来春にはまた金閣寺を訪れる仕事がありそうなので、この暇なうちにもう一度、三島由紀夫の『金閣寺』を読んでみることにした。三度目であるが、何度読んでも新鮮である。三島の文学をメモするなど愚の骨頂だとは承知しているが、すべてを記憶できないのだからしかたない。主人公の劣等感、暗さ、陰鬱な冬の日本海、炎上する金閣寺、すばらしいとしか言いようがない。

 

 第一章: 主人公の生い立ち。叔父の家から東舞鶴中学校に通った頃の話。運動が不得意で、吃りであったため、引っ込み思案な性格であったが、暴君の記述を好むなど、相反する傾向を併せ持っていた。

 舞鶴海軍機関学校の生徒が母校にやって来たときのエピソード: その人に海軍機関学校へ誘われると、自分は坊主になるとはっきり答え、皆をしんとさせた。その生徒の短剣の鞘に密かに醜い傷を彫ったこと。彼の孤独はどんどん太った、「まるで豚のように」。

 叔父の家の近くにいた美しい娘、有為子のエピソード: 舞鶴海軍病院の特志看護婦となり、早朝自転車で出勤する彼女を待ち伏せ、馬鹿にされ、告げ口されて叔父に叱責されたことで、その死を願うようになり、それが成就する。海軍の脱走兵と男女の仲になり、妊娠して解雇され、男に弁当を届けるところを憲兵に見つかり、脱走兵に射殺されたのである。脱走兵も自殺した。

 翌年の春休み、父に連れられて金閣寺を訪れる。金閣寺の詳細について。主人公はしかし、心で美しさを予期していたものに裏切られ、苦痛を覚える。金閣寺の住職と彼の父は辛苦の友でありながら、就寝時間の後に女を買いに行ったりする仲間であった。帰宅すると、その金閣は美しさを蘇らせ、その全貌がはっきりと目に浮かぶようになる。父にそう書き送ったところ、父が喀血して死んだという電報が届いた。

 

 第二章: 父の死により、主人公の少年時代には、人間的関心というものの欠けていたことに本人は驚く。父の屍を見ることは無力な感懐となった。雨の中、浜で棺を焼く光景。主人公は、父の遺言どおり、金閣寺の徒弟となる。戦時下のことで、そこには老人と若者しか残っていない。拝観者も少なく、金閣は孤独を楽しみ、戦乱と不安が、多くの屍と夥しい血が金閣の美を増した。裏山の安民沢の辺りで鶴川という少年と口をきく。寺での日課。金閣が空襲の火に焼き滅ぼされるという考えが生まれると、金閣の悲劇的な美しさは増した。その異様な執着心を主人公は鶴川だけに打ち明ける。鶴川は主人公の吃りをからかうこともなく、そんなことは気にならないと言い、やさしく主人公を受け容れた。空襲の期待が、私たちと金閣を近づけ、それは現象界のはかなさの象徴に化し、現実の金閣は、心象の金閣に劣らず美しいものとなった。・・・「それから終戦までの一年間が、私が金閣と最も親しみ、その安否を気づかい、その美に溺れた時期である。」「私を焼き滅ぼす火は金閣をも焼き滅ぼすだろうという考えは、ほとんど酔わせたのである。」「京都全市が火に包まれることが、私のひそかな夢になった。」

 鶴川と南禅寺に行った時に目撃したこと: 人形のような長振袖の若い女と若い陸軍士官の儀式について。若い女が乳房を出し、薄茶に乳をほとばしらせ、男がそれを飲み干した。二人は背筋を強ばらせてこれに見入った[私は、抹茶ラッテを見るとこの一節を思い出す]。あの女はよみがえった有為子だと主人公は思った。

 

 第三章: 父の一周忌に主人公の母は金閣寺の住職に読経してもらおうと上洛してきた。その母は彼が中学生の時、同じ蚊帳の中に横たわる少年と父に見られているとも知ってか知らずか、家に寄宿していた男と不義を働いた。主人公は「自分の目の芯を錐で突き刺されるような気がした」。それ以来、彼の心は母を恕していなかった。その母は寺の権利を人に譲り、田畑も処分して親類の家へ身を寄せることに算段していた。主人公にはもう帰るべき寺はなくなったのだ。母の野望は、主人公が金閣寺の後継になることであった。彼にはその考えが重荷となり、腫れ物ができて発熱した。

