先日読んだ本の中で、この本のことが言及されていた。徳川家康が江戸に転封されたが、土地改良を重ねて今のようなすばらしい土地にしたという話に際して、であったと思う。それで、仕事のあいまにぼちぼち読んでみた。とても薄くて読みやすい本である。著者の渡辺和子氏はカトリック系学校の教育者であり、書いた時はとても高齢であった。教会で司祭の講話を聴くような気持ちで読んだ。この人はおそらく神によってこの世に遣わされたのだろう。時に説教くさく思えて、そんなこと言われなくともいう気がしたりしたが、心に残ったこともあるので、一部メモる。2016年に亡くなられていた。ご冥福を祈る。お願い

 

 第1章 自分自身に語りかける

  人はどんな場所でも幸せを見つけることができる: くれない族であった著者はある宣教師に「置かれたところで咲きなさい」という英語の詩の言葉「Bloom where God has planted you(神が植えたところで咲きなさい)」を与えられた。[私は必ずしも肯定できないが、就職してすぐ辞めたくなった私に、父は「石の上にも三年」と言っていた。まあ、しばらく頑張ってみたらよいことはいっぱいあったと思える。]

  一生懸命はよいことだが、休息も必要: 『大言海』という国語辞典[三浦しをんの「大渡海」を思い出した]によれば、暇は「日間」が語源だという。忙しさは、文字通り「心を亡す」。自分も人もいたわるために暇は必要。

  人は一人だけでは生きてゆけない:

  つらい日々も、笑える日につながっている

  神は力に余る試練を与えない

  不平をいう前に自分から動く

  清く、優しく生きるには

  自分の良心の声に耳を傾ける

  ほほえみを絶やさないために

 

 第2章 明日に向かって生きる

  人に恥じない生き方は心を輝かせる:

  親の価値観が子供の価値観をつくる

  母の背中を手本に生きる:

  一人格として生きるために:

  「いい出会い」を育てていこう:

  ほほえみが相手の心を癒す:

  心に風を通してよどんだ空気を入れ替える:

  心に届く愛の言葉:

  順風満帆な人生などない: 思わぬ不幸な出来事や失敗から、本当に大切なことに気づくことがある。

  生き急ぐよりも心にゆとりを

  内部に潜む可能性を信じる:

  理想の自分に近づくために:

  つらい夜でも朝は必ず来る:

  愛する人のためにいのちの意味を見つける:

  神は信じる者を拒まない:

 

 第3章 美しく老いる

  いぶし銀の輝きを得る: 著者がこの本を書いたのは85歳のときとわかった。

  歳を重ねてこそ学べること: 世の中は自分の思い通りにはならない。

  これまでの恵みに感謝する:

  ふがいない自分と仲良く生きていく: 膠原病治療の副作用による骨粗鬆症で胸椎の骨が失われ、14cmも身長が縮むだなんて、何か予防はできなかったのだろうか?

  一筋の光を探しながら歩む

  老いをチャンスにする

  道は必ず開ける

  老いは神さまからの贈り物: 「老い」を意識する時、人はより柔和で謙虚になることができる。

  

 第4章 愛するということ

  あなたは大切な人: 相田みつをの「土の中の水道管 高いビルの下の下水 大事なものは表に出ない」という詩はむべなるかな。

  九年間に一生分の愛を注いでくれた父: 著者の父親は陸軍中将であったが、1936年2月26日、ニ・二六事件の犠牲者であったニ・二六事件について]。

  私を支える母の教え:

  2%の余地: 人間は不完全なもの。

  愛は近きより: 2001年の新大久保駅ホーム転落事故について。泥酔して転落した人を救おうとして落命した二人(うち一人は韓国人留学生)をある英字新聞は善きサマリア人に準えた。誰であるにせよ、困っている人の隣人になりなさい。

  祈りの言葉を花束にして

  愛情は言葉となってほとばしる: 短い言葉でも、人を殺すこともできれば生かすこともできる。

  「小さな死」を神に捧げる: ていねいに生きる、とは「ひとのいのちも、ものも、両手でいただきなさい」をヒントにすること。聖フランシスコの「平和の祈り」[プーチンやネタニヤフがこれに耳を傾けてくれたらどんなに多くの人が救われることか!! でもこの祈祷文は聖フランシスコによるものでないことは確実とのこと]。