安部公房、初期の短編集である。この人はわりと初期の作品の方が奇を衒ったところがなくてよい。土地や時代が明らかでないところが抽象的で、らしい。このメモはネタバレなので、ほかの人は読まない方がいいと思う。

 

 夢の兵士: 冒頭と末尾の詩だけで引き込まれる。村の駐在所で働く老巡査は息子を送り出した。[]息子は老巡査の「夢」だったのだが・・・。耐寒訓練をしていた軍隊の中から脱走した兵士が列車に飛び込み自殺を図る。老巡査は恥じて、居着いて老後を送ろうと思っていた村を去る。[オットの解釈: 老巡査にとって息子は「夢」なのであったのに。納得!]

 

 誘惑者: 始発を待つ駅舎の待合室における逃亡者と追跡者とたまたま居合わせた女性二人。緊迫した状況が尽きるとどんでん返しみたいなオチがある。捕まえられるべき小男ではなく、追跡していた大男が狭窄衣にしめあげられる? 狂人だったのね。

 

 家: 祖先が死なずに生き続けている家? 思わず、仏壇に遺影の並んだ母の実家を思った。だが話はそんなものではなかった。浮浪者のような"祖先"が三畳間に飼い犬のように暮らしていて、夜中に歩き回るのだ! それを兄弟はネコイラズで殺す相談をし、"祖先" はそれを聞いている。安部公房的ホラーだ! 

 

 使者: 講演会に招かれた講師、奈良順平の待合室に、火星人だと自称する男がやって来て、火星に来てほしいと言われる。移動は位相物理学により、物体をエネルギーに変換し、別の場所に再現する方法によるという。火星への帰還は四百日毎の迎えによる[あら、かぐや姫は月ではなくて火星から来たのかな?]。地球にステーションを建設するために政府と交渉する人物を連れ帰るのがその火星人の使命で、この講師はそれに選ばれたのであった。その火星人は警察官に捕らえられ、講師はその日「宇宙狂」という講演を行なう。

 

 透視図法: この短編はよくわからないが貧しい労働者たちの合宿所の話みたいだ。最初の「現実」は、おがくずを酢酸に漬けて砂糖をつくる実験をしている老人の話。次の「盗み」は、貧しい者どうしが、互いに小さな盗みをしあう話だ。すごくリアル。三つ目の「泣く女」は、そういう飯場にいる人たちが何があっても知らんふりしてやりすごす話。貧しすぎて感覚が鈍感になっているのだろう。

 

 賭: ある設計者がクライアントの宣伝業者に改築を頼まれており、総務部長に案を承認してもらう前に、そのクライアントの事務所ビルを訪れ、迷う。それでも社長に会い、現代を動かしているのは宣伝業者だという仕組みを知る[これはかなり真実だろう]。そして社員の一人に「ロビンソンと賭」をさせる。裸で無人島に渡った人が文明人の服装で戻るかどうかという賭けである。読んでいる方もキツネにつままれたようだ。エッシャーの絵のような小説。

 

 なわ: 恐ろしい話だ。愛犬家は読むべきではない。鉄材のスクラップ置き場で、ある男は毎日、子犬をいたぶって遊ぶ子供たちを見ていた。ある日、そこに水浸しになった幼い姉妹がやって来て、子犬をなわで締め殺す。二人の父親は競艇狂いで破綻し、二人の娘を道連れにして死のうとしていたようだが、死にたくない娘たちはその父親が寝ている時、子犬殺しのやり方で締め殺す。なわと棒だけで。

 

 無関係な死: Aが自分のアパートの部屋の扉を開けたら、鍵のかかっていたその部屋の入り口で人が死んでいた。人工的にねじくれた姿勢で。見覚えのない人である。Aはその死体をどうすべきか考えをめぐらせる。自主すべきか、どこかに死体を移すか? 悩ましく、たいへんに緊迫感がある一人芝居的短編である。気の毒でお疲れ様。

 

 人魚伝: ぼくは緑色過敏症というアレルギーにかかった。理由は、緑色の人魚に恋をしてアドレナリンが分泌されたから。ぼくはその人魚と沈没船の中で会った。肉食らしく、沈没船内にいた死体の肉を食べて生き延びていたのだ。ぼくは彼女が忘れられず、綿密な計画を立てて、彼女をその沈没船から、風呂桶つきの家に運ぶ。[この緻密な捕獲輸送の記述はさすがに天才的である。私はダリを連想する。]

 ある日、ぼくがもう一人いた。外出から酔って帰宅して鍵穴から覗くと、彼女がぼくを食べていた。食べ残しの足が成長してぼくになる。植物を成長させて刈り取って食べるように増殖するのだ。ある日、ぼくの数は十数人になる[この時代にはまだクローンという概念はなかったのだ]。増殖したぼくは犯罪をおかすに違いない。彼女の食肉用家畜になり果てたぼくは彼女を殺し、ミイラになった彼女を鞄にしまい込む。そして緑色過敏症にかかってしまう。飼い主を失った家畜の運命だ。[これは、すばらしくシュールレアリズムな、ものすごい傑作ではあるまいか!]

 

 時の崖: あるボクサーの独白。ひじょうにリアル。さすがだ。