 戦争が終わり、金閣は焼かれずにあった。「金閣と私の関係は断たれた」。主人公にとって敗戦は絶望の体験に他ならなかった。自涜の後、夜、鹿苑寺裏手の不動山に登り、燈火管制を解かれた京都の奇跡のような夜景に見惚れ、その俗世を思った。

 金閣の見物人は増えていった。ある雪の日、米兵と娼婦を案内し、その娼婦を倒した米兵に踏めと命じられ、女の腹を踏んで、米国煙草を与えられた。それを老師に届けた時、大谷大学へ進ませると言われる。主人公は同僚の嫉妬羨望の的となる。

 

 第四章: 主人公は大谷大学へ進学する。だが、米兵に命じられて踏みつけた女が流産したと訴えてきて、金を要求し、老師はそれに応じたと鶴川に聞かされていた。それでも老師はそれを不問に付し、彼を進学させたのである。彼は踏んだ女の腹の弾力、甘美な一瞬を忘れられなかった。それは記憶に沈殿し、煌めきを放ちだし、悪を犯したという意識が勲章のように胸の内側にかかっていた。

 その大学で、柏木という内翻足の学生と知り合う。柏木は、聞かれもしないのに、自分がどのようにして童貞を脱却したかを語る。裕福な美貌の娘に愛を打ち明けられたこと、老寡婦が極楽往生できると信じて彼の足を拝み、しらずしらず彼を誘導していた、と。そして、愛はありえず、迷蒙だと確信するに至ったと断言した。

 柏木は授業をさぼろうと主人公を誘う。内翻足を好く女は概して飛び切りの美人で、鼻の冷たく尖った、しかし口もとのいくらかだらしない女だと語る。

 

 第五章: そのような女がグラウンドの外側の道を歩いてきた。二人はその道に跳び下り、柏木は倒れ、女に向かって「薄情者!」と叫ぶ。主人公は電車に飛び乗り、手に汗をまみれさせて金閣寺へ向かった。彼にとって、柏木が演じてみせた人生では、生きることと破滅することが同じ意味をしか持っていなかった。翌日、柏木は、もう女は俺に惚れかけていると言う。鶴川は主人公と柏木の交渉を好い目では見ておらず、忠告をしてきたのが、私にはうるさく感じられた。

 五月、その女と、柏木の下宿の娘と四人で嵐山へ遊山に行く。下宿の娘は生花の師匠の話をする。主人公が鶴川と南禅寺で見た振袖の女のことであった。彼らは、小督局の墓に詣でる[渡月橋の近く、とあるので、清閑寺ではなく、小督塚のことかもしれない]。二組に分かれ、主人公が下宿の娘の裾に手を辷らせた時、金閣が現われ、娘を拒んだ。娘の蔑みは万遍なく彼の肌を刺していた。

 東京に帰った鶴川がトラックにはねられて死んだ。主人公と明るい昼の世界をつなぐ一縷の糸が彼の死によって絶たれてしまった。私は喪われた昼のために泣いた。

 主人公の孤独がはじまった。柏木と疎遠にすることが鶴川への供養だと思われた。

 大きな台風の予報があった晩、彼は金閣の宿直を委ねられ、風を鞭打ち、駿馬を励ます言葉を叫ぼうとし、金の鳳凰が叫ぶ声を聴くように思った。雲の累積が空いちめんにひろがり、うごめきひしめき・・・彼は勾欄のもとに眠り、嵐は去った。[なんという文筆の冴えだろう!!  できれば脳みそにコピーしておきたい。]

 

 第六章: 主人公は鶴川の喪に、一年近くも服していた。総門の外側にある制札に目を止め、読んだ: 「保存ニ影響ヲ及ボスベキ行為ヲナサザルコト」云々。

 柏木が訪ねてくる。伯父の形見の尺八を主人公に渡し、二人は金閣で尺八を吹く。柏木は「御所車」という曲を吹く。柏木は永保ちする美がきらいであった。主人公は尺八のお礼をしたく思う。柏木は金閣寺の杜若(かきつばた)と木賊(とくさ)を所望し、それを届ける。柏木はそれを活け、生花の師匠の話をする。あの南禅寺の女であった。相手の軍人が戦死した後、男道楽がやまないのだと語り、主人公は錯乱した感動に襲われる。その師匠が現われ、柏木の言葉に打ちのめされ、部屋を駆け出る。主人公は彼女を追いかけて、慰める。彼女の家に導かれ、南禅寺でのことを話す。女は乳房を露わにして見せる・・・その時また金閣が現われ、深い恍惚感のもと、痺れたようになって、乳房と対坐していた。またしても女の蔑みの眼差に会う。

