が宇宙でのものに塗り替わったのは、あるいはこの涼子の笑顔をずっと隣で見ていたいと思ったことがきっかけであったかもしれない。

 小春は言った。

「りょーちゃんと一緒に目指せるんだったら、悪くないかもしれないなぁ、宇宙」

「それは結構。『我らが征途遥かなり』ってね」

涼子はいたずらっぽく笑いながら、そう言った。