 

 第七章: 金閣を除いて、あらゆる事物に親しみをもたない主人公は、自分の体験に対しても格別の親しみを抱いていなかった。不明瞭な省察により叙情的興奮を覚えたときは、月夜であれば金閣のほとりに行って尺八を吹いた。「御所車」の曲の調べに化身し、その楽しみを知り、慰謝されたが、金閣が私に酩酊と忘我を許すと考えただけで、音楽の魅力は薄れた。

 主人公は女に二度挫折した後もひるまずに事に当たったが、いつも金閣が立ち現れるので、結果は同じであった。金閣の庭で娼婦の腹を踏んで以来、鶴川の事故死の後、主人公は「悪は可能であろうか?」という問いをくりかえした。

 昭和二十四年の正月、新京極の雑踏の中に老師の姿を見た。芸妓といるところを、図らずも二度も目にしたのである。老師は主人公を叱咤した。だが以後、師は無言と無表情を続ける。それは耐え難いものであった。主人公は、その芸妓のブロマイドを手に入れ、師が読む新聞に挟んでおいた。ある日、その写真は紙に包まれて主人公の机の抽斗に差し戻されていた。彼はそれを切り刻み、小石とともに紙に包み、鏡湖池に投げ入れた。その年の十一月に彼は出奔する。その前日、老師から後継にする気持ちがないことを断言されていた。彼の成績はガタ落ちし、欠席も増えていた。学業をおろそかにすることで老師を怒らせるのは、彼の目論みどおりであった。仏教辞典と尺八を金に変え、柏木にも金を借り、三千円を懐に、おみくじが凶と示す方に向けて旅に出る。敦賀方面へ。三等の客車内でどこかの公共団体の役員たちが寄付させるべきは金閣寺や銀閣寺だと話すのを耳にする。金閣の和尚は大きな収入を得て、毎晩祇園へ出かけている、と。西舞鶴で降り、由良へと向かう。そこには山椒太夫の屋敷跡があるが、見ずに行き過ぎる。時雨が降り、河口に近づき、灰色の裏日本の海を見る。「あらゆる不幸と暗い思想の源泉、私のあらゆる醜さと力の源泉だった」。突然私に浮かんできた思念は、忽ち力を増し、巨きさを増し、むしろ私がそれに包まれた。その想念とは、こうであった。

 『金閣を焼かねばならぬ』

[凄まじい筆力!!  暗い日本海を目の前にした主人公の決意が沁みる。]

 

 第八章: 宮津線丹後由良駅に出て、小さな旅館を覗く。海の方角へ窓の開いた部屋をあてがわれ、金閣を焼くという想念を追った。老師を殺すという考えについては、あの悪は、次々と数限りなく、闇の地平から現われるのがわかっていたので無効が知れた。人間のように死すべきものは根絶できないのだ。だが、国宝の金閣を焼くことは取り返しのつかない破滅である。付喪神のことにまで思考が及び、自分の行為が、この災いから人々を救うことになろう、と考えて快活になる感じさえした。

 主人公が部屋から一歩も出ないことを怪しみ、三日目には内儀が警察を連れてきたので、保護され、鹿苑寺へと私服の警官に護送された。総門の前に母がいた。彼は母に打擲された。

 その後、柏木に金の返済を責め立てられた。寺では、死を予感した人のように、愛想が良くなった。金閣を焼くという決心はいよいよ堅固になった。昭和二十五年の春に大学の予科を最低の席次で終了した。ある昼下がり、妙心寺の表通りで、放火犯とおぼしい学生を見かけ、後をつける。学生は山門の近くで煙草に火をつける。彼は放火犯などではなかった。ただ煙草を吸おうとした小心者にすぎなかったのだ。

 避けていた柏木に会う。催促する彼に黙っていると、彼は俺にも考えがある、と告げる。柏木は老師のところに現われ、返金させた。老師は、今後こういうことがあったら、もう寺には置かれんから、と言った。柏木は薄笑いを浮かべる主人公に恐怖に近い感情を顔にあらわす。そして、利子はもらえなかったと話し、二人で笑うと、君は何か破滅的なことを企んでいるな、と言う。さらに、鶴川の形見だと言い、手紙を見せる。鶴川と柏木が親しかったということ、鶴川の死は事故ではなく、自殺であったことは主人公にとって衝撃であった。柏木は心の殺戮に満ち足りていた。柏木が、世界を変貌させるのは認識だと言うと、主人公は行為だと言い返す。美は怨敵だと言う主人公、二人はしばし議論を続けた。

 

 第九章: あのような借金騒ぎがあったにもかかわらず、老師は主人公に現金で授業料を渡す。それは信頼の虚偽だと思われたので、早々にそれを使い果たすべきだと考える。五番町という北新地の商売女のところへ行く。翌日も行く。その女に、一ト月以内に新聞に自分のことが大きく出る、そうしたら思い出してくれ、と告げるも、女に笑われる。その後、二度とはその店には行かなかった。

 数日後、金閣の畔の掃除をした帰途、夕佳亭の裏手にある拱北楼にて蹲って経文を唱えている老師の姿を見る。主人公について自分の無力を悟った老師が旅僧の修行の真似のようなことをしているのを見て、主人公は感動しそうになるも、自分に見せるためにそうしていると考え、心をさらに硬くする。六月二十五日、朝鮮に動乱が勃発すると、急がねばならぬという思いを強くした。

 

 第十章: 五番町へ行った翌日、主人公は、金閣第一層法水院北側の板戸の二寸釘を二本抜き取っていたが、二十八日にそれらをもとに戻した。そして、カルチモンと小刀を買い、心を踊らせる。金閣には火災報知器が付けられているが、それは故障し、修繕工が修理できないままであった。六月三十日に菓子パンと最中を買う。決行は翌七月一日である。その夜、老師のところには客があった。主人公の父とも知り合いの和尚であり、主人公は私の本心を見抜いて欲しいと言い、行為の勇気を新鮮にする。

 二日の午前一時から一時間も闇の中に座り、霧雨の中、大書院の裏手へ忍び出て、藁束を抱え、自分の財産である柳行李とトランクと夜具を金閣へ運ぶ。足利義満像の目が、燐寸の火にきらめく。その像の前に布団と蚊帳、二つの荷物を積み上げる。池に落とした石の水音は空気がひび割れるように響く。燃えにくいものは池の水に沈める。美の細部の未完には、虚無の予感が含まれる(?)。

 主人公は激甚の疲労に襲われる。これ以上の行為は無駄ではあるまいかという考えがよぎる。「裏に向ひ外に向って逢著せば便ち殺せ」という臨在録示衆の一節につづく言葉が、陥っていた無力から主人公を弾き出す。

 主人公は金閣へ入り、燐寸を擦る。三本目でようやく着火。炎が法水院の内部の三尊像を照らし出し、義満像は目をかがやかせる。煙に追われ、三階の究竟頂へ上がるが、閉まっており、扉を力の限り叩く。拒まれていると意識した時、階段を駆け下り、左大文字山の頂きまで駆ける。金閣の姿は見えず、渦巻く煙と、天に冲する火だけが見え、木の間をおびただしい火の粉が飛び、金閣の空は金砂子を撒いたようである。主人公は永いことそれを眺め、煙草を喫み、生きようと思った。

 

 あとがきの佐伯彰一は、伝統に対する愛憎共存のアンビヴァレンスを、三島は『金閣寺』において、まことに鮮やかに小説家した、と述べている。[読んで気持ちのよい小説ではないが、何度読んでも三島の筆力に圧倒される。]

 

 ちなみにこの放火犯のその後: 胸を短刀で突きカルモチンを飲んで自殺を図るも、果たせずにいたところを逮捕され、懲役7年の判決を受けるが、1955年10月に恩赦で出所。再建された新生・金閣の落慶法要から20日後である。そして、半年たらずで、肺結核で26歳にして没。当時放火犯は西陣署の調べに対し、「美に対する嫉妬と、自分の環境が悪いのに金閣という美しいところに来る有閑的な人に対する反感からやった」と供述していたとのこと。